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僕の過去Part3

こんばんは、今日も1日お疲れ様です😊
いや〜!井上尚弥の2団体統一をかけたタイトルマッチを見て興奮が冷めやらないSOTAです🔥

先日の投稿からモチベーションが戻ってきたので慌てて書いておりましたがようやく書き終えました😅
ありがたいことに沢山の方が読んでくださっていて、届くに人には届いてるんだなぁと・・・
こないだなんかはたまたま会った後輩が直接毎回読んでます!なんて伝えてくれてもうめちゃめちゃ嬉しかった☺️

是非読んでくださった方はフォローとスキ♡をしていただけたら嬉しいです。
単純に励みになるのでどうぞよろしくお願いします。

さて本日は僕の過去完結編、鬱から退職までなんですが・・・
本っっっ当にすみません。短編小説ぐらい長いっす。また小出しにしようとも思ったんですが既に2部に分けてるのでこれ以上小出しにしてもと思い、ここに全てまとめました。
他のnoteのライターさんもこのぐらい書いてるし!(もう開き直った😂
読んでくれる人は最後まで読んでくれると思うので!!
最後まで読んで頂ければ幸い過ぎて飛び跳ねます。


・社会人デビューと悲報


前回は僕の人生において初めての挫折。
そして今回はコロナで言えば第二波。それはそれはでかい波がやって来ます。
前回の第1波の時に既にメンタルはグラグラでした。
にも関わらず自分の身体を過信して根本的には回復はしてないまま社会に出ていくことになります。

仮にもスポーツ系の大学を卒業して、あんな体験までしたのに尚、自分の身体を理解出来ていなかったなんて皮肉なもんです(笑)


無事に大学を卒業した僕は、会社からの課題やアパート探しの日々。
パニックに陥ってから比較的早く実家で過ごせたこともあり、地元の友達に久しぶりに会ったりと充実した生活を送り、気持ち的にも一度良くなります。
特に自分でもあの一件の時のような動悸や不安に駆られることは無く、当時の事が頭をよぎるような事もありませんでした。
まだ少し肩と腰に違和感がある程度で、それもそんなに気にはとめていませんでした。

会社からの課題も終え、アパートも決まり、入社の準備はバッチリ👌
再び「ここで活躍して早く稼いで、でっかい事をやってやる」そう意気込めるほど体調も良く、勢いそのままに右も左も分からない自動車業界へと足を踏み入れます。

同期は配属された営業部で僕を除いて2人、他の部署も入れれば5人。

1ヶ月の研修期間を経て正式に社員として社会に出る事になります。
研修では分厚いファイルに見慣れない言葉がびっしり。
全てが新鮮で、早く1人前になりたいと仕事を覚えるのに必死でした。

研修期間が終わり、同期の1人が別の部署に配属になるとの事でその前に同期全員で焼き肉に行きました。それぞれのやりたい事、目標を語って頑張ろう💪なんて話をした。

入社から3ヶ月後
別の部署に配属になった同期の1人が会社を辞めたと😲しかも代行サービスを使って…
その日の朝は事務所も少しザワついていました。

でもこの時の僕は、他人事。
自分は既に早く1人前になりたいと意気込んでいる程、心身共に調子が良かっただけにむしろその彼に対して少し嫌悪感すら抱いていたかも知れません。「3ヶ月で辞めるなんて…」「せめて1年ぐらいやってからでも」そう思いました。
彼がどんな理由で辞めたか、見えていない所で苦しんでいたかも知れない。調子が良かった当時の僕はそんなこと考えもせずそう思ったのです。
しかし、この彼の判断がどれだけ利口だったか僕は1年と少し経った頃に思い知らされます。

入社から1年が経とうとしてた頃、今度は同じ部署の同期が突然会社を辞めたのです。しかも、またしても代行サービスを使って…
昨日まで喫煙所で「今月何台売れた?」なんて話をしてたのに…驚きと言うかショックと言うか。
相談してくれなかった悲しさと同期がまた1人消えた寂しさと。
これで営業部の新卒は僕1人…😂
1年経たず新卒が2人も退職。しかも代行サービスを使ってるので連絡も付かない。お客様があってのサービス業。退職するのであれば自分の担当のお客様の引き継ぎ等の仕事があります。それすらもノータッチで連絡すら取れない。上層部はカンカン💢蜂の巣をつついたみたいに混乱してました。

