学歴と幸福度は連動するのか
私にしては珍しく1ヶ月位かかってとある本を読み終えた。
門脇先生の新書「大正自由教育が育てた力」
大正13年、池袋に野口氏の自宅を校舎にした「池袋児童野村小学校」が開校した。
50人余りの子供が4組に分かれ、時間割がなくとにかく十分に遊び、本を読み、観察をし、それぞれの興味を持ったことをとことんやり抜いたという”子供が自主的に活動する”学校があった。
この学校に関しては是非本を読んでいただきたいので割愛しますが、この卒業生のインタビューとその後の進路、人生をまとめた本が公開された。
**
そもそも、教育とはひとりひとりの「差」「別」をはっきりさせるもので生まれながらの才能や開発された能力に違いがあることを明確にするものだ。とある。
それによって個性(必ずしも良さではない)が確立されて、誰一人として同じ人間はいない。だからこそ教育はそれを尊重して大事に育てるものでなくてはいけない。
でも、今の教育はどうだろうか。
今の、といいつつ大本の流れは大正から変わっていない。
明治維新による世の中の変化。
産業社会としてメキメキ成長し、土地を持たず家の外に出て仕事をするという新中間層が大量に増えた。
そこで重要になってきたのが「学力」である。
学歴が高くないと受験戦争に勝ち残れない。
これは現代に始まったことではなく、大正の中頃から加速したのだ。
もちろん、そういった教育の変化を見直す動きもあり、武者小路実篤が白樺などを創刊し、それに共鳴した教師が活動していたという記述もある。
これは、今のフリースクールや私塾などの動きと全く同じように思う。
何度も教育は見直されようとしていたが世の中の変化に揉まれて変化できなかった。
その世の中を作っているのは誰か?
もとを辿れば教育であり、更にたどれば家庭であり更にたどればやはり教育であり・・・と卵か鶏かという堂々巡りをしているのだろう。
江戸の頃までは家族は家族労働で家業を維持する、いわば自営業が多く男性女性で分かれておらず、家事や育児のみを担当するわけではなかった。
家業を維持する男性が、読み書きや武術、礼儀作法など家訓を教えていたため、江戸時代の子育て本は男性向けに書かれていたそうだ。
この頃の子育ては村落全体で行われ、共同体の子として育てられていたが、明治になると先に上げたように家族の分業(男は外で働き女は家に)が進むことになった。
家は生産の場ではなく休養の場に変化した。
更に戦争が始まり、予算の切り詰めにより初等教育は経費削減の対象になった。
池袋子供の村小学校は”一人ひとりを大事に育ててくれる”と期待されて保護者たちが集まったが、結論を言うと加熱する受験戦争からは逃れられず、自由な教育をうたう学校は閉校に追い込まれてしまった。
今の教育の流れと似ているように思う。
フリースクールも増えた一方で、維持費の高さやカリキュラムがないなどの自由な校風、学力低下の不安などもあり「本当にこれで子供の将来は大丈夫なのだろうか」とか「将来仕事につけるのか」とか「結婚できるだろうか」という不安は消えない。
義務教育を終えても引きこもりでいたり、世間との断絶を招いているケースも多いのではないだろうか。
**
本書のなかで、インタビューの一部にこんな体験談があった。
「在る学校の卒業式で校長先生がこんな話をしました。
”台所でネズミが出たのでざるをかぶせて捕まえた。ざるを開けたらざるの小糠のため白ねずみになっていた。人は黒ねずみが白ねずみになって喜んだ。学校で身につけたことは大切にして今後生きていきなさい”と。
だけどこれは間違いです。ネズミは身震いするなりまたもとのネズミに戻ってしまった。これが学校だ」
自分のことは自分でやる。ではなく、自分たちのことは自分たちでするという意識。
とくに小学校の時期に自由にのびのび過ごすことで得られる満足感や幸福感は、その後の健全で健康な人間としての成長に繋がる。
一人ひとりの後伸びする自己学習能力を育てることが出来る。
それにより、劣等感を持たない子に育つが、優越感ももたなくなる。
誰かと比べる必要がないからだ。
**
今、地球規模で危機的な状況にあり人類そのものの存続が危うい状態になっている。
産業社会の発展を目指す社会運営を続けていてよいのか?
お互いを補い、できることとできないことをかけ合わせて助力する大切さ。
そして、それに気づくことが出来て手を差し伸べられる、声をかけられる世の中にしていくこと。
発達や障害があるかないかではなく、個を活かしあえる人を増やすこと。
これが私の今生の成すべきこと、なのだろうと思う。