自作本ができるまで② 紙とラフレイアウト
2回目の打ち合わせ前、日本を離れることになった。年内に終わらせる予定だった本が、7月末までに急速に進んでいた。
まずは、「紙を探す」と「ラフレイアウトを作る」こと。
東京の和紙屋
紙を探すポイント。70kg〜90kgの紙。厚すぎると製本が難しい。薄すぎると印刷が透けてしまう。印刷機を通せる和紙っぽい紙、もしくは機械で作られた和紙。
小津和紙(日本橋)
TAKEO(神田)
Paper NAO(白山)
京都の紙屋、はじめての結婚式と救急車
初めて親友の結婚式に参加するまで何ヶ月間もどきどきした。京都で開催するから、ついでに和紙屋と古本屋を回ろうと思っていたが、結婚式の朝、気を失って頭をぶつけて、かなり出血してしまった。意識が戻ったら救急車で運ばれ、病院で予告なく生々しくホチキスされた。大声で叫んだして涙もぼろぼろ。
お医者さんが「結婚式を忘れた方がいいよ。大人しくして。1〜2日は静かにする」と言った。
ぼーっと。病院のベッドで何もできない退屈感。結婚式と紙屋に行けない悔しさ。思いがけず、昼過ぎに病院に出された。宿にしろ結婚式にしろどうせ座っているのだから、結婚式に向かい、そこで水を飲んでいた。
土砂降りの中、皆はアフターパーティーに行ったが、一人で宿に帰った。寝る前、どーん。おでこが天井にぶつけて、大きなこぶをできた。頭、おでこ、腕の痛みに苦しみながら寝ていた。
翌日
病院でもらった紙を握り締め、もう一回読んだ。
全てが脳に繋がり、脳の変化と傷が見えないからこそ怖い。今は大丈夫にしても、いつどこで何が起こるかもしれない。これからは、勉強しながら仕事して、限界まで脳を働かせるつもりだった。必要なお金はどうする?体の脆弱さに不安が襲ってきた。自分の愚かな行動で(再び)家族を心配させたくない。じっと座るか、紙を探すか。不確実の中、頭に「紙、紙、紙」しかなかった。休憩しながら、紙屋さんまで一歩一歩向かった。いつの間にか、5軒行ってしまった……
ちょうどKyotographieの最終日。様々な写真集を捲って、文字と文字の間の余白(行送り)を確認した。広かったので、それを真似しようとしていた。
(それから2ヶ月異常がなければ、大丈夫とのこと。幸いに今は無事です!)
2回目の打ち合わせ
ラフレイアウトを提出。
200前後のページ数になった。手に入れた紙のテスト印刷。
買ってきた紙は中川さんと触ってみて、刷れそうな5種類を片面で印刷してみた。出力と色が一番良かった「やまびこ奉書」のでこぼこ面も印刷。紙の見本を購入した直ぐに、付箋でメモした方がいい。レシートがあっても、どれがどれだか分からなくなるので…
文章直し
一つ一つの体験を本にすることは言葉と成長が表してくるだろう。が、文章はどこまで直すか。自分が書いた文章を読み返した時、意味不明な箇所もあったので、加藤さんに直してもらう前に、もう一回全文を見直す。6月中に。よ〜し。
今まで、自分が初めての読者として書いてきた。ふざけてくだらない冗談。ダメすぎる失敗談。しかし、ふたり目の読者は加藤さんという事態に、画面に向かう度に、肩が恐ろしいプレッシャーに襲われていた。提出まで、頭を枕に埋めたり、しゃがんで頭を抱えて 「どうしよう!」と無音で叫んだ。自分が自分の道を切るなんて、あほか。びびりすぎて入れないと決めた。同じ週に、穐吉さんとのディナーで、彼女は再びこう語った。
「わたくしは初めての聴衆だから、自分が感じられるものを弾く」という言葉に、葛藤を乗り越えた。そういうわけで、完全に自分のため、初めての本ができた!!!
次のチャプター: 表紙の和紙を作る
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