1年と待たず、新卒が二人も辞めれば当然視線は僕に向きます。「お前は辞めてくれるなよ?」と言わんばかりの圧。
実際にはキツい口調では無かったですが、受け手の僕からすればそんなニュアンスでした。

食い気味に「僕は大丈夫ですよ笑」と笑って答えましたが今思えば上司に答えたのではなく、自分自身に言い聞かせてたのかも知れません。

この日を境に「早く1人前になって活躍したい」からいつの間にか「早く1人前にならなきゃ」と自分を自分で焦らせるようになります。


・重たい一撃


入社してからの僕の実績はと言えば、まぁそこそこ。先輩から聞いていた話でも一年目はそんなもんらしい。
でも僕は満足していませんでした。「自分ならもっと出来るハズ」入社前に想像していた自分はもっと高い所に居るはずだった。そう思っていました。

学生時代の時の様に、我武者羅にやったらそれなりに結果は付いてくる。あの時の自分のように社会に出ても結果を残せると自分を過大評価してたんです。
でも今やってるのは得意なスポーツでもノリと勢いで盛り上げられる文化祭でもない。自動車の営業です。
努力の仕方が分からないんです。陸上であれば毎日とにかく走ればいい。毎日10㌔20㌔。キツくてもその後400m10本 口のなかが血の味がしたって走るのを辞めなきゃタイムはある程度までは伸びる。
でも車の世界は右も左も分からない。
研修で習った事だって実践で使えるまで必死こいてやらなきゃ覚えない。でも何となくカッコイイから稼げそうだからなんて理由で入った僕は心の底からこれだと、好きだと思ってる仕事じゃないから頭に入っていかないんです。必死で出来なかったんです。必死でやってたつもりになってただけだったんです。
この1年で売った車だってビギナーズラックで売れたようなもの。見た目だけ良くして愛想良くしてたらたまたま懐広い寛大なお客様が僕から買ってくれた、それだけの事です。

なのに今の自分には満足してない、自分はもっと行けるはずだと勝手に自分に期待して結果が伴わないから焦り始める。滑稽です。(どの口が言ってんだよって話です💦
稼ぐって事を完全に舐めてました。社会を舐めてたんです。

ただ当時の僕は当然そんな事思ってませんから、こんなハズじゃないとただただ焦るばかり。車が売れなくなります。

そして、ここから雪崩みたいに心身ともに壊れていきます。

車が売れない。理由も分からない。何かやらなきゃ動かなきゃ。そう思えば思う程何から手を付けていいか分からない。そんな状態だった僕に追い討ちをかけるようにとんでもなく重いパンチが飛んできます。

僕が唯一と言っていい程、営業部で心の底から尊敬していた先輩が退職します。
デスクが隣だった事もあり、入社してすぐの頃から「困ってる事はないか」「なんでも聞いて」と僕を気にかけてくれました。
初めてご飯に連れてってくれたのもその先輩です。しかも退職の理由は、「独立」するとのこと。
僕だけじゃなく、常に周りを気にかけて他の部署とのいざこざにも我先にと切り込んでいってくれる人。他の部署と僕が揉めてる所にいつも真っ先に手を差し伸べてくれる人。
僕の憧れの1人です。
僕が会社を辞めてもうすぐ1年が経とうとしてる今でもご飯に誘ってくれたり気にかけて連絡をくれる唯一の人です。

自分がいつか独立したいと思っていたからこそ勝手に憧れてお手本、教科書にしてました。
そんな人が突然辞める
完全に心が折れました。笑
それだけ、僕にとって大きい存在だったんです。

