親の教科書 おおたとしまさ監修 こどもまなびラボ編「究極の子育て 自己肯定感✕非認知能力」

子育てはとても重要で、とても難しい。しかし、多くの人が子育てのやり方を学ばずに取り組んでいる。正解はないかもしれないが、明らかな失敗例はある。私にも息子がいる。彼と離れると、あまりのダメ親父ぶりに、いつも落ち込むのだが、一緒に過ごすと似たような過ちを繰り返してしまう。かわいさ余って憎さ百倍とはよく言ったものだ。

親になると、子どものことが頭から完全に消えることは少ないし、いつも子育ての正解を追い求めている。そんなものが見つかることはないが、今の世の中情報が溢れており、羨むような成果を出した子どもの育て方が見つかる。例えば、東大理Ⅲに兄弟全員を入れたとか、将棋の天才とか。そんな子どもを育てた親はカリスマとされ、「成功例」としてもてはやされる。そうすると、あのお母さんはあれをやった、このお母さんはこれをやったということで、「国際化には英語だ!」「これからはプログラミングだ!」「水泳やそろばんは心身の修養にいい!」…などと、よさそうなことに片っ端から飛び付く。そのくせ、のびのび育ってほしいとも願っている。果たしてそれはいい子育てなのだろうか。子どもに夢を託すことが悪いとは言わないけれど、大抵の子どもには、すべてを消化できる能力などない。数万人に一人の成功例をつなぎ合わせたところで、成果は出ないのではないか。親が自分なんだから、という程度の感覚で、期待しすぎないのが良いのだろう。

子どもの頃にしかできないことはきっとある。親にできることは子どもに色んなことを経験させて、自分のやりたいことは何かを見つけ出す手助けをすることだけであり、将来を決めることではない。自分の子どもはとても近しいけれど、複雑な感情を抱え、異なる考え方をする別な人間だ。そんな別な人間の行く末を、親が決めようなんて、おこがましく、傲慢なことではないだろうか。

私は息子にやりたいことを見つけ、自分で生きていく能力を身につけてほしい。そのために必要なのは、自己肯定感と非認知能力(テストなどの数値では測れない能力。いわゆる人間力か。)とし、本書はこれらを身につけるための方法を記している。最近の親は周りとの衝突を過剰に避けようとしてしまって、子ども同士のちょっとしたいさかいを先回りして摘んでしまうが、それは非認知能力を養う機会を奪うことになるという記述には反省させられた。ストレスとの向き合い方や、感情のコントロールの仕方は、幼いころに養わなければならないが、これは友だちとのぶつかり合いで失敗しながら身につけていくものである。また、子どもが悩んでいて、「うるさい!」と言い出したら、悩めるようになったということで、喜ばしいことだというのも膝を打った。子どもは親の所有物ではないので、勝手に育つのである。子どもが変わったくらいでわたわたするなということだ。

自己肯定感は、他人と比べることなく、自分は自分のままで重要な存在だと思うことができること。偏差値社会で育ってきた日本人には、他人と比べないというのは難しいかもしれない。しかし、勉強ができるから、スポーツができるから、という自信は、より優秀なグループに入ると崩れてしまう脆弱なものだ。自己肯定感とは、そうした根拠のない、自分は自分のままでいいという自信である。そのために必要なのは、親から愛情を十分に受けること、自分で何かに挑戦してやり遂げることだ。他の子どもと比べてうまくいかないこともあるだろう。その時には他の子と比べることなく、プロセスを認めてあげることだ。こうして見てみると、仕事で部下を育成するのも、子どもを育てるのも一緒だとよくわかる。

非認知能力の涵養も重要だ。非認知能力はこれまでとちがった角度からものを見ることができる、あるいは新しいものや発想を生み出せる力と定義する。すぐに役立つスキルは、時代が変わればすぐに役に立たなくなるが、この能力は一生役に立つ。そのためには、子どもにやりたいことを押し付けるのではなく、子どもにやりたいことを考えさせること、あるいは一緒に考えることだ。そして、自分で決めたことをやり遂げさせることが成長につながる。

その他にも、子どもへの声がけの方法、他人の目を気にしすぎないこと、他人と比較しないこと、頭ごなしに叱らないこと、子どもが失敗したら、Good Job!と考えることなど、すべての親が知っておくべき知識が載っている。ある意味人生で一番重要なミッションである子育てには授業や研修の機会がなく、十分な教育を受けられない。それを補完するためには、適切な一冊だろう。

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