檸檬は、爆発しなかったけれど
その日、わたしは朝からとてもワクワクしていた。
予定と予定のあいだの数時間を、お気に入りの本屋さんで、ぶらりと本を読みあさって過ごそうと考えていたからだ。本好きのわたしにとって、こんな時間の使い方は、まさにラグジュアリーと言えるものだ。
わたしのお気に入りの本屋さんは、京都は河原町通りにある「BAL」という建物の地下にある「丸善・京都本店」。そう、梶井基次郎の小説、『檸檬』で有名な、あの丸善だ。
丸善の地下2階には、テーブルと椅子がいくつかあって、そこに座ってじっくり本を読めるスペースがある。わたしの目論見は、今までに本屋さんに立ち寄るたびに「読みたい」リストにストックしていた本たちや、偶然目に入った本たちを、その読書スペースにゆったり座って、読むことだった。想像しただけで、口元のゆるみが止まらない。
11時ちょうどにオープンするBALの前に並びながら、わたしはほくほくとした気持ちをかくすことができなかった。後1分。早く、はやく…!
時間ちょうどに開いた自動ドアをとおって、エレベーターに直行する。迷わず、B2のボタンを押す。エレベーターの扉がひらき、丸善に一歩足を踏み入れると、芳しい本の香りが満ちている。
話を日本は京都の丸善に戻そう。
わたしは本の検索機の前に立って、ブクログのアプリに「読みたい」として登録していた本たちを一冊ずつ入力していく。ほとんどが地下2階にあったのだけれど、エッセイに関する読みたい本たちは、地下1階にあるようだった。
まずは、地下2階をまわって気になる本を手にとり、テーブルに座ってパラパラとななめ読みしていこう。そのあとに、地下1階にあがってエッセイ関連の本を読めばいい。地下1階から購入していない本を地下2階に持っていくのは大丈夫だろうか?そこは、後で店員さんに聞いてみよう。
今日という一日を、「大好きな本屋さんでゆったり本を読んで過ごす」という、自分にとって最高級のご褒美的過ごし方ができることに、ウハウハがとまらない。
地下2階を、検索機で見つけた本棚たちを目指して歩いていく。お目当ての本棚を見つけると、棚の上から、本の背表紙をなめるように、すーっと視線を動かしていって、読みたいと思っていた本のタイトルを探す。
あれ?
本棚の端から端まで目を動かしてみても、お目当ての本のタイトルが見つからない。おかしいな...。もう一度、今度はさっきよりも慎重に、一冊一冊の本のタイトルを読んでいく。やはり、ない。うそやろ、なんでなん。
その行為を、4回は繰り返しただろうか。首を精一杯に伸ばして上段を探し、今度はしゃがみ込んで下段を丁寧に探していく。やはり、ない。
なんでなん。何度も、さっき検索機でメモしておいた、本が陳列されている場所を確認する。あってる。あってるのに、一冊もない。なんでなん。
そこで検索機に戻ればよかったのかもしれないけれど、それはなんだか負けたみたいで悔しかった。もしかしたらと思って、心理学の本が並んでいる棚に行き、何メートルも続いてるながい棚を、ざーっと背表紙をながめて、お目当ての本を探していく。
15分ほど経っただろうか。
興味のある本はたくさんあったけれど、とにもかくにも、お目当ての本たちが、いない。どこにもいない。いや、うそやろ。なんでなん。前回、丸善にいたよ?ちゃんと、いらっしゃいましたわよ?どこにお引越しされはったん?え?
なんだかんだ、時計は11:48を示していた。
うそやん。わたしの貴重な休日の、貴重な「本屋さんで本をゆったり読みまくる」時間、こんな感じで消費されていくの?まだ一冊も読んでないねんけど?え、ほんまに?
