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【パイロットと運動】スクワットができれば、問題の半分以上は解決している、は暴論か

前回、パイロットのメンタルコントロールについて書きましたが、わりと好評いただいています。

この記事の最後に、運動の効用について軽く触れました。

だいたい1分くらい走ると、呼吸が少し苦しくなったあとに有酸素運動に切り替わり、呼吸にリズムが生まれてきます。走る限り、呼吸に意識が向くので、嫌な思考を強制的に追い出すことができます。

筋トレもおすすめです。筋肉を追い込んでいるときは、余計なことを考えることができませんし、身体の変化は達成感につながるので、思考の癖もだんだんとポジティブなものになっていくでしょう。

今回は、運動のストレスに対する効用について、パイロット的観点から論じてみたいと思います。

パイロットとエクササイズ

実は私自身、最近毎日運動しています。

と言っても、今まではかなりレイジーで、ビールばっかり飲んでほとんど運動していませんでした。

ところが、最近あるきっかけで軽くジョギングを始めてからというもの、毎日走るようになり、ついでに筋トレをするようになってから、身体に目に見えた変化が出てきました。こうなると、1日でもサボるのがもったいなくなって、今のところ毎日続いています。

自宅にいる時はもちろん、ステイ先でも走っています。シンガポールのステイ先には海沿い歩道が走っていて、平坦なので、距離が伸びてしまいます。

一緒に飛ぶキャプテンの中にも、かなりの確率でステイ先で運動する人が多いと感じます。ランニングはもちろん、ホテルには大体ジムが併設されているので、そこで汗を流す人が多い印象です。今までは、そう言うキャプテンを「意識高い系」として理解していましたが、いつの間にか自分もその仲間入りをしていました。

特に、国際線をやるようになってからはコクピットでじっと座っている時間が長くなりました。パイロットにとって、運動の習慣は仕事の一部といってもいいのかもしれません。

毎日走るコツ

走るのを毎日続けるコツは、ペースを抑えることです。

走る、という行為は、想像以上に人体に負担を強います。遅いペースでも、毎日走っていると、まず脚が張ってきます。それならまだいい方で、サボっている人がいきなり走ると、すぐに膝を痛めてしまいます。

おすすめは、映画「フルメタルジャケット」で出てくるリズムに合わせて走ることです。冗談みたいな話(まぁ冗談でもありますが)ですが、よく見るとそんなに早いペースで走っていないのがわかります。

これをやると永遠に走れる気がしてしょうがありません。

筋トレの2セット目に憂鬱な事柄をイメージする

上述の、私の運動メニューには走ることの他に公園での筋トレが入っています。ジムを使わない単純な自重トレーニングですが、単純な腕立て伏せでも、きちんとしたフォームで2秒ずつかけて身体を上下させると、たった20回でもかなりきつくなります(何回できつくなるかは人それぞれでしょうが、それは問題ではありません)。

そうやってきつい思いをして1セット目を終えると、休憩しながら2セット目を同じ回数やると考えたときに、非常に憂鬱になります。あの苦しい思いをもう一度経験するのか、と。

この、憂鬱な気分が降ってきたらチャンスです。普段感じている他人への不満、自分のことを可哀想と思う気持ち、俺はこんなに頑張っているのに、感謝の一つもされず、世の中が自分の想い通りにならないやるせなさなど、今の自分の人生で通奏低音のように存在しているネガティブな感情や思考やイメージを、遠慮なく頭の中にぶちまけて、今感じている2セット目をやる憂鬱さに突き合わせてみるのです。

すると、驚いたことに、今まで自分が世界で一番不幸で不遇な目に遭っていると思っていたことがらより、ちょっときつい腕立て伏せの2セット目を目の前にしたフィジカルな負担への切迫感の方が、ちょっと上回ってしまうのです。

「もうだめだ」からさらに3回できる

こんなことは、許し難いことでしょう。

なぜなら、自分にとっては大きな問題として抱え込んでいた問題が、たった20回の腕立て伏せよりも小さい悩みになってしまうのですから。

そんなわけはありませんよね。あなたの悩みは、あなたにとって人生を左右するほど深淵で、他の人は安易にタッチできず、解決の糸口も見えない大変に困難な問題であるはずです。