その先輩は、この時の僕が既にこのままこの仕事を続けてもいいのかと悩んでいたこと、そして僕が先輩を慕ってたことも全て分かっていて察してくれてたんだと思います。
「ごめん、まだ色々教えてあげたい事いっぱいあるんだけどなぁ😆」「でもずっとここに居なきゃってことは無いんだから」そう言ってくれました。

正直、謝るなら辞めないで下さいよ!と思いました😂
でも、「いつか独立したいんです。」そんな相談をした時も一切笑うこと無く「めっちゃいいじゃん、やった方がいいよ!楽しく生きないと!」と言ってくれた人の夢を僕なんかが止めていいわけがありません。言葉には出来ませんでした。

そして、先輩が退職するにあたり、
先輩が務めた8年間で担当したお客様の9割近くが僕の新しいお客様として引き継がれることになります。
それはもう膨大な人数です。でも先輩が僕からまた買ってくれるかもしれないぞ、と残してくれた大事なお客様です。断れません、断れる訳がありませんでした。
ただ、こんな僕に務まるのか、僕がこの多くのお客様に何か失礼をしてしまったらとんでもない事になるんじゃないか、先輩の顔に泥を塗る事になってしまうんじゃないか。
そう考えたら、以前のようにやってやるなんていうモチベーションはこの時はもう全くありませんでした…。


・適応障害


実績を残せず焦っていた所にプラス、尊敬していた先輩が辞めてしまい、既にメンタルはディズニー映画のチーズみたいな状態😅

でも会社は待ってはくれません。まぁ当然です。一人辞めたというだけで仕事を止める訳にはいきません。
引き継いだお客様全員に引き継ぎの挨拶の電話、必要であればご自宅に挨拶に行って、商談に繋げろ。これはチャンスだと言われ200人近いお客様のリストを渡されます。
次の日から嫌々電話をかけまくります。
もう1人前にならなきゃなんて考えはどこにもなかったです。与えられた仕事をただこなすことだけに必死。

人をしっかり見てくれただけでなく仕事も1番出来た先輩が抜けた穴は大きく、コロナで業績が上がらないのもあってか、僕にも風当たりが強くなります。
もっとこうしろああしろ。これじゃあダメだ、誰かこいつにちゃんと教えてやってくれ。
何かミスをするともう失笑です、鼻で笑われました。

それでも仕事はしなきゃいけない。誰かに見られてるんじゃないか。ちゃんとやらなきゃ。でも何を。結局パソコンの画面の前でぼーっとしてるだけ。注意が散漫になり全く集中できず仕事が手につかない。適応障害の症状です。
何もできなくなる自分にも腹が立ち、自己嫌悪に陥ります。頭の中が色んな不安でパニック。
水の中に頭を押さえつけられるように苦しくて、深呼吸をしても全然空気が入って来ない…うわ、あの時と同じだ。学生時代のことがフラッシュバックして余計に苦しくなる。

もう事務所に、自分のデスクにいることが怖くなります。その場にいるのが苦しくて、この頃から上司の目を盗んでは喫煙所に逃げ込むようになってました。怪しまれないようにわざわざ洗車する時の作業着に着替えて喫煙所に逃げてたこともありました。(普通の人から見たらほんとやばい人です笑

こうなると家に帰っても休まりませんでした。
何か食べないととそこだけは頭が働き、コンビニ飯を2.3個買って流し込みますが、
倦怠感、興味・関心が無くなっているので本来なら食後の束の間の時間も、テレビやスマホもいじらず、嫌でも来てしまう明日が不安になり動悸を抑え込むのに必死だったのを覚えています。

だいぶ掻い摘んで書いてますが、
もうこの時の自分は家にいても気を張っていないと勝手に涙がこぼれるようになってました。
そして寝れなくなります。やっと寝れたと思ったら家族が包丁でメッタ刺しにされる夢を毎日見るようになります。号泣しながら飛び起きて時計を見ると朝6時。2・3時間の睡眠で仕事に行かなきゃいけない…屍のような状態で会社に向かう。
寝れない疲れと寝れても付き纏う悪夢で身体は毎日二日酔いのような状態。

