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お金について...

円安の中、物価が東京の2倍の国に移住し、半年収入がなかったことは、私のお金に対する見方を変え、行動に影響を与えた。

今、振り返ると、初めての仕事では、中南米への一年間の冒険のために懸命に貯金した。100円ですら貴重。お酒を一滴も飲まずに一晩中踊る訓練をした。東京のこぢんまりとしたレストランの暖かい光を眺めて立ち去り、冷めて硬くなったおにぎりを齧った。23歳になったとき、給料は僅かながらも、年上の同僚より貯金量は多かった。需要におじて、私は貯金講座を開き、彼らの支出をGoogleシーツで細かく追跡し、行動を分析した。

「どうしてタクシーで出社しましたか?寝坊ですか?」

「いいえ。一応起きたんですけどぉ…」

「じゃ、どうしてタクシーに乗ったんですか?」

「雨が降ってたから…」

「ちょっと待ってください!雨が降るとタクシーに乗るということですか??」

先にある長い旅のために、日本での移動を我慢したが、出発直前コロナが始まった。一年以上、極端な節約に耐えたけど、もっとレストランやコンサートに行けばよかった… いつ国境が再開するのか未定である。指針を失い、貯金に触れずに、毎月稼いだ賃金を使い果たした。最初、支出は貯金よりきつかったが、いつの間にか、百円と一万円が同じような感覚になった。衝動的に振る舞い、何の満足感も得られなかった。お金は稼げるが、若いうちの体験がかけがえのないものだと思った。

3年後、ヨーロッパに引っ越したところ、まるで収入があるようにお金を費やした。もうスーパーで買い物する余裕がなくなり、毎週の土曜日に市場に行っている。1ユーロでバケツいっぱい。一枚のストロープワッフルが贅沢、カケラの寄せ集めを買っている。年始めにスロバキアで過ごしたが、銀行アプリからの通知に邪魔され続けてしまい、旅を楽しめなくなってきた。以前、隔週末に遠くまで出かけ、常にコンサートや演劇に行くのが必要だったのかを疑問に思い始めた。北海道にフィールド・レコーディングをして、どうして東京でできないだろう。千葉と埼玉で田んぼの体験ができたのに、出雲、福島、愛知へ向かっていた。何かもに好奇心がある一方、財布を空っぽにしている。文化的なインプットがそこまでなくても、私を変えるだろうか。それらのお金を貯めて、家でスキルを磨くことに時間と労力を注ぎ込むべきだ。

ベルリンにあるマルチチャンネルのスタジオを伺う予定だった。去年の10月、経験を積むためにいくらかかるのを気にしなかった。今、家賃が値上げ、水道とゴミの税金を聞いて、泣きながら寝ていた。300ユーロを費やし、ベルリンに行く必要があったのか?続いて、学校が同じ週に空間オーディオのワークショップを発表した。待って、ここで同じスキルを身につけられる。収入がないとき、意識的な選択をして、全ての行動を疑う。周りのリソース、設備、人を気づくようになった。

友人は収入が何倍に増やし、家を買う一方で、私はじゃがいもの値段をじっと見つめている。会話を思い出せば、一人はヨーロッパに引っ越したがっていて、もう一人は学校に戻りたがっていたが、二人とも旦那さんと赤ちゃんと身を固めた。私は代償を伴いながら、夢を追いかけていた。


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