コーヒーが好きな理由
今週でブラックエプロンチャレンジ(このテストに合格するとスタバで黒いエプロンを着けることができる。)の受験期間が終了し、僕の周りでは設問の答え合わせが盛んになっている。専門知識について深く勉強したからこそ、初歩的な疑問が浮かんできた。
どうしてコーヒーが好きなんだ?
今日はそんな素朴な、でも僕にとっては大切な、この疑問の答えを見つけようと思う。
僕はコーヒーが好きだ。大好きだ。産地や焙煎度合いによって様々な表情を見せてくれる。中には紅茶やマスカット、桃の味に感じるものも存在する。書き出せばきりが無い。そもそも今日はそんな話をしたいんじゃない。僕がなぜコーヒーが好きなのか。皆さんに伝えるとともに、自分が忘れないために書いていこうと思う。どうぞお付き合いください。
コーヒー。それは黒くて苦い液体。それはミルクと砂糖をいれて飲むもの。それは飲むことができないもの。それは生活になくてはならないもの。それはあるとうれしいもの。それは生計をなりたたせているもの。それは農作物。
いろんな認識がある。万物に言えることではあるが、素晴らしいことだ。
僕は、人と人をつなげるもの。そう認識している。
僕とコーヒーとの出会いはずっと昔。両親、祖父母、親戚のみんな、コーヒーが好きなので、生まれた頃から近くにはあったはずだ。コーヒーという飲み物の存在は知っていたが、子供なので飲むこともないし、興味も無い。当然だ。しかし、小学校4年の正月にはっきりと意識するようになる。うちの家は母方の祖父母の家に集まり、年を越す。祖父母、叔母夫婦、落合家だ。大晦日の夕方過ぎから集まり、夕飯を食べる。祖母が奮発して、宅配の寿司と王将のオードブルが食卓にびっしりと並ぶ。まぐろと餃子を交互に食べる幸せは年末でないと罪悪感で次の日は学校に行けないだろう。みんなのお腹がいっぱいになり、ガキ使では松本が捕まり、助けるための鬼ごっこが始まる頃、恒例の麻雀大会が始まる。参加者は僕、祖母、叔父、叔母の4人だ。祖母は強すぎるので途中で父と交代する。(父はまもなくノックアウトされて母と交代する)
本当になぜだかわからないが、僕が勝った年は翌日にいただくお年玉が多かった。なぜだろうか。
それもあり、当然僕は意気込んでいる。
ゲームが始まろうとしていると、台所から母が僕たちに声をかける。
「コーヒーいる人ー??」
僕以外の3人はみんな母に好みのコーヒーを注文する。ブラック、ミルク、ミルクと砂糖。ほんのついさっきまでお酒しか飲んでいなかった大人たちがみんなコーヒーを飲もうとしているではないか。そこで初めてはっきりコーヒーという存在を認識した。普段は別々に暮らしている人たちが小さなテーブルを囲み、同じものを飲み、おなじことに取り組む。当時はなんとも思っていなかったが、コーヒーが人と人をつなげていたのだと、今になって思う。なんとなく、うらやましく思って叔母のカフェオレを1口もらったが、10歳の味覚には早すぎた。
苦いし、美味しくないし、牛乳の美味しいところを消してる、そう思った。味に関しては、最悪の印象だった。しかし、飲み物には抱かないような感情を持ったのは確かだ。
こんなことが毎年続いた。
年を重ねるごとに、コーヒーを飲む回数が増えていくたびに、色んな飲み方を試していくうちに、どんどんどんどんとコーヒーのことが好きになっていった。コーヒーで繋がれる人たちや、味そのもの、農作物として生産者や運送に関わるたくさんの人たちの背景もすべて踏まえて、好きになった。朝食とともに飲むコーヒー。仕事、勉強をしながら飲むコーヒー。大切な人と話しながら飲むコーヒー。全てが大好きだ。
これまでコーヒーと共に生きてきて、これからは、自分がしたような体験を自分が誰かに供給する番だ、と思っている。コーヒーに携わって生きていきたいと思うし、この身を捧げる覚悟ができるような気がする。どうなるかはわからないが、とにかく全力でやってみようと思う。
これからも、コーヒーに関われることを幸せと思って、生きていきたい。
2023/01/27 落合壮亮