もう早く病院行けよ!笑
という声が聞こえてきそうですが、
同期2人がやめた事でのプレッシャー、先輩が退職したことで先輩の穴を自分が埋めなきゃという責任感。
1年で会社を辞めたいなんてとてもじゃないけど家族に言えない。
身体が、悲鳴を上げているのにも関わらず、そんな事を思ってとっくに溢れているグラスに溢れてくるなと無理矢理蓋をします。

会社に行けばそれなりに元気でいようと普通を装って振る舞うので周りも気付きません。

そんな生活が続くある日、遂にお客様とのトラブルが起こります。
頼んでいた物と全く別のパーツが付いてて、金額も間違ってる。あってはならない事ですが、👆🏻のような状態の僕です。いつこんなことがあってもおかしくなかった。お客様は当然カンカンです。

やってしまった…
平謝り。「確認します。」とだけ言って逃げるようにお客様の家を飛び出しました。
向かったのは自分のアパート。勤務時間中ですよ?笑

家の中で終わった…もうこのままいなくなってしまいたい。本気でそう思いました。これから待ち受けてる事の恐怖。

でもあった事を話さなければならない、対応をしなければならないと、無理矢理パニックを押し殺して、会社に向かい事の顛末を上司に伝えに行きました。

動悸を抑えながら会社に向かい、あったことを全て話すと、上司は「またか…」という落胆の表情。その顔を見てまた動悸がして逃げ出したくなりましたが、そこは上司。
しっかりとどう対処したらいいか、すぐ動いてくれました。
そして、この件は色々あった後、
結局僕だけのミスでは無く他の部署にも問題があり、何とか事態は終息します。


・退職

そのまま何とか、お盆休みを迎えることができた僕は1度実家に戻るのですが、この時には辞めたいと言う気持ちが8割9割。でもまだ家族には全てを言えませんでした。「ちょっと仕事しんどいかも…」それぐらいしか伝えてなかったとおもいます。
伝えるのが怖かったんです…
実家で癒されたこと、帰ってきてもいい場所がある事、独りじゃないこと。それをこのタイミングで実感してしまったが故に、より独りの生活に戻るのが怖くなりました。でも時間は待ってくれない。休みが空ける前日、ボロボロ泣きながら車を走らせて誰も居ないアパートに帰ります。

長期休みって皆さんも経験あると思いますが、
仕事が始まる前の日ってめちゃくちゃ憂鬱になりません?
もうこの時の僕はメンタルがぶっ壊れてますから前日の夜から、産まれたての子鹿みたいに震え出します😂

そしてお盆明けの仕事が再開する初日の朝、いつもの悪夢で目が覚めて倦怠感に襲われながらも仕事の準備をしてるともう身体が拒否したんでしょうね、吐いちゃいました♥️

いや〜、代行サービス使うべきでしたね〜笑(同期が辞めるまで代行サービス知らんかったけど笑
あの時の同期に脱帽です!その選択をして全部捨てて逃げちゃえばどれだけ楽だったか😂
それが出来なかったんですよね、代行サービスを使われた会社側の混乱を見ちゃってるので…

そしてこの日僕は無断欠勤。
当然会社から連絡がありますがそれにも応答せず…
その日の午後、上司がアパートまで来ます。

もう逃げられないと、ようやくすべてを打ち明けました。
「もう無理かもしれません。」「休ませてください。」このときにはもうほぼ辞めるつもりでした。

この辛さ、苦しみを分かってもらえないって何より辛い。
「今ここで休んじゃったらもう戻ってこれない。」
「会社にはこのことを伝えて理解してもらうようにする、普通に仕事ができるようになるまでサポートする。」

違う、違う。今すぐ休みてぇのよって🙄笑
ただでさえ職場に行くのが怖いのに、自分がこの状態になっていることを会社全体が知ってて気遣われまくる場所に行けるわけねえだろ。そう思いました(笑

分かってもらえない苛立ちと自分の身体を守るために、初めて強い言葉で何度か訴えると、僕が折れないと伝わったのか了承してもらいます。


2週間ほど休みました。
もうこれ以上苦しいことが起きたら本当に死ぬ
そう思って休みの間に勇気を出してメンタルクリニックに行きます。
診断結果、何を言われるか。色んな不安があったのですが、
思いがけないところでメンタルクリニックってすげぇってなります。
受け付けを終えて、待っている間にトイレに向かうと小便器の一つ一つに

