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『スタートレック BEYOND』トレッキーによる悲喜こもごも。リブート版に足りないものとは?

新規ファンを獲得し順風満帆のスタートレックはどこに向かうのか?


※2017/8/17に旧ブログへ書いた記事の再掲です。


J.J.エイブラムスの新生『スタートレック』劇場版シリーズ。

その最新作が『スタートレック BEYOND』であります。


本作自体はけっこう面白く、映像の美しさや盛り上がる演出の数々には、シリーズ通して満足です。

しかしながら、スタートレックのファンとして思うところも多くありました。


そういう訳で今回は、2009年の11作目から始まったTOSのリブート映画シリーズ(以下、「AOSシリーズ」と呼称)、ひいてはスタートレックの劇場版シリーズ全体についても触れつつ、語ります。




※この記事は旧来のトレッキーから見た『スタートレック BEYOND』およびAOSシリーズ全体に対する所感です。

※私はスタートレックのファン歴20年ほどで、劇場版全作とTVシリーズの大半のエピソードは視聴しています。

※また、ネタバレを多分に含んでいるため、本作ならびに前作を未鑑賞の方はご注意を!




2009年、最初にJJ版「スタートレック」を見た時には、とても感激したことを鮮明に思い出すことができます。

なぜなら、それまでの10作のスタートレック映画には共通の慢性的な不満点があったにも関わらず、JJはそれらを見事に打ち砕き、ブレイクスルーしてくれていたからです。


というのも、それまでのスタートレック映画はお世辞にも『ファン以外にお勧めできる映画』とは言えない作品ばかり。

端的に言って『ファン以外お断り』の色が非常に濃いものでした。


広大な宇宙を舞台にしたSF映画でありながら、アクションや戦闘シーンが少なく、冗長なものが多い。

もちろん面白い作品もありましたが、その面白さは『TVシリーズを知っている』ことを前提とした『おなじみのキャラクターが織りなすドラマ』の面白さに大きく依存していました。


このことはたぶん、本国アメリカでは大した欠点にはならないのかもしれません。

長年にわたってTVドラマが放送され再放送も繰り返しされているシリーズだけに、幅広い年代のファンが沢山いて、その知名度にまかせてキャラクターの魅力で持っていける…きっとそうに違いありません。


しかし我が国でのスタートレックの立場は、深夜放送やケーブルテレビで放送されるマイナー海外ドラマの一つでしかなく、一部のファンを別にすれば、世間一般的にはそうした効果はまったく!望めないのです。



参考までに、JJ版以前の作品を例にとって説明しましょう。


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劇場版1作目『スタートレック(TMP)』では、ほぼアクションシーンは皆無。何も起こらないシーンが長く、初見の人は退屈すること請け合い。

大オチのネタ自体は悪くないのですが、いかんせん映画自体が『2001年宇宙の旅』を意識したような冗長な作りです。((スポックがヴィジャー内部に突入するシーンはかなりのデジャヴ!))

有名SFXマンを起用した特撮は素晴らしい出来ばえでしたが……とてもではないが、初見の人に自信をもって勧められる作品ではありませんでした。


7作目『ジェネレーションズ』もその傾向が強く、2つのTVシリーズを知らないと魅力は半減。

せっかくスクリーンデビューした次世代の主役艦に用意された最大の見せ場は『撃沈され不時着するシーン』という残念加減。

クライマックスの戦闘シーンは『初老のオジサン3人が岩場で延々、くんずほぐれつ肉弾戦』という有様でした。


『アクションに力を入れた』と喧伝していた10作目『ネメシス S.T.X』ですらも、他のSFアクション映画の基準では地味な部類になるでしょう。


※ちなみに私は上に挙げたどの作品も大好きです!誤解のなきよう。


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さて、そういったシリーズの状況に風穴を開けたのが、JJ版の『スタートレック』でした。


何が画期的だったのでしょうか。



まず第一に、この作品は『TVシリーズの視聴を前提としていない』初の映画だったのではないでしょうか。

初代TVシリーズのリメイクではあるものの、物語はゼロから始まるので前提知識は不要!

何も知らずに見たとしても楽しめます。


そして第二に、『映像の美しさとアクションシーンの迫力!』

それまでのシリーズを圧倒的に凌駕する「宇宙船の巨大さ、力強さ」「ワープの超光速のスピード感」「スケールの大きな破壊シーン」が、重厚感のあるCGIで描かれていました。

今っぽいカメラワークに、ネタにされる「レンズフレアまみれ」の画面も、きらびやかとしか言いようがない…!


