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5年前の僕たちは、なにをしていたんだろう?

『発信する勇気』の著者である末吉広臣さんの記事を読んでいたら、おすすめで2017年のこちらの記事が表示された。

「5年前の僕たちは、なにをやっていたのだろう?」

この一文からはじまる文章。
わたしは思わず、自分の5年前を思い出そうとした。


5年前は、25歳。
ちょうど5年前というと、娘が生後6ヶ月に入ったばかりのころだ。

あのときのわたしは、オーストラリアに住んでいた。人間よりもカンガルーや馬、そして羊の数のほうが多い、オーストラリアの田舎のどまんなか。車がないとスーパーにも行けず、出産するための一番近い大型病院は、車で40分の距離にあった。

当時のわたしは、専業主婦だった。家族も、友達すらいない、絶海の陸の孤島ともいえるような場所でひとり、毎日帰ってくる夫を待ちながら、ひとり子どもと向き合っていた。

夫からやんわりと外に出ることを止められていたので、家を出ることもほとんどなくて、ひたすら家の中で過ごす日々(改めて思い返してみると、だいぶヤバいな)。洗濯をして、掃除をして、庭に出て空を見上げて。料理を作って。

夫のことが怖かった。怒ると怖い人だった。夫のことは好きだったけれど、怒ったときの彼は人格が変わったかのように豹変するので、怒らせないように細心の注意をはらって日々を過ごしていた。

自分の感情を表現したら怒られていたので、愛猫が死んだときも、彼の前では絶対に泣かなかった。彼が出勤してから、一日中、子どもをおんぶ紐で背負って家事をしながら、声を上げて泣き続けた。彼が帰ってくる時間のすこし前には涙を拭いて、笑顔をつくって、いつもどおりの奥さんのスイッチを入れて、そのキャラに徹していた。


あのころ、わたしはよく「わたしって、どんな人だっけ?」と自分に問うていたように思う。「本当のわたしって、こんなのじゃなかった気がするんだよな」って。「本当のわたしは、消えてなくなっちゃったのかな」って。

なんとなく、漠然と、この家族3人でこれからも(夫の怒りに対する恐れはありつつも)なんだかんだでしあわせ?に暮らしていくのかなって思っていた。それ以外の選択肢は、わたしにはもう残されていないと思っていたし、今更、過去の自分の選択を変えることもできないと思っていた。


あれから5年経って、わたしの人生はおおきく変わった。

まず、離婚した。絶対無理だと諦めていたけれど、ちゃんと、離婚することができた。
自分の母国、日本に帰ってきた。
自分が本当に好きって思えるファッションやメイクを、すこしずつとりもどしてきた。
親からの精神的・経済的な自立のために、具体的に計画をもって動いている。
個人事業主になって、発信をとおして仕事をするようになった。
働くことが、好きになった。
子どもへの愛情すら感じられなくなるくらい、鈍っていた「感情」が、豊かにもどってきた。
子どものことを、かわいいとか愛おしいって思えるようになった。
親友と言えるような友だちたちが、また、増えた。

そしてなによりも、ちゃんと「自分」をとりもどした。

わたしは昔から、地元の友だちに「ヤンキー」と(愛情を持って)呼ばれていた。正確には「真面目なヤンキー」だ。結婚していた頃は、もちろんそんな要素は0.0000001ミリもなかった。そんな自分は完全に殺して、自分の奥底のさらにまた奥底に葬っていた。でも、やっぱり、恋しかったんだと思う。「真面目なヤンキー」と呼ばれるような自分のキャラが、立ち居振る舞いや、あり方が、本来の「わたしらしさ」だったんだと思う。

離婚して帰国してから3〜4年くらい経ったくらいから(つまりは1〜2年くらい前)から、また周囲の人に「ねうって、ヤンキーよな笑」とか「絶対元ヤンやろ笑」って言われるようになってきた。「ヤンキー」と言われることがいいことなのか悪いことなのかは一旦置いておいて(笑)

わたしは素直に、うれしいなって感じる。殺してしまって、跡形もなく消えてしまったと思っていた「本来のわたしらしさ」が、ちゃんと時間の流れのなかで復活してきたということだから。


普段、わたしは今の自分に対して結構否定的というか「ヤバいんじゃないかな」「この歳でこれってどうなの?」っていう、不安や焦りをたくさん抱えている。

今の自分って、30歳になって子どもは5歳になって、でもまだ実家に住んでいて、親のお世話になっていて。仕事も頑張ろうと思ってはいるものの、自営業だけでは生活を成り立たせられていないから、アルバイトを掛け持ちして、なんとか毎月を乗り越えていっている。