それはそれで、真実です。その考えを変える必要はありません。しかし、ともあれ、20回の腕立て伏せをやっていきましょう。

背筋を一直線にして、肩幅より少しだけ広くとった両の手のひらに地面を感じながら、胸骨を地面からテニスボール一個分のところまで2秒かけて下げます。そこで一旦止まり、2秒かけて胴体をまた持ち上げます。これを繰り返す。1、2、3、4、5、と声に出しながら。

1セット目より早く筋肉に痛みを感じてくることでしょう。10回もやった後は、1セット目に20回やり切ったときに匹敵する疲労に達してしまいます。それなのに、あと10回もやらなければなりません。

できますか。それとも、やっぱり20回はきついですか。「大いなる人生への不満」と、どっちがきついですか。今、この瞬間はどっちですか。

認めたくなければ、自分は本当に苦しみ、虐げられ、悪いのはあいつらなんだとだと思うのなら、それをありありと思い浮かべながら、許し難い、と思うその気持ちを頭の中にぶちまけながら、腕を曲げていってください。胴体を、地面までテニスボール一個分のところまで下げて、また上げる。あと9回。できますか。

できるかもしれませんし、途中で崩れ落ちるかもしれません。それ自体は大した問題ではありません。大事なのは、このように腕立て伏せをやると、何も考えずに同じことをやった場合より、体感ですが3回ほど余計に体を上下させることができるということです。「もうだめだ」と思ってから3回、余計に腕立て伏せができるのです。

悩みが筋肉に変わっていく

腕立て伏せをすると、筋肉がつきます。厳密には筋肉が増えるのは筋繊維が超回復をするときでしょうが、細かい理論は置いておいて、ここでは単純に筋トレをすると筋肉がつく、と簡単に考えてみます。

そうすると、余計に3回腕立て伏せができたと言うことは、その3回分だけ余計に筋肉がつく、ということになります。であれば、これは悩みが腕立て伏せを介して3回分余計に筋肉になったといっても良いでしょう。悩みという現実に対する自分の解釈の一つの形態が、筋肉という物理的かつ有用な存在として、自分の身体を頑丈にしてくれます。

するとこれまた不思議なことに、「嫌なこと」自体がいくぶんか相対化されます。現実の世界は何も変わっていないのに、自分の受け取り方が変わって、少しだけ「嫌さ」が軽くなります。あくまで、「少しだけ」です。問題がたちどころに「解決」するわけではありません。

それでも、目に見えて変化する自分の肉体と、軽くなった心が手に入ることは確かです。たとえ、自分の周りを取り巻く状況が何一つ変化しなかったとしても、自分の受け取り方が変わることで、結果的に世界が変わるわけです。

地球があなたを支えている

腕の次には、脚の話をしましょう。スクワットについてです。

スクワットをすると、目の前の景色が上下する。

これはなかなか哲学的だと思いませんか。

まず、スクワットは脚や膝に構造的な欠陥や怪我がある場合をのぞいて、いつでも、どこでも、ただちにできます。綺麗なビーチだろうが、ホテルのドアの前であろうが、極論すれば刑務所の中でも。もちろん、悩みを抱えていようが、何も考えていなかろうが、ハッピーであろうが不幸であろうが、いつでも、ただちに、その場でできる運動です。

そして、自分がしゃがむと、目の前の景色がせり上がり、立ち上がると目の前の景色が下がって元の位置に戻ります。

これが
こうなって
また戻る。

自分がどこにいても、どんな状態(前述の例外は除く)であっても、一回でもスクワットができて、目の前の景色がそれにいつも応えてくれる。これほど確からしことがあるでしょうか。

自分が地球上に存在していて、その重力を頼りに上下がわかり、かつそれに打ち勝つだけの筋力を自分が備えていることを、地球そのものからいつでも確認可能なんですから。それだけで自分を取り巻く世界の問題の半分以上は片付いていることになりませんか。

暴論でしょうか。答えは、スクワットしてみればわかるでしょう。

そして、スクワットでもまた、腕立て伏せと同じ理屈で「余計な3回」を経験することができます。悩みは、腕だけでなく足の筋肉にも変換可能なのです。

私の話

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