かくして、待ち望んだ『シリーズ初見の人でも楽しめるスタートレック映画』が誕生したのです!

長かった・・・。

まさに私にとって、待望の作品でありました。



そんな興奮をさせてくれたAOSシリーズは、めでたく世間でも受け入れられヒット。

以後、『イントゥ・ダークネス』そして『BEYOND』と、シリーズを重ねてきました。


どの作品も面白い。

爽快感もあるし、見終わった後の満足感もある。

旧作ファンへのサービスや、オマージュ要素もある。


しかしAOSシリーズを見ていくにつけ、私は新たな違和感に苛まれるようになってきたのです。




その違和感とは、『AOSシリーズはスタートレックの魅力の、ほんの一面しか切り取っていない!』という違和感です。

『古参ぶるな!』『好きなシリーズに面白い新作が出ているんだから良いじゃないか』と言われれば、それまでです。私の感想は、ただのゼイタクなのかもしれません。


しかし、この問題を無視してはスタートレックというコンテンツの今後を憂うことになってしまいますので、語らせて頂きます。




この違和感について説明するには、スタートレックというものの魅力を見つめ直す必要があります。


私の考える「スタートレックの魅力」

①個性的なキャラクター

②キャラクターの織りなす人間ドラマ(我々の生きる現実にも通づる)

③前人未到の宇宙へ乗り出す、冒険ものとしてのワクワク感

④異文化や異質なものと出会い、共存していくテーマの知的な面白さ

⑤エピソードごとの風刺性、普遍的なテーマ性

⑥根底に流れる、『人類は何でも乗り越えて進歩できる』という楽観的な哲学

⑦以上の魅力を裏打ちする、ユニークなメカや科学理論、言語、世界設定



このように、魅力は多岐にわたります。


一つ一つに関して、AOSシリーズにどう当てはまっているか見ていきましょう。



①個性的なキャラクター

これは文句なく、OKでしょう。

TOSの下敷きがあるとはいえ、AOSシリーズ版のキャストも十分に魅力的で、良いキャラクターに成長しています。

3作続いたことで主要クルーがすでに「おなじみのメンバー」になっているのも高ポイントでしょう。

(※それだけに、アントン・イェルチェン氏の訃報は尚更つらいものがありました…)


②キャラクターの織りなす人間ドラマ

これは映画という上映時間の制限がある中で、健闘していると思います。

ただBEYONDに関しては、前2作に比べて一貫したドラマ性という意味では弱かったと思います。


③前人未到の宇宙へ乗り出す、冒険ものとしてのワクワク感

これ!

一番問題にしたいのは、この点です。

AOSシリーズの元となった元祖シリーズ(通称TOS)の最大の魅力はこの点だったと言っても過言ではありません。


前人未到の宇宙を旅し、宇宙の様々な怪奇現象に遭遇したり、新たな文明と出会っていくワクワク感…。

これがJJ版には大きく不足しています。

ためしに、AOSシリーズの各作品を振り返ってみましょう。


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・1作目では、バルカン星と地球の間を往復して、地球周辺で決戦。

(バルカンは惑星連邦の創立メンバー。いわば、1作目の事件は連邦の庭先でのこと。)


・『イントゥ・ダークネス』では未知のクリンゴンの母星に行くものの、すぐに離脱。結局は地球に戻って決戦。

しかもストーリーの核は惑星連邦の内部の陰謀です。


・そして『BEYOND』では、エンタープライズは5年の深宇宙探査任務に出たものの、惑星連邦の宇宙ステーションを起点に話が進み、最終的にはこのステーション内で決戦。

しかも敵役の正体は惑星連邦の内ゲバ問題。


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…このように目下、AOSシリーズの各作品は、「地球にほど近い庭先で」もしくは「地球人の内輪で」ドンパチやっているだけなのです。

これでは、冒険のワクワク感があるとは言い難いでしょう。

2,3作目は冒頭でちょっとだけ異文化との邂逅を描写していていて良かったのですが、そのくだりはすぐに終わってしまい、とても口惜しい…。


TOSのファンは皆、カーク船長率いるエンタープライズ号が5年間の調査任務を通じて、数多くの意味不明な存在に出会い、そのたびに間一髪の危機的状況や、驚きの新発見を経験していることを知っているのです…!

