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学びというのは

『音の物語』を契機に、大人として学生に戻り、「学び」を考え巡りはじめた。10年前、当てもなく大学に進学した。4年生のとき、卒業する意味を問い続けたが、他国でビザを得るため、学士が重要であるのでそうした。

数え切れないほどのアルバイトと2つの正社員を経て、日本での生活は安定していた。何事も優れてはおらず、悪いとも言えない。とにかく普通だった。変化を欲しがっていた。仕事の前後、昼休みに独学しても、知識の習得の進捗にも不満を持っていた。この膨大な領域で、構成、機材、そして熱情に溢れた人々に囲まれたかった。

今、建築から化学など異なった背景を持つ、音楽家や音と関わる人20人が世界中から集まるプログラムに参加している。競争的な環境ではなく、全員が好奇心に溢れてオープンでありつつ、お互いを助け合う。音楽家でない私が、音楽院にいて彼らの生活を垣間見る。

ピアノを弾く環境を得られ、音楽家にも支えられながら独学している。『きらきら星』を弾いているとき、通り過ぎる人は「なぜこの人がこの音楽院にいるの?」と戸惑うだろう。幼いごろの自分がなぜ音楽や数学を身に染み込ませるように勉強できなかっただろう?なぜ、必要だったのか分からなかったのだ。大学一年生の音楽理論コースを見つけ受講しているが、10歳下の他の学生たちは私よりとっくに早く習得している。日本の大学と異なり、ここでは、理解できるまで粘り強く問い続ける。私は自分のペースで、少しずつ理解できるようになった。学ぶのは恥ずかしさに怖気づかないことである。

一週目に、本書に記録してきたテリー・ライリーと鈴木昭男が先生のプレゼンテーションに登場し、不思議に思った。2年をかけて彼らを追いかけ、身近な交流により、彼らがどれほど影響力があるのかを忘れていた。これらの経験がなければ、2枚のスライドをただの事例としてスルーするだろう。また、以前職場で特定のテクノロジーやキーワードに晒されてその重要性を知り、他人が諦める最もハードル高いクラスを通うぶれない意欲を持つ。

じっと座れない自分はクラスルームに縛られていると感じた。コースは理論的なものになりがちであり、最初の月に、既に実践的な体験を求めていた。直ちにベルリンにある24.1マルチチャンネルシステムを備えたラボに声をかけていた。自分の悪い癖に気づき始め、周りにある8チャンネルを使っておらず、軽はずみな行動を起こしてしまった。クラスルームに限らず、学びは昼休みの雑談に伸ばし、音楽家たちは構成やリズムなどを話している。今、私は自分にできる最小のステップについて考え、スタジオを予約したり、周りの経験豊富な人たちに積極的に声をかけたりする。小さな行動は次に繋ぐ。学ぶのは自分次第だとわかった。

多くの新たな内容を同時に習得し、捗らない気がする。勉強するほど、何もかも会得できていないと感じる。限られているエネルギーと時間の中、精度高いものを生み出すためには、絞ることが必要。学ぶのは試し続けること。全ての貯金を使って学生に戻り、残りの5ヶ月は、最大限に活かすべきだ。


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