「いつだって会えるよ」は結局合わない
すっかり春は終わりかけ暖房どころかあいにくの雨が続く梅雨の煩わしさを早くも想像してつらそうです。昨日の雨からお部屋は除湿運転中です。
皆様におかれましてはジメジメした恋は今までにありましたでしょうか?
愛という言葉にジメジメという形容は似合わずどちらかというと憎しみにジメジメという言葉はふさわしいかも。
そうではなくカラッとした心地の良い愛に包まれていますか?それとも爽快に誰かと愛を育んでいらっしゃいますか?
私の愛読しているむのたけじ先生の詩集たいまつによれば
そうです。そんな気持ちにもしよろしければお付き合いください。
初々しかった20代~30代前半の恋
20代の時に初めて両思いになった(ような気がして浮かれまくりの)相手がおりましたと。
いろいろなことがあり、結局はひどい裏切られ方をしてこの相手だけは二度と会うことはしないと心に決めてもいるけれど、なお時々わたしを選んでくれたら良かったのにと恨めしくなることは年に1度あれば多いほうかも。
その1度が今日なのかもしれません。
オフコースが眠れぬ夜でも歌っています。
「眠れない夜と雨の日には忘れかけてた愛がよみがえる♪」と。
恋(こい)というのは心を変えると書くといいます。
そして下心。愛にはまごころといってこころは真ん中にあります。
つまりは下心ではない状態を指すのだそうです。
恋文という言葉はあれど愛文という言葉はあまり私は聞きません。
今回の投稿がそんな恋文になるのかはわかりません。
でも恋とは請いとも同じ(こい)の音ですね。
乞うご期待ではなく拙い気持ちをさらけ出してみて誰かに自分の好意を許してもらい自分が相手に請うの「請い」を今回はしたためてみます。
その相手とは遠距離恋愛でした。関東と関西との遠距離でした。
会いたいという気持ちを伝えても「そんなにムリをしなくても」と言われたり「会える時には会えるよ」とはぐらかされたりしました。
自分の当時の友達は「あの子はやめておくほうがよい」と必死になって止められた。わたしは友達よりも恋に生きた。
必死だったし。恋にすがりついていたかもしれない。
あの頃から30年も時が過ぎたけれど
あれ以来から30年後。今現在の私にとっての交際相手はとても距離が近い。
会おうと思えば10分の時間を使えば会える距離。
いくら物理的な近さがあっても会える条件というのには様々な理由や制限があって実際に会う時間は月に数日。
別に結婚して籍を入れて正式に社会的な公認とか制度とかを利用しているわけでもないから単なる交際相手とも言える。
それでも結構自分たちの気持ちに正直になって打ち明けてきたはずだった。
このままお別れすることになっても離婚歴というバツはつかない。
自分から選んだ相手との交際期間は5年以上ある。
まだ10年には満たないけれど。
石の上にも3年ともいう。
どんなに長く付き合いを続けても「相手と一緒にいると」疲れると交際相手から打ち明けられるというのは辛いのものだ。
交際相手から目の前で言われてみたらどれくらい傷つくだろう?
恋なんて我慢比べでもない。
嫌なら終わりにすれば良い。
相手のことを考えてみたところで相手の心は変えることはない。
相手の気持ちを尊重しても私のこころの隙間は満たされない。
相手にされていない(気がする)≒ちょっと自分の自意識過剰さゆえの被害妄想も多少あるのは否めないけれど。
わたしはべったりと重たい気持ちをひきずってる。
実際に体も重たいけれど。運動不足とかもあるのだけれど。
また会えるのではなくて暮らしを共にしたいのだと気がつく
べつに交際相手が来訪してくれるからもてなしたくて手料理を振る舞うことに自分の下心の塊という形容が当てはまらないとも限らない。
でも会うたびに疲れる疲れる言ってこぼす相手にいい加減に幻滅したのだ。
もちろん会う前から疲れやすい体質もあってさらに会うと疲れてるわけだけど。
わたしは暮らしを共にする相手としては選ばれなかった。
遊び相手としては感謝された。また一緒に外食する相手としてはありがたい存在のようだった。
ごめんなさい。我慢の限界です。
ありがとう、また遊んでね、おやすみなさい
文字のやりとりはほぼ毎日していた。でも突然連絡が消え続けることもある。急に連絡が消えて2ヶ月待ったこともあった。
あとそんな付き合いをこれからも何度繰り返すことで年を重ねていくのだろう。
月に会えても数日。この頻度にもう耐えることはできないように思う。
私なりに必死になって我慢してきたんだとも思う。
相手の疲れやすさを理解してあげたつもりだったけれど、結局はわたしの寂しがりやさ加減を交際相手からは理解してはもらえなかった気がするのだ。
相手に自分の気持ちを強要したがってる点ではわたしも相手もレベルの差なんてない。
この点はお互い様だと思ってる。
惚れた弱みでずっと自分の一部をどこかに押し殺してきた。
逆のことも考えてみる。
むしろ四六時中顔を合わせてしまうしかないといっしょに暮らして結局は破局するよりかはマシとまで論理が脳内で飛躍してしまうのにはほとほと困る。
月数日関係は一人が一緒になりたくて一緒になったら一人になりたいのジレンマよりかはマシなんだろうか?
交際相手に何を求めてる?自分はどうありたいのか?
自分を応援してくれる人の近くにいよう。
もうね。憧れるような交際相手を求めるよりも素敵なあの方は遠くから慕っていたっていい。
一人に満足できる人は二人にもなれるともいう。
自分を愛することでしか相手を大切にできないともいう。
私は誰から大切にされていて誰を愛すればいいんだろう?
そんな抽象的な問いに即答できない自分をまずは愛しておきたい。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
皆様に大好きな古内東子の「恋なんて」を最後に引用しつつ今回の投稿を〆たいと思います。
それではまたの機会でもお会いできますように。