なにしてんだろうって、いつも思う。

まわりを見渡したら、同級生たちはみんな定職についていて、収入もちゃんとあって。他のママ友たちは、そもそもみんなわたしより10歳くらい年上だから、仕事も精神年齢も、その安定感がぜんぜん違う。そもそもみんな、しあわせなのかは外から見たら結局わからないとはいえ、結婚していて、パートナーと協力して子育てしていて。同級生の子たちも、大好きな人と結婚しだしていて。子どもは、まだ地元の親友のなかでは1人だけかな。

30歳以降で子どもを産むって、結構理想だと思う。社会人経験をしっかり10年前後やって、貯金もある程度できて、精神的にもちゃんと大人になってから親になるのって、ぜんぜん違うんじゃないだろうか。いやでも、18歳とかで親になって、ちゃんとしてる人もたくさんいるしな。わたしが結局ダメダメなのか...

なんでネガティヴなスパイラルに入って、ズブズブと底なし沼に飲み込まれて、「もう無理です、わたしもう頑張れないです。ぜんぶ諦めて『やーめぴっ⭐︎』ってしていいですか(白目)」ってなったりしてたんだけど。


5年前の自分と今の自分の現在地を比べてみたら。

めっちゃ成長してるやん!!!!
偉すぎるやん!!!!!!!
もうほんまに!!!!素晴らしいよ、あんた!!!!!!

って、素直に思えた。

亀の歩みどころか、ナマケモノのほうが進んでるんじゃねえの?って思うくらい、なにも物事を前進させられていないと思っていたけれど。

そんなことはなかった。
なんなら、「跳ねる」しかできないコイキングから、ギャラドスに進化しかけてるくらいの成長じゃね?!(まだ進化してギャラドスになったとは言えないところが、まあカッコ悪いんだけど、そこはやっぱり、正直にいこう)

めちゃくちゃ、本当に、ちゃんと、すすんでいた。
それはもしかしたら、目に見える「収入」とか「キャリア」とかっていう、いわゆる「社会的成功」ではないかもしれないけれど。

そういう目に見える、数字として確認できる進歩や成長ではなくて。心が。ちゃんと。成長していた。

っていうか、そもそも5年前のわたしは、専業主婦で夫に養ってもらうしか生きる術がなくて、自分には才能もなにもないから、夫の暴力にも黙って耐えるしかないって思っていた。自分で生きていく力なんてあるわけないし、ひとりで社会に放り出されたら、速攻で死んじゃうって思ってた。

そんな自分が、個人事業主になって、こうやってSNSで発信をして、過去には月に50万の売り上げを立てられるようになったり、フリーで活動したりできるようになってるんだから。

「収入」とか「キャリア」とかって部分でも、ちゃんと成長してますわ。びっくりした。自分の頭を盛大にヨシヨシしてあげようと思う。(強めにヨシヨシ)


未来を見据えた状態での「今」だけをみてしまうと、自分の成長って気づけなくて。できてないところや、やれていないところ、ないものばかりに目がいってしまいがちだけれど。

5年前の自分は、なにをしていたんだろう?
どんな場所に立っていたんだろう?
5年前の自分と比較して、今の自分はどこにいるんだろう?

そんな風に、過去を起点として「今」を見つめると、こんなにも世界の見え方が変わって、自分に対する愛や肯定感があがるのかって。びっくりした。自分に対して、自信がついた。ちゃんと、頑張ってたし、ちゃんと、進んでた。


2017年のある日に、あの記事を書いてくれていた末吉さんに、心の底からありがとうって伝えたいです。

こんな風に、7年も前の言葉が、未来で誰かを救うこともあるんだ。その奇跡を、実感した体験でもあった。

だからやっぱり、書くことを続けていこうと思う。わたしも。「今更」とか「遅すぎる」とか思わずに。


5年後のわたしは、35歳。娘は10歳になっている。どんな人生を生きているんだろうか。どんな仕事や働き方をして、どんな人が隣にいて、どんな場所で、どんな風に日々を過ごしているんだろうか。

わからないけれど。きっと、5年後にこの記事を見返したとき。「ああ、あんな風に悩んでたんだなぁ。今のわたしは、あの頃に比べたら、こんなにも成長したんだなぁ」って、きっと思えるはずだから。

大丈夫なんだ。未来は絶対、大丈夫なんだ。
そう思えた。
胸が、心底、ほくほくしている。

迷うこともあるだろう。
自分なんてって思うこともあるだろう。
なにしてんだよ、自分、まじでクソだなって思っちゃうこともあるだろう(お口が悪い!)

それでも、未来の自分を信じることをあきらめずに、コツコツと日々を積み重ねていこう。未来の自分が、きっと、もっと素敵な場所に、今のわたしを引っ張っていってくれるから。




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