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自分の人生をふりかえる 映画ルックバック感想
評価:4.7
ネタバレあり
今年の夏の話題作だった。
ので、感想はすでに出揃っているだろう。
なので映画の内容を論じるのではなく、
私個人とどのように出会ったか書き留めておく。
隙あらば自分語りというやつですので、
お時間ある方はどうぞ。
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誰のための物語なのか
何年か前、Twitter(現X)に突然アップロードされた藤本タツキによるマンガ「ルックバック」の与えた衝撃はまだ記憶に新しい。
しかし「すごかった」ことは覚えているものの、
その時自分が何を感じたかの記憶はけっこう曖昧になってしまっていた。
今回改めて映画を観て、
今作はなんのために生みだされた物語だったのだろうと考えた。
私はこの映画「ルックバック」を見た限り、
やはり「京都アニメーション」の事件で亡くなった芸術家たちへの弔いとして描かれたのではないかと感じた。
だからまず第一に「私の」人生の一部が描き出されていたというより、
偉大な芸術家が鎮魂のために描いた作品を観せてもらった、そういう感覚で終始鑑賞したのが一番ではあった。
人生の水見式
水見式とはマンガHUNTER×HUNTERに出てくる念能力の診断方法だ。
水の入ったコップに葉を浮かべ、「念」を発して当てることで、
個人の念能力にどのような傾向があるのか見極めることができる。
SNSによると、今作ルックバックは何かに打ち込んだことがある者とそうでない者とを見分ける物語だと言われている。
そういう意味で今作は、観た者の人生において大切な要素が何なのか、診断できる水見式のような作品であったともいえる。
例えば中田敦彦などは相方の藤森氏とのことを思い出したとして涙ぐみながら感想を語っていて、「コンビ」を結成したことがある者にとって特別な物語であるようだ。
また、さっきも書いた通り私には故人を偲ぶ物語に見えたことから、きっと故人を偲んだことのある人にとって「残された者」の物語としても受け取れたのではないだろうか。
私にとっても過去の記憶を思い出させる映画だった。
その中で、私が最も涙腺にきたのが、
主人公の藤野が描いたマンガを京本から褒められて、雨の中狂喜しながら帰るシーンだ。
自分でも驚いたが……
そのまま藤野は濡れた服を着替えることもなく、すぐ机に向かい即座にマンガの執筆に取り掛かる。
このシーンが、なぜか私は一番泣けた。
いや、みんなも、そうだったのか……?
毎度のことながら私はHSP(笑)でパーソナルスペースが広いタイプの人なので、あまり混雑している映画館だと隣の観客の挙動が気になって作品に集中できない。
なので、混雑がこなれてから映画を観に行くようにしているため(なので話題作をたびたび見逃す)今回もまわりに人がおらず、みんながどこで感動しているのかよくわからずじまいだった。
そのため自分の心の反応だけを続けることになってしまうが、ともかく。
「自分が心を込めて作ったものが誰かに届いていた」
「自分が心を込めて作ったものが認められた」
「自分が一生懸命作ったものが褒められた」
「自分が心を込めて作ったもので人を楽しませることができた」「およびその手応え」
これだ、これなのだ…。
私も小学生のころ、親も出席するちょっとしたクラス会で劇をやることになり、「改変・桃太郎」の脚本を立案し実際に書いたことがある。
たぶんネオ桃太郎みたいなタイトルにしたような気がする。
まぁ子供らしい、桃太郎を不真面目なキャラにしたり、流行っていたテレビ番組の名セリフを入れたりした、ギャグ路線の割とくだらない脚本だ。
が、これがちょっとウケたのだ。笑
ウケを狙ったセリフのところで保護者からどっと笑いが起きる。
その時の「やった!」という歓びを思い出すと、今でも体温が上がる。
それ以外にも、それこそ学級新聞であるとか、書いた作文を先生が朗読してくれたとかいう時の、
「自分の作ったものがウケた」という素朴な歓び。それは子供心に強烈かつシンプルだった。
藤野にとってマンガとは、
これまでまわりから褒められるためのもの、京本との競技種目としての意味合いしかなかった。
しかしその「マンガを描く」という行動に、京本が喜んでくれている姿を目の当たりにしたことで、新しい意味が加わった。
この「歓び」はとてもシンプルで、
かつ人生を変えてしまうくらい強烈だ。
結局私もその後、
高校時代に演劇部で脚本を書いたり、
大学に入ってからは今と違ってhtmlの知識が希少だったこともあって友達のホームページをいくつか立ち上げたり、
その後親の影響で所属していた新興宗教内で年齢とともに地位が確立していくにつれ教会内での「レクリエーション」を企画プロデュースしたりと、
何かと「人を笑わせたい」とか「楽しませたい」みたいなモチベで動いてきたように思う。
おこがましいのは百も承知だが、
わずかでも自分の中に「クリエイター」「エンターテイナー」のマインドがあるらしいということを、
このシーンで異常に感動する自分で自覚した。
いや、誰からも反応がなくたって、創作はできる。
実際このnoteを始める前、
実物のb5のノートに日記を叩きつける習慣があり、
その冊数はこの13年で98冊にのぼる。
その前も書いていたが、大掃除の際にシュレッダーで処分したので分からない。
メンヘラ気質のある私は、自分のためのセラピーとして思ったことを全部日記に書いてきた。
アンネフランクが日記を「友達」と呼んでいた気持ちもわかるというものだ。
ともかく、誰からも読まれない、誰にも見せない創作も悪くないと思ってきたし、これまでずっとそうしてきた。
けど、紆余曲折あり(笑)
こうしてnoteを始めて、いいねをつけてもらえたり反応があるとやはりめっちゃくちゃ嬉しい。
文字通り天にも昇る気持ちだ。
それこそ藤野がたった1人から「あなたの作品が好き」と言われたことで雨の中スキップして帰ったみたいに。
それと、自分がいいねしてもらってようやく、
これまで自分が「あ〜いい文章だな〜(動画だな〜)(作品だな〜)」と思ってもなんか面倒くさくて「いいね」してこなかったことを深く反省した。
というのもアプリの使い方がよくわかってなくて「いいね」の仕方さえわからなくて「いいね」してこなかったということもあり、今はやり方を調べてビビりながらしたりしなかったりしている。
このnoteもそんなに読まれているわけではないが……
誰にも読まれていなかったとしても、細々と続けていきたい。
誰かが読んでくれていたら、嬉しいなと思うのだ。
上映時間と料金
本編は短く1時間に満たない。
が、実際の視聴はそれより長く感じた。
また、なぜかわからないがどの日にどの映画館で見ても一律1700円という料金設定も不思議だった。
公平性を帰す意図があったのかも。
たしかに、映画が安く観られる〇〇デーは行ける人と行けない人がいるもんね。
それなら、満額払う人の料金も値引きして、〇〇デーを使える人の料金を上げて料金をならすのは公平だ。
また「短くまとまっている」という点は、このコンテンツにあふれる現代においては非常にいい点だと思う。
短いが「不足感」は一切ない。
話題作なので観ておいたらいいのでは
岡田斗司夫曰く、
今後のアニメ業界に間違いなく影響を与える傑作とのことだった。
確かに「アニメ業界のマイルストーン」になる作品だと思う。
間違いなく、一見の価値があるだろう。
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