それを見られないのは、じつに口惜しいことです。



④異文化や異質なものと出会い、共存していくテーマの知的な面白さ

これも③と同じ理由で、ほとんど欠けているといっていいでしょう。

異文化や異質なものと出会い…って、ほとんど出会っていないし、ろくにコミュニケーションもとれていませんからね!


⑤エピソードごとの風刺性、普遍的なテーマ性

これは、あえて言うなら『普通の映画並み』でしょう。

スタートレックにつきもののテーマ性、鑑賞後の余韻のようなものは、あまりありません。


⑥根底に流れる、『人類は何でも乗り越えて進歩できる』という楽観的な哲学

これは継承されていると言っていいでしょう。


もともと、スタートレックの世界観は「人種差別」「性差別」「職業差別」「貧富の差」などがかぎりなく根絶された、理想的な人類社会を描いています。

人類は、戦争や異星人とのファーストコンタクト、宇宙国際社会へのデビューと、順当にステップを踏んでいく過程で、そのような些細な問題は根絶し、洗練された文明人になったというワケです。


時には人類よりもはるかに進化し、全知全能のような力を持った存在も何度も登場しますが、それらも『ただただ理解不能な、超絶的な何か』ではなく、『いずれ人類も到達しうるレベルに、先に到達している先達』という描き方が一貫しています。


『人間の知性と理性と勇気をもって事にあたれば、いずれは全てがうまくいく』という、そこだけ聞いたら呆れてしまうほどの楽観主義が、スタートレックの根底にはあるのです。

だからこそ、シリアスな話や重いテーマを扱うことはあっても、お先真っ暗だと絶望することがない。

このポリシーは、JJ版でも継承されていると言えると思います。



⑦以上の魅力を裏打ちする、ユニークなメカや科学理論、言語、世界設定

AOSシリーズがとくに注力しているのが、これらの設定を圧倒的な説得力と迫力をもってして映像化するという部分でしょう。

実際それは成功しており、特にメカの描写の格好よさは出色です。


ただ、従来のスタートレックシリーズでは、これらは大きな魅力ではあるものの、本質的には他の要素を成立させるための舞台装置、いわば「飾り」に過ぎなかったと思います。


微妙な表現ですが、

『メカ愛好家が、カッコいい宇宙船をカッコよく活躍させる話を作ろうとした』

のではなく、

『舞台装置として必要だから宇宙船があり、そのデザインがユニークだった結果、メカ単体としても有名になった』

というわけです。


スタートレックにおいて、メカやバトルが作品の主軸でないことは、シリーズのファンの多くが納得するところだと思います。

実際、原作者ジーン・ロッデンベリーが存命中に制定したガイドラインでは、

『劇中で艦隊戦をさせてはいけない』

とか、

『惑星連邦製の艦船は全て「科学調査船」であって、戦闘目的ではない』

といったことが規定されていたと聞きます。


だから今までのシリーズでは、フェイザー砲は地味な細い光線、光子魚雷は光る豆粒がちょっと爆発を起こすだけ…という程度の描写でよかった(?)のです。


メカやバトルをフィーチャーした結果、魅力のいくつかを切り捨てた。

AOSシリーズはまさに、この点が画期的でもあり、諸刃の剣だったとも言えましょう。




問題なのは、この傾向が今後も続いていくのかどうかです。


スタートレックの冒険ものとしての側面や風刺性を愛する者として、この方向性がエスカレートしていくのは実に悲しいものです。


私がこれほど懸念するのには理由があって、先に挙げたようなロッデンベリーの"ルール"は彼の没後、破られはじめて久しいのです。


90年代以降、惑星連邦初の『戦闘艦』であるディファイアントが登場し、ドミニオン戦争という大規模な艦隊戦も描いてしまった。

ボーグという、人類とは絶対に相容れない凶悪な存在も登場してしまった。

エンタープライズも戦闘的なE型へと進化して、『ネメシス』では敵の巨大戦艦と対決。

さらに、(私は未プレイですが)ゲーム『スタートレックオンライン』では、劇中の年代がさらに下ることもあり、さらなるパワーを持った新型艦が多く出てきていたようです。



この傾向が長年続くことによって、あらたに取り込むファン層もカッコいいメカや派手なバトルを愛するようになっていくでしょうから、コンテンツとしては最早、後戻りできない状態になってしまうのではないか…。

スタートレックが『ドラマに満ちた星間冒険旅行もの』ではなく、『宇宙戦争もの』になる日が来てしまうのではないか…。


そんな心配をしてしまうのです。

まったく杞憂であってほしい のですが。

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エモくない映画分析 / 股旅ナスカ
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