しかもそんなタイミングで、腹の虫がぐうぐうと元気に歌いはじめてしまった。静かな丸善の本屋さんのなかに、わたしの腹の虫の声が鳴り響く。いや、ちょっと、ちょいとお待ちよ、腹の虫さん。もうちょっと。もうちょっと我慢して?切実に、マジで、ほんまに。
立ちっぱなしで腰も痛くなり、お腹もぐうぐうキュルキュルと音を立てているしで、わたしはすこし泣きそうになった。もう、地下2階の本たちは断念しよう。今日は縁がなかったっていうことやわ。しゃーない。
わたしは地下1階に移動することにする。エスカレーターに乗って、地下1階へ。
丸善本店でちょっとだけいやだなって思うことは、本を読むためのテーブルが地下2階にしかないことだ。地下2階には、学術書や洋書など、専門的な本がたくさんあり、地下1階には小説や漫画など、もうすこし読みやすい系の本が多いからなのかもしれない。理由はわからない。でも、地下2階に比べて、地下1階は “座り読み” できない雰囲気がムンムンする。
地下1階のお目当ての本、第一冊目を探す。森博嗣さんの『静かに生きて考える』だ。棚は、日本ミステリー。
お目当ての棚の前に立つ。いや、正確には「棚たち」だ。日本ミステリーのカテゴリは、延々と丸善の中央から、壁の端っこくらいまで続いていた。数メートルは悠にあるのではなかろうか。その数メートルに、ざっと数百冊から数千冊の本たちがひしめき合って、お行儀よく並んでいる。そんなたくさんの本たちの中から、お目当てのたった一冊の本を探さねばならぬ。できるだろうか。
地下2階の探索劇で、わたしのHPはだいぶ削られている。しかも、腹の虫さんは先ほどよりも強めに自己主張なさっている。涼しい顔で「わたしじゃないですよ」風を装ってガン無視しているけれど、たぶん、隣の人にはバレている。腹の虫の音の出どころがわたしだと、絶対にバレている。
いやでも、森博嗣さんの本やから、スカイクロラ・シリーズとかと一緒に固まって置いてあるやろ。丸善の店員さん、やさしいはず。そういう配慮、あるはず。大丈夫。スカイクロラ・シリーズなら、一発で見つけられる。はず。いける。がんばれる。
そう自分を鼓舞して、また、背表紙を棚の上から下まで、ざーっと見ていく作業をおこなう。ひとつの棚から、次の棚へ。そして、そのまた次の棚へ。ゆっくりと歩き、また立ち止まる。立ち止まるたびに重心を右脚から左脚、そしてまた右脚へとうつしかえて、腰のミシミシという痛みをなぐさめる。肩掛けカバンの肩紐が、じわりと鎖骨に食い込みはじめたので、カバンを反対の肩にかけなおす。腹の虫さんは、もう、無視を決め込むしかない。
そんなことを数メートルほど、地道に続けてみたところ。
ない。ないねんけど。
え、待って?森博嗣さん、どこにいらっしゃいますのん?え、いるよな?いるやんな?ないとか、言わへんよな?そんなん言われたら、わたし、泣くで?ほんまに、泣いちゃうで?ここまできてないってなに?うそやろ?え、ほんまに?
頭のなかでそんなことをぐるぐる考えながら、不安が募っていく。あきらめずに、棚から棚へ。もういらっしゃらないんじゃないだろうかと、諦めモードに入りかけた、陳列棚のいちばん最後。
いた!見つけた!
やっと見つけた森博嗣さんの本に、わたしは思わず小さくガッツポーズをする。でも、そのときには、わたしの集中力と空腹は、かぎりなく限界に近くなっていた。なんなら、トイレも行きたくなってきた。うそやろ、2時間くらい前、丸善着いてすぐに行ったやん。こうならないために、先に行ってたやん!
集中力のだいぶ下がってしまった頭で、探し求めた本に手を伸ばし、表表紙を眺める。本をひっくり返して、裏表紙。パラパラパラパラとページをめくる。ページの肌触りや質感、やわらかさ、厚みを、指の腹で感じていく。そして、「はじめに」を読む。
うっ。
なんとなく。本当になんとなくなんだけれど。フォントの形や、文字と文字のあいだのスペース、ページまわりの余白。それらが、今の自分のキャパシティの「心地いい」範囲をはみ出してしまっていた。普段だったら、きっと気にならないんだけれど、今日のわたしには、なんだかしっくりとこない。
それでも、気を取り直して「はじめに」を読む。え、なんなん、めっちゃ好き。素敵。森博嗣さん、素敵すぎる...!