「あなたに感謝。」

そう書かれたシールが貼られていました。
たかがシール、そう思うかもしれませんが「ああ、こんな僕でも誰かに感謝されてる。こんな僕でも感謝されていいんだ。」この時の僕にはスッと言葉が入ってきてその場で涙したのを覚えています(それだけ弱ってたんです笑

診察結果は、「適応障害」と「パニック障害」
「軽度うつ」それを聞いて、安心しました。
「ああ、やっぱり病気だったんだ。
これからは病気を盾にしていいんだ。」
そう思うと凄く楽になりました。

そして、立ち直るきっかけになる1本の電話をします。
今は同じ夢を見て、同じ道を共に歩もうとしてる親友との電話で退職を決意します。

今まで会社で起こったこと、自分の精神疾患、全て話した後に、"夢"について時間も忘れて延々と話しました。
「あれがやりたい、これもやりたい。こんなことしたい。これが出来たら最高じゃね?」
夢について語ってる時ってなんであんなに楽しいんですかね🤔あんな楽しかった電話無いぐらい、自分が鬱だということ、休職中だと言うこともも忘れて夢を語ったあの日を僕は一生忘れないと思います。(僕の"夢"についてはまたいつかnoteにも書きます。

夢について朝まで語った僕は思います。
これからは夢の為に生きようと。死ぬ時に最高に幸せだったと思えるように生きようと。
それが叶うか叶わないかは二の次で
まずやってみる、そうやって生きてみようと。

たかが20年30年早く生まれただけのヤツらに理不尽にものを言われて、良いように使われ続ける人生より、たとえ給料が少なくたって守ってくれるものがなくたって全部自分で決められる自由な人生のほうが僕はいいです。
それが例え茨の道でどれだけ苦しくても自分で選んだ道だから後悔は絶対しない。
個人的にはですよ?(もちろん良い人、いい環境の会社は沢山ある訳で、1発目にハズレを引いた僕の意見です。

そう思ってからは、身体が少し軽くなりました。残りの休職期間はやりたいこと、やりたいと思ってたけど出来ていなかったことを全部やりました。それと同時に今の自分としっかり向き合う時間にもなり、より一層ここにいるべきでは無いと強く思いました。

休職期間が終わり、マネージャーとサブマネージャーと3人で僕の今後について話す事になりました。久々の僕を見て開口一番ニヤニヤしながら「元気そうじゃん」

「決ーーめたっ🎶こいつ絶対コ○す😊」
今の僕なら確実に手が出てましたが、
この時はこの2人に会うのも怖かったので「少し気持ちは楽になりました。」なんて言っちゃったんですよ😭この時の自分も殴りたい笑

初っ端からペースを乱された僕でしたが
休職期間に家族にも全てを伝え、辞める意思が固まっていた僕は最後の勇気を振り絞って病気の事も含め、退職したいと申し出ます。

当然答えはNO。
そりゃそうです、元はと言えば休みたいで貰った2週間。突然休みが開けたら辞めたいに変わってたらそりゃビックリです。


出来ることはする、普通に仕事が出来るようになるまでサポートはするし、職場が怖いなら無理に来なくてもいい。出来ることだけで大丈夫だとそう言って来ました。

ただ、僕の中ではもう気持ちは固まってたので素直に自分の気持ちを伝えるしかないと思い、休職期間で親友と話した事をそのまま話しました。
自分の為に生きたいと。純粋な気持ちで夢を伝えました。

僕の言葉、夢を聞いた上司は言葉にはしませんでしたが、確実に笑いました。僕の夢を笑ったんでんす。

「こいつほんとに絶対コ○す」
尚更ここには居るべきじゃない。
今すぐここから去りたい、そう思いました。

ただ、このやりとりが僕に反骨心を植え付けてくれました。今の自分があるのはこのやりとりがあったからです。絶対こいつより稼いでこいこいつから車を買ってやる。
そう腹を括ったきっかけにもなったのでこの上司には感謝してます。

