曦宗達日記(2020年12月)
二〇二〇年十二月三日
「どうして小説を書くことに拘る。」
「後悔したくないから・・・。」
「何が後悔したくないんだ?」
「それは・・・小説を書くことに・・・。」
「・・・それ、多分またやめると思う。小説創作をしてつまづけば迷って悩んで、それでまた何かやろうとすれば悩んで迷って自滅して周りに目が向かなくなって結果読書もしなくなれば学業が疎かになって一事が万事で元の木阿弥だ。」
「けれど、小説を書くことが青春でもあり、一大プロジェクトでもあるから・・・」
「いや、それが全てじゃない。何よりもお前は後悔する運命だ。」
「そんなことない!」
「仮に小説を書いたとしても、それで賞を取れるとは限らないし酷評されたりしたら傷つくばかりだろう。いずれにせよ。この世を生きる上でどれを選択しても全て後悔するものなんだ。」
「じゃあ、どうしろっていうんだよ。」
「一番の苦しみのもとである創作のことを忘れるんだよ。読書や学業、現代詩手帖や南山文学研究会へ詩や批評の投稿にひたすら専念しろ。本の虫になれ、自由なスタイルで物語を描け、悩んで自滅するより何かに「行動」して熱中した果てに自滅しろ。それが今のお前にできることだ。」
「・・・・・分かった。」
詩はすぐに思いついた言葉より次或いはそれ以降に思いついた言葉を使う方が新鮮味あってよし。
詩集は基本的に影響与えた人のを重点的に読んだ方が気が楽では?
私の脳みそは救われない。
物語を作るのも読むのも好き。
楽して結果を出す方法を考える。
本持って字を追うのがめんどくさかったらユーチューブなどの朗読を聴くもよし。
あの野郎余計なことを・・・。
受け入れられるか、共感できるか?↓詩作品云々より詩の教養性が伝わるかどうか?
寺修行中に出かけていろんな和尚さん等や寺と結ぶようなことはできるのか?」
二〇二〇年十二月十一日
無意識のM。
楽しいというより続けたいの気持ちでもモチベーションは続くのか?
二〇二〇年十二月十四日
一個一個の作業に徹し二つ同時進行は疲れるから辞めとく。
幻想文学が読めて書けるようになりたい。(絶対)
やる必要のない(緊急性のない)ものに脳は動かない。
二〇二〇年十二月二十一日
借り本では引用を写真にとって収めるべし
無意識の力とはなんなのか。人をマイナスにさせるのか?それとも幸福に持って来させるのか?
欲にかまけて音楽をかけるのかそれを我慢してブレーキをかけるのか、どっちが疲れるのか。今日は後者に賭けてみようか。
言語を追いながら思想や背景を考察
弓道部での失敗と比較しながら小説を書く。
抽象化思考とsfと人文
その時その時の描写を楽しめ。物語云々カンヌンよりも。
危機に気づいてから動くのはもう遅い。
詩集を読んでいたら短歌制作のことを考えてしまいやらなければとプレッシャーになって読書どころじゃなくなる。これは危ない。
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