【創作論】声なき声を聞け─違法利用と、新時代の出版戦略─
当記事について
あらすじ
2021年12月24日。ひとつのニュースがネット上を駆け巡った。漫画家・赤松健が、自身の漫画を無断掲載した海賊版サイトに、広告を出稿した代理店に対して、損害賠償を起こした裁判に勝訴した、というのだ。
さかのぼること3年前。「漫画村」という海賊版サイトが大きな話題となった。今回の訴訟はそういったサイトに対して「広告代理店が広告を出せないように牽制する」意味合いも強いものだ。
「海賊版サイト」と「違法利用」。これらは何も今始まった問題ではない。そして、今年に入り「漫画BANG」という新たな「海賊版サイト」が話題を集めた。問題はまだ、解決していないのだ。
出版社をはじめとするあらゆる業界人はこういったサイトに「訴訟」を起こすという「モグラたたき」をしようとしている。しかし、本当にそれだけでいいのか。そのモグラたたきは、終わりの無い「いたちごっこ」ではないのだろうか。
本稿では現在までの違法利用の経緯を踏まえた上で、「新しい時代の出版戦略」についての仮説を提示する。これが完全な正解とは限らないが、本稿が一連の問題に対する対策を議論するきっかけとなるのであれば、これ以上嬉しいことはない。
それでは、「新時代の出版戦略」を模索する旅路に出発するとしよう。
本文
0.はじめに
2021年12月24日。ひとつのニュースが飛び込んできた。漫画家・赤松健(以下赤松)が、自身の漫画を無断掲載した海賊版サイトに、広告を出稿した代理店に対して、損害賠償を起こした裁判に勝訴した、というのだ(※1)。賠償金額は1,100万円で原告側の要求全額を支払うべきとの裁定だった。
これをどうとらえるかは人によるだろう。当たり前ではあるが、この支払い命令通りの金額が今すぐに支払われるかはまだ分からない。現在は地方裁判所レベルでの闘争だ。記事では、広告代理店側の主張は記されていないが、これから控訴などの可能性もあるとすれば、もう少し時間がかかるだろう。
「漫画村」が問題になったのはおおよそ4年から5年前である。その騒動に関する立ち位置は、以前に「違法利用との接し方-「漫画村」騒動から得るべき事とは-(以下「漫画村騒動」)」で述べているので今は割愛したい。
ここまでの経緯や、これまでの時間を考えれば、実際に金額が支払われるまでに恐らく5年はかかったことになるだろう。単純な割り算でしかないが、1年あたりの収入は200万を少し超えるくらいだ。
これから闘争が長引けば長引くだけ、その額面は段々と平均化され、そして、少なくなっていく。赤松が自身の活動について全てを語らない限りはその内実は分からないが、その額面に彼の苦労は見合っているのだろうか。自分はそうは思わない。
はじめに書いておけば、自分は別に「もっと多くの損害賠償額を」という主張をする気はさらさらない。そのあたりの額面については赤松も「どれくらいならば請求できるか」という額面の最大値を探ったはずだ。これよりも大幅に大きい金額を要求するのはそこまで容易なことではないのだろう。
で、あるならば、そのコストパフォーマンスははっきり言って悪いように見える。もちろん、今回の法廷闘争は別の意味も持っている。「違法なサイトには広告を出させないぞ」という意思表示だ。
そういう意味では金額以上に利益はあったと言えるだろう。従って赤松はその「広告代理店牽制代」として1,100万円という金額を受け取るのだ。額面上は「違法利用されたことによって発生した不利益」に対するものだが、実情はそちらの意味の方が大きいだろう。
当たり前の話であるが、「漫画村」を代表とする違法利用をされている漫画作品は赤松のものだけではない。そのため、本来ならそのすべてに対して賠償が行われるべきだが、そういう論調は出てこない。
相手方にその支払い能力が無いというのもあるだろうが、これでは結局大半の作家は得るものが何もない。今回の裁判で認められたように「違法利用で不利益が生じていた」と仮定するならば、彼ら彼女らは「不利益が生じたまま」だ。
さらに掘り下げる。今回の法廷闘争の原告は赤松だ。これがそもそも不思議なのだ。
当たり前だが、赤松は漫画家だ。違法利用などのネットに詳しい専門家ではない。赤松自身それなりに勉強はしてきたのだろうが、そもそもそれらの勉強と、訴訟は「出版社」がやるべきだ。だが、そういった論調は出てこない。
本題に入ろう。今回行われた法廷闘争には確かに意味があった。違法サイトに加担する「広告代理店」を牽制するという意味では成功を収めたと言っていい。その点においては赤松は評価されてしかるべきだろう。
しかし、事はこれで終わりではない。そもそも違法利用というのは「漫画村」のようなサイトだけではない。