腸が煮えくり返るぐらい腹が立ちましたが、
こうやって腹が立つってことは自分のメンタルが少し良くなってるんじゃないかと気づきます。本当に病んでる時は全部がどーでも良くなって、無気力で1個1個の言葉を全て拾ってキズついていたからです。
少しでも反抗してやろうと思えた自分がいた事で、ちょっと前に進んだ気がしました。

人の夢を笑うような人がいる会社に何か借りを作って辞めることは絶対にしたくなかったので自分の担当のお客様の引き継ぎや、残っている仕事は全て終わらせてから辞めることを決めます。(当たり前のことですが💦笑

僕の拒絶にも近い退職への姿勢が伝わったのか、ようやく退職する事になります(掻い摘んでますが辞めるまで本当に長かった…😅

無事に話がまとまって、
次の週から引き継ぎ作業をすることになるのですが、ここでもある事に気付きます。
引き継ぎ作業が出来るんです。
会社へ行く事、他の社員さんに鬱の事を聞かれること、お客様への電話。

あれだけ怖くて、身体が拒否して症状が出るぐらい苦しかった事が夢の為だと出来たんです。やっと辞めれる、自由になれると思ったから淡々とこなせたんです。
勿論、動悸がする時もあったし、休み明けに会社に行く時は逃げ出しそうにもなったけど、踏みとどまって立ち向かえたのは"夢"があったから、"夢"が背中を押してくれたからです。

今もまだ、波があって気分が落ち込んで自己嫌悪に陥る時もあります。何かの拍子で苦しくなる時もあります。
夢の為にと何とか立ち上がって会社を辞めましたが、辞めた後も数ヶ月何も出来なくて、家から出れなくなることもありました。

でも、それでも今日まで僕が生きてるのはまだ夢が実現出来ていないからです。あの日親友と夢を語ったからです。
いつか必ず実現したい夢があるから僕は何度も立ち上がってこれたんです。
"夢"を持って、思い出して、強くなれたんです。


こうして親友と語った"夢"がキッカケで僕は、一度立ち直る事ができ、約1ヶ月の引き継ぎ作業を無事に終えて、退職する事が出来ました。
退職の挨拶周りをして、アパートに帰ってきた瞬間の身体の軽さはやばかったです🤣
「あー、やっっっと終わった〜…」って

今丁度このnoteを書いてる僕と同じ感じです笑
すみません、3部に分けておいて着地で盛大に骨折しましたが、もう終わります🙇‍♂️

長いこと書きました。
これでも掻い摘んで書いたんですが…😅
素人ですね笑 上手くまとめられませんでした笑
途中書くのを止めたので何書いてるか自分でも分かんなくなって来ちゃって…すみません🙇‍♂️笑 もう少しで終わるのでご勘弁を🙏🏻

・最後に


7.8割自分の為にと書きましたが、この記事を読んでくださってる皆さんに伝えたいことは、

"鬱は誰にでもなりうる病気だ"ということ。
そして、"憧れ"をもつ事です。
コロナの影響でメンタルが少しずつ壊れていった僕ですが、
コロナ禍で苦しい思いをしたのは僕だけじゃないはずです。僕らより下の代の子達なんかは授業が出来ない、就活出来ない、内定取消、もっと下の子達は人生で1番楽しい時間を、青春そのものを取り上げられて、もっと苦しかったハズです。それでも、どこにもぶつけられない思いを力に替えてあの日を取り戻そうと必死に頑張ってる子もいます。
でもそうでは無い子もきっといるはずです。自分に自信が持てなかったり、周りと比べてしまって自己嫌悪になったり。
今の世の中は確実に精神的に病みやすい世の中になってます。
現に、コロナ禍になって何人の有名人が自殺で亡くなったか。有名人だけに限った話ではないです。15歳から40歳までの日本人の死因1位は自殺ですよ?調べてみてください。こんだけCMでがん保険がん保険って言ってるがんより自殺で亡くなられてる人の方が多いんです。
それだけ今の日本は心が病みやすい国なんです。誰がなってもおかしくないからこそ、もっとメンタルの病気への理解が深まって欲しいと心から思います。

