「あなたは『人から手紙をもらう才能』でもあるの?」と尋ねられて気付いた”光らないコミュニケーション”の話。
アルバイトをしていた学生(男)が、就業最後の日に手紙をくれました。
仕事場で同じ時間を過ごした回数や長さはそれほど多くない彼。取り立ててたくさん話をしたこともない(ような気がする)・・・。なのに何故?と思いながらも受け取り、家に帰って読ませてもらいました。
彼の手紙には、
・仕事をしている時の私を見ていて感じたこと
・私の人(同僚やお客)に対する振る舞い方・姿勢について感じたこと
・モノの見方や工夫の仕方が少しみんなと違っているように思えたこと
・それがとても勉強になったこと
などが、丁寧な字で書かれていました。
手紙を読み終え、封筒にしまい、ぱたっと閉じて数秒。
誰かに、自分だけのために書かれた手紙をもらうって、幾つになっても嬉しいものだな、としみじみ思いました。
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その日の晩、「今日こんな嬉しいことがあったんだよ」、と奥さんに話しをすると
「なんかこういうこと、前にも何回かあったような・・・。ほら、まだA社にいたころは〇〇さんとか△△君からももらってたし、B社の時の◇◇さんなんてわざわざ写真付きのを・・・」
そういえばそう、忘れていました。
「ん?というか、考えたら今まで結構いろいろな人にお手紙もらってない?なんでそんなに沢山もらえるの?なんで皆わざわざ(あなたに)書くわけ?そういう才能でもあるの?」
たしかに私が職場を去る時だけでなく職場を去っていく人からも、メールやLINEではなく直筆の手紙をもらうことが過去何度もあったのです。
彼ら・彼女らはそれぞれ年齢も性別も、当然キャラクターもバラバラなのですが、何故かみんなが手紙をくれました。しっかりとしたボールペン字で書かれた手紙、一度鉛筆で下書きをしたことがうかがえる手紙、イラストやシール付きの手紙・・・色々です。
彼らに共通点がない以上、私の側に何か共通の態度や言動があったのではないだろうか・・・。何かを彼ら、彼女らの内側に残せたんだろうか・・・と思い返してみました。
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私がその人たちしていたことは、普段誰に対してもしていることでした。
・自分なりの工夫を見せ、その時考えていることをそのまま伝えた(たとえそれが思いつきや、ちっぽけなモノであっても)
・静かに、自分を”見せ過ぎない”ように、ポツリポツリと話した
思い当たるのはそれくらいで、取り立てて変わったこともないです。
むしろ一般的に言われる「職場でのコミュニケーションのノウハウ」(ボディーランゲージ等の非言語表現、結論から話す、論理的な思考と説明、相手の成長をイメージする、自信をもって伝える 等)のようなものではありません。何故ならそんな風にできないからです。
代わりに「その人だけ」に話しをしていたことが良かったのかもしれない、と気づきました。ノウハウの実践や、自分自身のスキルアップなんて考えずに。
例えば私は性格がいい加減なので、時々自分にとっての損得ですらどうでもよいと思ってしまう方なので、人に何かを説明したり教えたりする時、かかる時間やその後の成果についてあまり考えません。
だから、こんなこと考えながら仕事しているよ、自分なりに思いついたからやってみようと思うことはコレなんだ、ということを出し惜しみもためらいもなく話してしまいます。
真似されようが、あまりちゃんと聞かれていなかろうが、構わないしどうでもいいのです。
そして、ハキハキと明るく強く、わかりやすく話をすることが苦手です。たとえばドラマの主人公のように、ペラペラと口から言葉が出ません。
そのため、頭の中で自分と話しをしながら言葉を吐くことしかできない。伝えながら確認し、確認しながら伝えるので、ポツリポツリと静かに話をするのです。伝えるときの声も、その人に聞こえるだけの声であれば十分だ、と思っています。
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考えを巡らせても、手紙をもらう才能なんてもちろん見当たりませんでした。ただただ出し惜しみをせず、その人のためだけに弱く小さく話すだけ。
もしもこの、地味でまったくキラリと光らないコミュニケーションが、彼ら彼女らの内側に何かを残すことが出来ていたのだとしたら、それはそれは嬉しいことですし、そんなこともあるんだなぁと、人間関係の一つの面白さに気付けたように思います。
(巷のコミュニケーションをテーマにした書籍やセミナーで話されていることと遠く離れすぎていて、ちょっと変な感じですが)