子どもが大きなけがをした日④
③からの続き~
なんだかあれからだいぶ時が過ぎてしまって、いろいろ忘れつつあるけど、
とりあえず途中まで書いてあったので更新してみます^^;
病院からの帰り道、そういえばあの子も前にケガして縫ったって言ってたね~、どれぐらいで治ったって言ってたかな~、何針だったかな~、なんて娘と一緒に友達がかつてしたけがの話を思い返して、”縫い仲間”を探し合った(笑)。
幸いにも大事には至らなかったわけだし、きっと過ぎてしまえば笑って話せることなのだろう。そう思いつつも、まだショックと疲れが二人とも残っていて、夕食の時間はやや過ぎていたがごはんなどとても食べれる気がしない…という感じだった。
家に着いたら着いたで、家のカギが見当たらず、またしても大騒ぎしたりもした。病院に電話までしたりしたけど、結局車の中に落ちていた(笑)。まさに半ば放心状態だったのだろう…。
夫も急いで帰ってきてくれたので、一緒にバタバタと夕食の支度をして、娘は「おかゆぐらいしか食べれない」というので、おかゆだけ食べさせる。
娘が生まれてから、縁あってホメオパシーとも出会い、自然療法とともにホメオパシーにもお世話になっている私だが、セルフキットの判断で迷うときには、ありがたいことに近くにいるホメオパスの友人に相談させてもらっている。
でも今回はなんだか相談する元気もなくて、とりあえずアコナイトとアルニカはあげたから、またアルニカをリピートしてもいいし、切り傷・縫合のケアならカレンデュラかな…とか、マテリアメディカをみながら自分で決めて、またレメディをあげてから寝かしつけた。
娘の友人やそのママたちからも連絡をもらい、心配してくれている各所に連絡をして、私もやっとほっとした頃、夫と今日のことを振り返って話していたら、やはり泣けてきてしまった。
どういう感情なのかよくわからなかった。守ってあげられなかった…という気持ちもわずかにあったが、そういった自責の念はそこまで強くなかった。(まあ、誰でも防ぎようのないことだったと思う)
我が子に降りかかった災難、といっても誰の過失でもなく怒りを感じる出来事では一切なかったのは幸いだったけれど、なぜこんなことに…と思う気持ちは消えず、やるせなかった。
痛みと恐怖で震えている娘の姿も辛かったし、よりによってケガの場所が顔、というのも辛かった。
私もアルニカが必要だな…とレメディを摂る。
何が私にとって辛いのだろう…と、よくよく自分の中を観察してみると、思い当たるところがいくつかあった。
基本的には多少危ない目に遭ってでも、やりたいことや冒険はしたほうがいいと思っている私だが、でも、そのための基盤(基礎的な身体能力とかバランス感覚とか)がそこまで自分自身にも整っていないし、娘にも整えさせてあげられてなかったという自責、、
事故的なものは一種の罪悪感が引き起こす部分もあると私も感じているので、私の中にまだわずかに残る、いろんな罪悪感…
そして、顔、や美醜、というものへの執着。
もういらないものを、
手放したと思っていたはずのもの、残りかすを
本当に根こそぎ取り去る時期に来ているのだろう…。
<年明け追記>
はああ…
やっと今こうして整理して自分を俯瞰できるけど、しばらくはそれどころじゃなかったな…
おかげさまで5日後ぐらいには抜糸もでき、
その後の冬休みに控えていていた娘の長期キャンプや、私自身の旅行にも間に合い、無事母子ともに出発できたのでした…!
まだわずかに残る眼鏡のフレームによる圧迫痕と、縫い跡は、日に日に薄くなりつつあり、かわいいお顔も元に戻りつつあります(笑)。
読んでいただき、ご心配いただいた方々、ありがとうございました!