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うつ治療中なのに新しい命を授かった

※2020年11月にブログに書いた記事の再掲・加筆修正版です。


うつの治療を続けているのだが、半年後に子供が生まれることが分かった。


そもそも私のうつは、結婚、引越し、思い入れのある愛車の売却…などの人生の大事件が連続したことに続き、さらに仕事上の繁忙期が重なって、感情がオーバーロードしてしまったことに端を発する。
一度に襲いくる人生のプレッシャーに耐えられなかったのである。


一時は症状もひどく、どん底かと思ったが、ここ数カ月、身体的な症状はかなり軽くなってきた。
いちおう復職もして、勤務時間を融通させてもらったり、テレワークの日を織り交ぜたりしつつも、快復傾向をたもつ程度に仕事ができている。ありがたいことである。


そんな矢先、妻のお腹に命が宿った、と分かった。

こんなに嬉しいことがあるのか。

今までの人生で感じたことのない喜びを味わっている。

しかも、従来であれば、子供なんて授かろうものなら、責任の重大さからくる強烈なプレッシャーを感じていたところだった。それが、今の自分は「純粋に子を授かることへの喜び」を感じられている。この事実にも内心で驚いている。

もともと私は長男であるし、姉さん女房をもらって、年齢的にも高齢出産にさしかかってくることから、親族からの『赤ちゃんはいつ?』的な期待と願望と無責任と催促が入り混じった、身勝手この上ないハラスメントを受けていたのである。
それに加えて私がうつになったことで気力減退し、収入も下がり、さらに追い詰められた気がしていた。『子供ができる』ことはプレッシャーの一因でもあったはずだった。


しかし、うつから立ち直る過程で、私の心境にはかなりの変化があった。

自分の意志でコントロールできる事象は『今現在の自分』だけであること。

だからこそ、誰しもが互いを尊重し、支えあったり拒んだりして、どうにか生きていること。

人の数だけ人生があり、人生は選択の連続であること。

自己完結していた世界は広がり、精神的な自立に近づいている、ような気がする。何のことはない、療養中に勧められて呼んだ、アドラー心理学の本の受け売りではあるのだが。


そうして前向きになった結果、愛する妻との子供ができることが純粋に嬉しい。

親としての勝手な言い分だろうが、こんな時期に子を授かったことに、一種のめぐり合わせを感じてしまう。


妊娠が確定した時点で、妻はすでに安定期に入っていた。子供の性別も、検査の当日すぐにわかったほどである。
つわりもなく、体調の変調も少なく、驚くほど「のほほん」としている。
意識低い系の妊婦さん、誕生である。


検診を受けたのが遅かったため、予定日まであとわずか半年。

お産のために妻は里帰りしたいという。

考えるべきこと、やるべきことが山積みだ。

たぶん、これからノンストップの毎日が続くのであろう。


願わくは、この子がぶじに生まれてきてくれること、健やかに育って、精神的に自立する大人になってくれることを願う。

そのために、私がつぶれるわけにはいかない。妻と子供を大事にするためには、自分のことも大事にせねばならないのだ。

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エモくない映画分析 / 股旅ナスカ
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