でも、今日のわたしの「知りたい」「触れたい」と思っていた内容とは、ほんのすこし毛色が違う内容だった。これは本屋さんで座り読みする系の本ではなくて、ちゃんと紙の本を購入して、じっくりと、その時々で気になる章を味わいながら飲んでいきたい。そんな本だ。
わたしの頭のなかで、この本を「読みたい」リストから「買いたい」リストに変更する。
『静かに生きて考える』さん、また今度、帰ってくるからな。待っとってな。いなくなったりしたらあかんよ。こころの中でそんなことを言いながら、表表紙を一度ふわりと撫でて、また棚に戻した。
そのまま、今度は二冊目のお目当ての本を探しにいく。実は、こちらが今日の大本命だった。
こちらは、朝からの大捜索の連続から拍子抜けするほど、あっさりと見つかった。松浦弥太郎さんの『エッセイストのように生きる』だ。
先ほどと同じように、まずは本を手にとり、表表紙を眺める。手に触れている表紙の紙質がほんのすこしざらりとしていて、それがなんだか心地よい。裏表紙をながめて、今度はパラパラパラパラとページをめくっていく。
すこし硬く感じる紙質。ボールペンだともったいないので、えんぴつで書き込みをしたくなるようなタイプの紙だ。余白が多く、全体的にクリーム味を帯びた白さが目立つ。こころの隙間に、ふわりとあたたかくて優しい風を吹きこんで、その空間をやさしく広げていってくれるような、そんな色と、余白の、バランスだ。
そんなようなことを、言葉ではない感覚の部分で、瞬時に感じていく。ページをパラパラとめくっている数秒のあいだに。
好き。
良き。
そして、「はじめに」の数行を読む。
あ、好き。これ、いまの自分が欲していた質感の言葉たち、そして内容だ。
読むときは一気に読みたいので、直感的に気に入った本ほど、「はじめに」を全部読むことはしない。そのかわり、目次をざっとながめていった。「在り方」的なことと、「具体的」な部分のバランスがちょうど良さそうだ。
何度も、じっくり、コーヒーや紅茶を飲みながら、カフェなんかで読みたい本だ。そう、直感する。
もともと、気に入ったら購入しようと思っていた本だったので、購入を即決する。
しかし、そこでわたしは迷いはじめた。
紙の本を買うのか、Kindle版を買うのか、だ。
紙の本が欲しい。
紙で欲しい。
でも、紙の本だと、持ち運びが大変になる。読むタイミングが限られてしまうから、このまま購入して積読になってしまう可能性が高い。でも、これは「今」のタイミングを失わずに、読みたい。せめて、最初の一回は。
でも、これは紙で欲しいんだ。あー、でも。内容読んでないからなぁ。紙で買って、いざ読んでみたら思ってたのと違ったってなって、積読になってしまったら悲しい。それはさすがにつらい。
迷ってしまって決められない。
しかも、腰も痛いし、カバンを持っている肩も痛い。腕にかけていた手提げカバンの方も、だいぶ腕にめり込んできている。そして、腹の虫さんだ。とりあえず、お腹、すいた。とても、お腹、すいてる。
このまま、近くのカフェに行ってランチを食べよう。そこでゆったりと、この本を読むのもアリじゃないか?いや、アリすぎる。それは、すごく、いい。
でも。その後、ただでさえ重たい荷物に本の重さをもうひとつ追加して、電車を乗り継いで、出かけなければいけない用事がある。そのまま、その荷物を持って、明日の用事まで直行しないといけない。
耐えられるか?わたしの腰、腕、そして肩。
悩みすぎて、もうなにを基準に決めたらいいのかわからない。とりあえず、腹の虫の音が、わたしの思考を邪魔してくる。
わたしはAmazonの画面をひらき、金額を比較することにした。これでKindle版のほうが安ければ、そっちを購入する理由として採用できる。
画面でチェックすると、なんと。
金額、同じやないかい。
オーマイゴッド。
どうしよう。決められない。
でも、わたしのHPが限りなくゼロに近づいていて、ピコンピコンしてきている。腰がミシミシと音を立てているんじゃないかと思うほど、痛い。爆発しかけてる。決断を、急がねばならぬ。そして、座って腰を休め、腹の虫たちの空腹を満たしてやらねばならぬ。あ、後、トイレ行きたい。そろそろほんまに、行きたい。
わたしの中のいろんな “声” たちが、自己主張を強めてきて、わたしの思考のなかに「トイレ行く?」「休憩する?」「いや、もうさっさと買ってご飯食べようよ」「一旦決断は先送りにして、ご飯食べてからまた戻ってきたら?」などと、あーだこーだ、口出しをしはじめる。なんなら「これ、本買ったら、今度はレジで並ばなあかんねんで?財布出して、お金出してとかしなあかんなんで?いける?」なんてことまで言ってくる。
ちょ、あんたら、落ち着いて!ちょっと待って!今、考えてんの!ちょい待ちって!いや、ごめんね?!こんなになるまで我慢させてごめんね?!むしろ自己責任だね?!ごめんやん!
結局わたしは彼らの自己主張に負けてしまった。とりあえず、ご飯を食べに行こう。後、トイレに行こう。腹が空っぽ、膀胱が満タンだと、ちゃんと考えることはできない。
しぶしぶ本を本棚に戻し、エレベーターに向かう。エレベーターのなかで、AmazonのKindle版をポチリとした。これはまさしく無意識の行動だった。Kindle版を購入しようという決意からきた行動ではなかった。購入完了の画面が表示される。なんてこったパンナコッタ。Kindle版の購入の簡単さと楽さ!
いや、結局、Kindle版買うんかーい!と、思わず自分にツッコミを入れてしまった。
本屋さんにいたこの2時間の意味よ...
とほほ...と思いながら、レストランに入ってオーダーをしたらすぐに読みはじめる。めちゃくちゃ良い。Kindle版、手軽で良き...!!
ということで、檸檬は爆発しなかったけれど、腰と膀胱が爆発しかけたというお話でした。
でもこれには後日談があったりする。Kindle版を購入して、読書を楽しみながらも、「やっぱり紙の本も買うか?」と、もんもんと悩みつづけるという、後日談が...。
その話は、また今度。
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