第213話:捨てられない気質
(加筆再掲)
僕らの子どもの頃は「あてつぎ」というのがあって、服やズボンが破れると別の布を当てて糸で縫い付けた。「あてつぎ」と僕らは言っていたが、一般には「つぎあて(継当)」と言うらしい。
若い世代にとっては「死語」なのかもしれない。
昔は貧乏だったので、衣服など次から次へと買えるわけではなく、三男坊の僕は兄貴の「おさがり」、いわゆる「お古」を着ていた。セーターとかズボンとかが破けると、オフクロやオバアチャンは、この「あてつぎ」をしてくれたのだった。
少々、恥ずかしかったが、でも案外、みんなそれが普通だった。
見なくなったなあ、最近「あてつぎ」。
豊かになったんだろうね。
でも、僕はそういう貧乏性が身に染み込んでしまって、今も服が破れるとカミさんに「あてつぎ」してもらう。
カミさんは「買えば?」と言いながら、それでも可愛く「あてつぎ」してくれる。
ユニクロのライトダウン。
もう何年着ているだろう。
これは、おなか。
これは、右腕。
これは、袖口。
ほとんど「満身創痍」である。
なのに、また、実家に行ったら飼っている大きな犬が抱き着いてきて、また、穴をあけてしまった。
今は、セロテープで羽毛の飛散をとめている。
カミさんの「あてつぎ」は、なかなか可愛いのだが、これはちょっとかわいすぎて、例えば、テニスの試合後のアドバイスを聞きにきた生徒の視線は「くまさん」に集中してしまう。
アドバイスなどそっちのけ。
バイクのグローブ(手袋)も10年間使った。
最後のツーリングで引退させたが。
これが右手。
そして、これが左手。
なんとなく愛着が湧いて捨てきれず。でも、さすがに終わり。
ちょっと寂しかったりしするが、よくがんばった!
なんとなく捨てられないもの、いっぱい、ある。
例えば、息子が12歳の時に作ってくれた「ハーレー貯金」の貯金箱。
夢は叶わず、今日見たら中には8円が入っていた。
ここ何年かで書きためたノート。
役目を終えたケータイたち。
きりがない。
拾った石ころとか、
ちっちゃな消しゴムとか、
ちびた鉛筆とか、
もらった手紙とか、
「人」とか。
「恋」だって自分からは捨てられない。
「ふる」よりは「ふられる」方がいい。
そうして、いじいじ引きずる方が僕らしいかもしれない。
捨てられず持ち歩いてたことがあった 猫とか 0点の答案とか 「恋」とか
■土竜のひとりごと:第213話