過去と現在のわたしの邂逅
ふと、過去に別のnoteのアカウントに綴っていた文章を読み返してみた。
匿名で、ただただ自分のために書き続けた文章たち。
もうあれから1年近くが経つんだなぁと感慨深かった。
1年前は、真っ暗闇のトンネルの中にいて、出口なんてどこにも見えなくて。
一番支えてほしい家族は理解してくれなくて。
それでも、守らなければいけない子どものために、歯を食いしばって、本当に死に物狂いで生きていた。
そんな当時の記録たちを、ざーっと眺めながら。
1年で、人はこんなにも変われるんだな、と改めて時間の流れのパワーを感じた。
不安や鬱やパニックは、本当に、それを経験した人にしかわからない壮絶な体験で。
その苦しさや恐怖は、言葉では表現しきれない。
何度もすべてを諦めて、もう生きることすらやめてしまおうかと思った。
電車のホームに立っていると、突然重力が押し寄せてきて、押しつぶされそうになって、ぐらりと揺れる身体が、そのまま線路に倒れこみそうになるのを、必死に腕に爪をたてて食い止めた日々があった。
嗚咽しながら、汗びっしょりになりながら、街中を、親友に手を握ってもらいながら、病院までの道を歩きながら、不安を吐露した日々があった。
苦しかった。
つらかった。
そしてなによりも、怖かった。
本当に、怖かった。
あのときの自分に、タイムスリップして会えるなら。
どんな言葉を伝えられるかな。
大丈夫だよって。
あなたはちゃんと、この暗闇を抜けられるからねって。
この暗闇で感じたこと、苦しんだこと、体験したことは、あなたの血肉となるからねって。
なにも、無駄にならないからねって。
1人じゃないからねって。
そんなことを、伝えるのだろうか。
当時のわたしにとって、なによりも心の支えとなったのは、実際に鬱やトラウマを経験して、それを乗り越えた実体験からの言葉をかけてくれる親友たちの存在だった。
体験からくる言葉に勝るものはない。
本当に、そう思った。
こんな言葉、今、暗闇の渦中にいる人にとっては、ただの綺麗事に聞こえるかもしれないけれど。
絶対に、大丈夫。
全部、最後にはちゃんと、うまくいくから。
ちゃんと、抜けられる日がくるから。
その進みは遅々として、ジリジリと気ばかりが焦るかもしれないけれど。
その葛藤や迷いのすべてを、「書く」ことにぶつけて、記録して、吐き出して、見つめてつづけてみて。
真っ暗闇のなかでこそ、気づける幸せや、人の優しさがある。
世界が怖くて、冷たくて、恐ろしかったとき。
同じくらい、日常のふとした瞬間の愛おしさや、友人たちの存在の尊さを知った。
たくさんの愛や、優しさに気づくことができた。
その経験は、絶対に無駄にならない。
経験値を貯めるためだけに、苦しめとは言わない。
そんな簡単なものじゃない。
それでも。
やっぱり、苦しみのなかにも、しあわせな日々には感じられない、たくさんの学びや美しさがあるのだと。
そんなことを、当時のわたしを抱きしめながら、伝えてあげたい。
大丈夫だよ。
1人じゃないからね。
ただ息をするだけのことが、あんなにも重たく、つらい時期に、それでも諦めずに、生き抜いてくれて、本当にありがとう。
あのときのあなたの苦しみや恐怖、涙たちは、絶対に無駄にしないからね。
たくさんの、愛を。
時空を超えて。
あの夏の、まだすこし幼かった、わたしへ送ろう。