そして、今メンタルの病気で悩まれている方へ

気分が落ち込んでいる時、どん底にいる時は本当に何もしたく無くて、色んな不安で頭がいっぱいで、今この瞬間が1番苦しい。居なくなりたいとさえ思う時もあります。僕もそうでした。

でもですね、大丈夫です。ずっとじゃないです。苦しいのも辛いのもずっとじゃないです。
苦しい時辛い時はそんな事すら考える余裕も無いのも分かります。
僕も実際に「やまない雨はないから、大丈夫。」と言われて余計に落ち込んだ時もありました。今降ってるこの雨をどうにかしてくれと。

なので頭の片隅に、ちょっと今日は気分がいいかもなんて時にあぁ、あいつあんな事言ってたなと思い出して貰えれば嬉しいです😊

でもこれは本当にそうで、苦しいのも辛いのもずっとじゃないんです。何かのキッカケでちょっと良くなったりする時が必ず来るんです。
その時に、"夢"や"憧れ"があると更にもう少しそこから這い上がれます。僕がそうだったように。
なので"憧れ"を持って欲しいです。

"夢"は持たなくていいと思います。もちろん夢があるに越したことはないですが、少し前に話題になった、「えんとつ町のプペル」を書いたキングコングの西野も言ってました。「夢を持てば笑われる。」「夢を語ったら叩かれる。」そんな世の中です。
夢を持つこと、夢を語ることは今の日本では凄く勇気がいる事です。
僕はたまたま明確な夢があって、それを親友と話すことで立ち直る事が出来ましたが、
20年間経済成長していないこの日本で、何もしてくれないのにちょっと他と比べて目立ったら一斉に叩く、こんな今のこの世の中で夢なんか持てるハズが無いんです。だから夢は持たなくて良いと思います。

でも、"憧れ"は持っていた方が良いと思うんです。少し上からみたいになってしまうかもしれないですが、僕がそれで立ち直れたから。

「あの人みたいになりたい」「かっこいい」「可愛い」どんな事でも憧れを持っていれば、きっと自分の支えになってくれるハズです。這い上がるキッカケになってくれるハズです。

まぁ生きていれば色んなことがあります🤣
今はこうやって書けてますが、僕もこのブログを書くまでにまた動悸がして、中断したり😅
きっとこれからも落ちる時はあります。
でも、その度に何かキッカケがあってそれを掴めるか掴めないかなんです。掴めない時もあっていいんです。このキッカケは何回も何回も訪れてくれるんで、自分が今日は行けるかも🤔って思えた時に掴めればそれでもうその日は勝ちです😊
家族の言葉なのか、友達の言葉なのか、YouTubeのモチベーション動画なのか、何気なく聞いた曲の歌詞なのか、その時によって違います。
落ちる度にそのキッカケにしがみついて立ち上がる、そしていけると思えるまで元気になって来たら、"憧れ"をまた思い出して憧れに近付けるように行動する。その繰り返しだと思います。
なので"憧れ"を持って、憧れに近付けるようにゆる〜く、ゆる〜く一日一日を過ごしていきましょ😊



後書きも長くなってしまいましたが、
鬱を経験して僕が思う事は、

不安や悩み、苦しいのも辛いのも全て人生。
楽しさも嬉しさも喜びも全て人生。


キッカケをくれた人、物、環境への感謝の気持ち。
励ましてくれる人、一緒に悩んでくれる人への感謝の気持ちです。




また弱くなった自分がこのnoteを見て励まされるように。
そして、このnoteを読んでくださった誰かの力になる事を願ってこんな長文を残しておきます。


こんなにも長くてまとまらない文章を最後まで読んでくださりありがとうございます🙇‍♂️

次回以降は、日常で思った事、感じた事を書いていこうと思いますのでまた次回以降も是非読んでいただけたら嬉しいです😊
よろしくお願いします🙏

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