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私が作品作りにこだわっているわけ
実は小説家になろう というサイトとカクヨムというサイトで今まで講座内で書いた小説をUPしました。
冒頭の写真はそれです。
私の小説のテーマ。
人によるトラウマは他者と関わることで癒されるのか。
近いうちnoteでも始めようかなと思ってます。
→始めましたので興味ある方はよかったら
週1回くらいの更新のつもりで進めています。
電子化になるまでには当然全部は出せないしそれでは電子とはいえ書籍として売る意味もあるのかわからないのでとりあえず1章だけでも発売まで上げて、どこが人に伝わってどこが伝わらないのかを知りたいと思いまして。
ただ、そもそも私は小説家になりたいわけではないのです。
じゃあどうして今まだ作品作りに拘っているのかを今日は描こうと思います。
講座に参加したワケ
そもそも講座に参加したわけはマガジンの初回に書いたのだけれど単純に自分が過去に出会った人たちに最後まで向き合えなかった(いつも当時は真剣に向き合ってはいたし、自分の中でなのだけれど)思いが何か消化される気がして参加したのとビジネスストーリーの重要性を認識したからです。
私は昔、故木下圭介監督の助監督をやっていた櫻井監督に可愛がってもらって役者を目指していたことがあります。もう10年以上前の話。
そこそこ役者として仕事をもらえる様になってきた頃に自分には向いていないと思う大きな出来事があって裏方へと転身しました。当時は気がつかなかったのだけれど私の周りは面白いためになる話をしてくれたそういう人たちがいっぱいいました。
映画論、芸術論、そう言った類のもの。
私は今ライブの舞台監督やイベント制作企画といったことに携わっていますがどれも音響さんや照明さんの様な技術職と比べるとアートではないと思っています。
どちらかというと制作や企画で言えば金銭面だったり、場所の手配だったり現実的に考えることの方が多いし、舞台監督も各セクションの調整をするのでアートスティックよりも安全面重視なのでこちらも現実的なのです。
自分が身を置く場所を変えれば当然仲間もそういう人も増えるわけで。
そういう仲間はとても大切で、いろいろ相談はしながら進めてはきているのだけれど当然どういう映画が良かったとかそんな話はさほどしません。
というか現場に入っているとそんな暇がない・・・。
これは講座に参加してから気がついたことだけれど、そういう話に飢えていたのだと思います。だから講座に参加するまでは小説を書きたいとも書こうとも思ってはいなかったんです。
それが大きく変わった。
それは講座に参加してようやく物が形になってきた4回目くらいからだと思います。
4回目まではマガジンの最初の方を巡って貰えばわかるのですけれど、ひたすら講師が言っていることがなんなのか、物語を0から作るのはどうすればいいのかを本などを読んだりしてとにかく理解をするということに終始していていました。
真剣に日本語を喋っているのだけれど「宇宙語を聴いている感じ」だったんです。
あの時期ほど自分がバカなんじゃないかと思ったことはなく・・
だから帰っても本当に手探りなことが多かったです。
それが、講師や他の人に褒められたシーンを描いていた時でした。
時間が自分の中で止まっていた感覚。
それはページ数にすると3〜5ページくらいなのだけれど描いた2時間くらい時間の経過に気がつきませんでした。
書き終わってこんな時間!と思ったくらい。
そこから
自分の中で書くことで消化されていく何か
を感じる様になりました。
書くことで消化されていく何か
それはなんなのかを少し紐解いてみたいと思います。
元々、この講座で初回の方から大きく変わるだろうなと思っていたのは思考力でした。鍛えられるだろうなというのは想像ができました。
あとは当然だけれど言語力。自分の考えていることをきちんと人に伝わる様に言葉にするのは意外に難しい。
ただ単純に思ったことを出せばいいだけではない。
「人に伝わる様に」言葉を紡ぐわけですから。
私はあまり講座を受ける前に人に伝わる様に言葉を紡ぐということを深く考えていなかった様に思います。
舞台監督になる前にIT企業に勤めていた際にお客様相談室のリーダーをしていた関係でコミュニケーションの講師などをしたこともありました。
