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引き算の時代

 ゴミはなるべく出さない。地元の野菜を買う。家電は壊れるまで使う。電灯は全てLEDに替え、こまめに電源オフ。還暦を過ぎて、エコ生活に加速がついてきた気がする。

 思えば20世紀は足し算の時代だった。右肩上がりの戦後経済の中で育った世代の私は、大量生産大量消費の中、あらゆるモノを増やしていくことが「正義」という人生を過ごしてきた。

 世紀末には、足し算どころか掛け算のような浪費が積み上がり、結果として大きな負の遺産が積み上がった。なので、今のエコ生活はどこか後ろめたさが付きまとう。負債への慙愧の念かもしれない。

 そして21世紀は引き算の時代になった。いつのまにか親の不動産は財産から負債に変わり断シャリや墓じまいが必然になった。時代とともに価値観は変化する。人々の暮らしも家族の在り方も、政治・経済、宗教や哲学も例外じゃない。

 ただ人は簡単に変わらない。特に足し算の時代に青春を過ごした私の世代は、時代を引きずり、変化の足枷になっている。残念ながら私の世代の大人が今の社会の背骨となっている。化石の背骨だ、とてももろい。

 今の世代はとても賢い。進化したというべきか。ITの後押しもあり、モノに頼らずうまくココロの充足を計る術を構築している。もちろん課題は多いが、行き過ぎへの制約や、闇へのガード等、社会制度がもう少し追いつけばココロのエコシステムが出来上がるのではないか。

 二十歳を過ぎた息子は車に興味がない。成人しても免許を取らない若者が多いようだ。私の世代には考えられない。「流行のモノ」への胸を焦がすような渇望感の時代は過ぎ去った。生物は進化をする、進化を止めればその種は絶滅する。若者世代の価値観の変化は時代の必然かもしれない。

「足るを知る」ということわざがある。仏教用語だが、「SDGS」とセットにしてもいい言葉だ。「足るを知る」が苦手な私たちの世代こそ、「引き算」の修行生活にチャレンジしなければいけないのだろう。

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