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不登校の妹の言葉

不登校になって、2年半、山あり、谷ありっていう言葉では表現できないくらい、どん底はどこまで下があるのかと感じた毎日でした、いや、毎日です。
受験勉強で忙しい友達を横に、起きてるだけで偉いねって、心の声を隠して言っていたけど、最近は「今」が楽しい方がいいのでは?と本気で思うようになった
時々、そう思えない時もあるのも事実ですが😅




「不登校はギフト」っておちょくってるの?


時々、「不登校はギフト」なんて言葉を何度かみた
正直、何言ってるの?

それ言える人は、再登校してるんでしょ!
もう終わったからそう言えるんでしょ!!
バカにしてんの?と思ったりしていた。

不登校になったばかりのころ、人の目ばかり気にしていた
バレたらどうしようと思って
登校していく子どもたちを直視できなかった

同じ学校に行く子どもの学生バックを背負う学生とエレベーターで一緒になり、ボロボロに使い古しているのを見て
真っ新の状態の子どものバックとの違いに
涙したりしていた。

不登校になって、家族が真っ暗の中
旦那は私たちを置いて、単身赴任
ワンオペ、そして私も眠れない日々
不登校の子どもは1日15分も起きていられない状況

半分寝たきりの娘の横で
泣きながら、足のマッサージをしたり
一日中、ネットの検索をしていた

地獄だった

明日が来るのが怖かった
明日がなぜ来るんだろう

ずっと私も眠ったままならいいのに
夢の中で生きていれたらいいのに
現実が怖くて仕方なかった

何度も、非常階段で声を出して泣いて
足をかけたこともある
カラスが泣いて私をずっと見つめていた

毎日が怖くて、希望がなくて
怖くて怖くて怖くて・・・・
気がつけば、鬱になっていた

自分で自分が怖かった
気を許したら、本当に飛び込んでしまうような
自分で自分が止めれない時があった
2度ほど、クローゼットで首にネクタイを巻いたことがある
もちろん、今生きているので未遂
目の前が真っ白になるのを感じた


わたしを生きさせてくれた存在



わたしにはもう一人、子どもがいた
今思うと、下の子がいなかったら
きっと、明日を生きるのを諦めていたように思う

泣き叫んで、死にたいと言ったこともある
そんな時、
小学3年生のもう一人の子どもが放った言葉で
私は目覚めた

⚪️⚪️⚪️のために、死のうと思うなら
私のために生きようとしてよ」

雷に打たれたような
そんな瞬間だった

寝続ける姉と鬱の母の間で
一人、正常な考えを持ち
朝起きて、学校に行き
習い事も自分で行って
夜ベットに一人で入る

恐ろしいほど、普通に過ごす小学3年生

私が生きているのは、この子のおかげなのである

どんなに辛くても、学校に行こうとしている
きっと私の泣く姿を見たくないんだと思う
受験も私のためにしようとしているのかな
勉強が好きではない
でも受験をするらしい

この子の本音はわからない
ただ、家族の中で誰よりも強い子になっている

そういう意味で
家族は周囲はいろんな学びをしている
しなくても良い修行かもしれない
でも、これ以上辛いことはないのではと
そう思う3年間

ギフトなのかな
ギフトにしていかないといけないんだと思う
そうして生きていくと
人として輝きを増すのかもしれない


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