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あれ?なんで私あんなに自分の事が嫌いだったんだ?

さて本日誕生日を迎えた訳ですが・・・
特に普段と変わったこともなく、めでたいとかも
思うこともなくという感じです。

誰かにお祝いされるでもないし、自分で祝おうとかも
そんなに思う訳でもないしね。

しかし誕生日前の昨日のこと
突如やってきた思考はある意味、
誕生日プレゼントかもしれないなと思ったのだ。

それがタイトルの
「なんで私あんなに自分の事嫌いだったんだ?」

物心つく頃には自分の事が嫌いだった。
で、それに疑問もそんなに持たなかったのかもしれない。

いや、「なんでだろう?」くらいは思ったんだろうが
とにもかくにも自分の存在が許せなかった。

中学1年のはじめころに自殺を試みて失敗し
その後はより一層その感覚は強くなっていた。

大人になり、
「自分を好きになりたい」
色んなセミナーとかセッションとか色々受けたけど
結局のところ心から自分の事が好きと思えるようになんて
ちっともならなかった。

で、昨日突如
「あれ?私そんなに自分の事を嫌う理由ってなくないか?」
と湧いてきたのだ。

やっと呪いが解けたのから、目が醒めたのか・・・

自分を嫌う理由って、結局のところ
全部、周りからの刷り込みでしかないよなーと。

子供の頃は根暗とかマイナス思考とか
ネガティブな自分がダメだと思っていた。

可愛いや美人と言われる事は母親が嫌な顔するし
可愛くなければ周りからは疎まれるし
(どうすりゃいいんじゃ)

考え過ぎも周りからいつも
非難されていた気がする。

今でこそHSPという言葉が出てきて
敏感であることや考え過ぎの傾向も
ただの性質であると認知されてきたと
思うけど

昔はただただ
他の人たちと違うこと
同じように出来ないのがダメなんだと

そんな自分が嫌でイヤでしかたなかったんだろうなー。

で、ただの性質で個性であるなら別に

ネガティブ思考が若干人より強かろうが
考え過ぎっていうのだって
綺麗にしてたって、ちょっと気を抜いてたって

嫌い!

ってなるほどのことでもなくね?

と、やっとやっと冷静な思考が浮かんできたのだ。

まぁかといって、急に大好きになるとか
そんなことも勿論ないのだけど

いうならば、

私はただここに存在している

以上。

それで、いいじゃないかと思ったのだよ。

アラフィフになって、やっと自分の存在を
認めてもいいのかもねと。

いや〜長い旅でしたね〜

それでも、死ぬまで表面的に好きになったふりをして
自分に嘘をつきながらよりも

この呪いが解けた感は私的には
結構、重要な感覚であると思うのだ。

ある意味、誕生日前にその呪いが解け
新たに始めるというのは
自分からの思考の誕生日プレゼントってことでね。

大分遅いけれど、ある意味では
やっと本当の意味で人生が始まるって感じかもしれないな。


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