時には発売されたばかりの最新巻が、その日にネット上に上がっているという例もある。媒体は違うが、深夜アニメと呼ばれる番組は、一両日中にネットのどこかには「上がっている」のが実情だ。そして、この事実は恐らくこれからもなくならない。
以前、自分は「漫画村騒動」にて、「不毛な戦い」はもうやめるべきだという結論で締めくくった。あれから実に4年が経とうとしている。残念ながら、出版社をはじめとした「出版物に携わる多くの人々」のマインドはその時のままのように見える。
彼ら彼女らはこの4年間実に「ハイリスクローリターン」の戦いをずっと続けてきているのだ。広告代理店への牽制という意味を持った今回の闘争は必要かもしれないが、「違法利用」のケツを追いかけ続けるのはもうこのあたりでやめにしておくべきなのだ。
それよりも重要なのは「声なき声を聞くこと」である。サイレントマジョリティーというものだ。「漫画村」の一件はその「声なき声」の存在を詳らかにしてくれたのだ。
にも拘わらず未だに「違法利用」との不毛な戦いをし、一体日銭でどれくらいになるかもわからない賠償金を追い求めている。冷酷な表現に聞こえるかもしれないが、それくらい「ハイリスクローリターン」なのだ。
それよりも、今までずっと見えにくくなってきた「声なき声」、いや「購買に至らない読者」をどれだけ「収益に繋げるか」が大切なのだ。
断言しよう。違法利用を根絶することは出来ない。以前に「漫画村騒動」で書いたことでもあるが、あれは「クラスの田中君」に借りていた漫画が、「隣の県の田中君」にデータの状態にしてもらって「借りている」のと同義なのだ。言ってしまえば後述する「デジタルネイティブ世代」の貸し借りに近いと言っていい。そのレベルのものまで根絶するのは無理だ。
仮に出来たとすれば、それは最早私権制限や人権侵害など、創作や著作権を乗り越えた、越権行為がまかり通る状況がなければならない。そして、そこまでしたとして、彼が「取られちゃったから買うか」とはなりにくいのが実情だろう。
ネットが勃興し、比較的コピーが行いやすい音楽という分野で違法ダウンロードやコピーが横行し、電子書籍が台頭し、「漫画村」が勃興し、滅亡していく。それ以外にも様々な「気が付ける瞬間」はあったはずなのだ。
それ以外でも大小さまざまな「コピーされる危険性」に気が付けるフェーズはあったはずだ。その瞬間から「漫画村」が勃興する可能性に備え対策を練ることは出来たはずだ。その取り組みを出版業界は怠ってきたと言っていい。
そして、現実に「漫画村」という事実を突きつけられてなお、彼ら彼女らは胡坐をかいている。鎖国をしていた日本に黒船が来日して、その圧倒的な技術力の差を見せつけられてなお、戦おうなどと考えていた人間がいるのと同じだ。しっかりと精査し、勉強し、出版ないし創作の未来を真摯に考えているのであれば、そんな考えは起きないはずだ。かれらのメンタリティは竹やりで戦闘機が落とせると本気で考えていた人々と大して変わらない。
前置きが長くなった。本稿は「声なき声」を聞くためにはどうすればいいのか、という仮説を歴史や事実を踏まえた上で、述べるものだ。
先に断っておくが、本稿の結論が必ずしも正解ではないと考えている。しかし今重要なのはそんなことではない。本稿を読んだうえで、「そうだな」でも「違うぞ」でも感想を抱いたのであれば、それで構わない。出発点はそこからでも全然いいのだ。
ただ一つだけ断言をする。今、「声なき声」に耳を傾けなければ、傾けなかった時間の文だけ、後々ツケを払うことになる。
これに関しては詳しいことを後述するが、所謂「漫画村」の利用者はデジタルネイティブと呼ばれる世代が中心だった。そしてこの世代は今後増えていく。
言葉を選ばずに言えば「声なき声」はどんどん生まれてきて数が増えるが、今出版社が目を向けている「購買者」はこれからどんどん死んでいく。先のことを考えるのであれば、今方針転換をしておかなければならないのだ。
「声なき声」はやがてマジョリティになる。そうなったとき産業がどうなるのかはもう考えるまでもない。斜陽の「時代遅れ産業」となるのだ。時代の変化についていけずに必死に必要性を訴えるハンコ業界などが滑稽だと笑いものにされることがあるが、その滑稽な姿が、未来の出版業界の姿になりかねないのだ。
最後になるが、本稿を読むのは長い道のりになると思われる。なので、各ページごとに「まとめ」を付記しておきたい。本稿を読むうえでの一助となれば幸いだ。
それでは、「違法利用」と「声なき声」、更にはその先にある「新時代の戦略」を確認する旅路に出かけるとしよう。
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