でもお客様相談室など対人業務で必要とされる大きなスキルは実は「話す」よりも「聴く」ということに注力する役割なので自分の話を人に理解してもらう様に注意を払うというのはさほど多くはありませんでした。
あっても「人を傷つけない」様に「言葉を選ぶ」ということや専門用語を使わないということであって、伝わる様にということはさほど深くは考えていませんでした。
もちろん今の仕事で企画書で人にわかるかなと思ったりして作成したりはするのだけれど、当然、何度も文体などを別の形で出してみてわかるかと別視点を持つことはしてきてませんでした。
だけれど当然、小説は人に読んでもらうことを前提として、それも相手は仕事ではないわけです。
読んで相手が理解できないものを作っても仕方ない。
後から別視点を持つ作業をする様になると、当然書く段階から非常に「人に伝わるか」ということを意識する様になるわけです。
これは大きな学びだったと思います。
そしてこの人に伝わるかということを考えて何度もそれはどういう意味なのか、どういう風に置き換えられるのかなどを考えていくと自分の中の思いの、思考の抽象度が上がります
例えばリンゴという言葉で描いていたものを
赤く丸いもの
赤く丸くそれを切り取ると中身は黄色いもの
赤く丸くそれを切り取ると中身は黄色く蜜は甘く、それを持った子供を笑顔にさせるもの
とそんな言葉の紡ぎ方をリンゴから「赤く丸く・・」までを考えたり、逆にもっと端的に伝えられないのかと「赤く丸く・・」からリンゴまでを行う作業というのが結構小説を書く中では大切なのです。(と私は講座内で理解した)
そして
自分の思いを人に伝わる様に言葉を探し紡いでいく
これは意外に
自分の思いを自分で深く理解する
ということなのです。
消化されているものを目で見ることはできずその辺はあくまで私の感覚になるので、「何か」ということには変わりはないです。
だけど自分の思いを自分で深く理解するとその解決策も見えたりするし、見えなかったとしても理解しただけで結構消化されます。
そして小説の中には多少自分の経験も含まれることがあるわけで。
物語として過去の出来事を言葉にして紡いでいくと、その当時相手にも何が起きていたのかが冷静に考えられたりするわけです。
ただ、この相手の部分は想像の域を超えない。でも渦中にいた頃、何が起きていたかは当然理解できてなかった様なこともそういうことだったのだろうと理解ができる様になる。これは人生のトライアンドエラーの過程ではとても大切だと思っています。
そしてこのトライアンドエラーの過程というのは人に役立つ部分があると私は思っているんです。
自分の人生は出すに出せない
出せなくもないのだけれどちょっと出しづらいと思っていた最近。
それは色々な諸事情があってだったり、色々なのだけれど。
でも私の歩みは結構人にすごい、勇気づけられる!と言われる様な、時折よく生きているねとさえ言われる内容が多いので人には何か役立つだろうなと思ってました。
元々私の最大の目標は
世界中の人に幸せになってほしい
なんです。(できたら生き物なのだけれど。でも人がそうなれば生き物もきっとそうなっていくと私は人の可能性を信じているので)
大文字にしなかったのは大きすぎてだいぶ恥ずかしいから(笑
でもこれは私が一昨年、革命のレシピに参加して参加者の前で宣言したこと。
なので本気ではあります。
別に私が関わらなくてもいい(というか関われない)
でもできるだけ隣の人が幸せであるためにその隣の人が、さらに隣の人が(これは人との対談ではっきり認識したことですが)とミニマムでも活動して行って、その先にある全世界の人の幸せを目指したい。
それが割と小説で大きく作用できるかも
(なんて図々しい考えですが)
と思ったわけです。
なので私は書きたいもの、書くと人のためになるかもな、があってそれを書くために修行しよう!みたいな感じの
だいぶおこがましい
だいぶお節介
な目的があっての作品作りを拘り始めました。
でも私の当面の目標です。
というわけでまずは1作目をきちんと仕上げる!
身勝手な?でも身勝手じゃない?人に伝わる作品を作るための修行は続きます。
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