見出し画像

フライトキャンセルの意思決定と情報のハブとしてのキャプテン職

先日、悪天候によるフライトキャンセルをしました。

パイロットは飛ぶのが仕事ですが、実は、飛ばない判断をすることも同じか、それ以上に重要な仕事です。お客さんを無事に目的地に届けたいのは山々ですが、そもそも目的地にたどり着けない可能性が高いのであれば、わざわざ飛んでいって皆の時間や燃料を無駄に燃やすべきではありません。

この、「行けと言われれば行けるけれど、敢えて行かない」を判断するにはどうしたらいいのでしょうか。当日のキャプテンの行動がとても参考になったので紹介してみましょう。

北島全滅の日

まず、その日の地上天気図と衛星画像を見てみましょう。

北から降りて来た低気圧が、ニュージーランド全体、特に北島にかなりの湿気を運んできている状態。オークランド、ロトルア、タウランガ、ハミルトンあたりが軒並み雨と雲でやられています。

そして、南島には停滞前線がかかっていて、広い範囲にべったりとした雲。可視画像で白が濃く、赤外でところどころ赤が入っているので、分布している高度帯も広そうです。こう言う雲は、逃げられないので、着氷やタービュランスに対する対策を考える必要があります。

行くべきか行かざるべきか

後に詳しく説明しますが、この日はオルタネート(悪天によって着陸できなかった場合に向かう代替飛行場)を近場のハミルトン(NZHN)や主要空港のオークランド(NZAA)ではなく、ネイピア(NZAA)やギズボーン(NZGS)といった東海岸沿いに取る必要があり、その後のお客さんのハンドリングが問題になりました。

ネイピア(NZNR)とギズボーン(NZGS)の位置関係

このようにいつもより広範囲に渡って天候が悪く、オペレーション上の制限事項が多い場合、エアクルーの一存では行くべきか否かを判断するのが難しくなります。

そこで、大事なのが、オペレーションコントロール(会社のオペレーションセンター)とのコミュニケーションです。

オペレーションコントロールとのやりとり

うちのベースはパイロットのプランニングルームの隣にクルー・オペレーションコントロール、通称「オプス」があるので、こんな時はすぐに話ができます。

プランニングルームでキャプテンと共に後述する情報を全て勘案し、搭載燃料を決め、「行けと言われれば行ける」状態を確認してから、隣の部屋で3台のモニターを睨みつけている気の強そうな女の子に声をかけるべく、ガラスの窓をノックします。

途端に、可愛らしい笑顔をこちらに向ける女の子。この子が、会社の国内線ネットワークのキャンセルをする権限を持っているとは、にわかには信じられません。

さて、与太話もそこそこに、キャプテンが情報を手短に伝えます。

「行けと言われれば行ける、しかし現在のところ目的地のロトルアはミニマを下回っている。」

ハミルトンとロトルアのMETAR

「運がよければ着陸できるかもしれないが、午前中から他の便もダイバートしていて、TAFによると正午から午後6時までという長い時間、ミニマを下回る可能性を示していて、今日の夜にかけてさらに雲が低くなると予想されている」

ロトルアのTAF

「さらに、いつも使う近場のハミルトンが現在、予報より天候が悪くてオルタネートに指定できない。ロトルアがダメだった場合はネイピアかギズボーンに降りる可能性がある。」

そういう情報を伝えました。すると、彼女がまた怖い顔に戻ってしばらくスクリーンを睨みつけたあと、方々に電話をかけまくり、ネイピアに降りた後乗客をバスでロトルアに移送できるかを現地のオペレーションコントロール経由でバス会社に問い合わせました。

彼女が電話を切ると、キャプテンと相談が始まります。

「ロトルア便の後はどこに飛ぶの?」
「クライストチャーチにもどって午後遅くにダニーデン便をやる。そこでオーバーナイトだ」
「そっちは落としたくないわね、ハミルトンへは行けないの?」
「天候が回復すれば行けるけれど、約束はできない。」
「ロトルアをミスる確率が高いってことよね」
「その通りだ」
「ネイピアからのバスはないみたい」
「そうなると、もしネイピアに降りた場合は給油してお客さんを乗せたままクライストチャーチに戻ってくることになるな」
「ネイピアに行かず、クライストチャーチに戻ることは?」
「それは可能だ。ただ、かなり燃料を積まなければ行けないから重くなる。重くなると高く昇れないから悪天の中を突き進むことになって、ロトルアまで1時間半、揺れっぱなしだろう。大量のシックバッグが要るな。」

ふむ、と言ってもう一度、前方を睨みつける彼女。まるで、目の前のスクリーンに念力で穴を開けようとしているようです。しばらくそうしていたあとに、意を決したようにこう言いました。

「切りましょう。わざわざボコ揺れの中を行って、クライストチャーチに帰ってきました、じゃ、お客さんからクレームの嵐だろうし、燃料ももったいないわ。」

キャプテンがほっとしたように「了解」と言ってそこから我々は午後の便までかなり時間が空いたので、私は一度帰宅し、息子を保育園からピックアップ、うさぎの世話と夕食まで済ませて再出勤しました。

家にいるときにロトルアとハミルトンの天気を確認したら、さらに悪くなっていました。もし出発していたら、本当にネイピアで立ち往生かボコ揺れの中をクライストチャーチに戻ってきていたことでしょう。お客さんの時間と何トンもの燃料を無駄に燃やして。

情報のハブとしてのキャプテン職

便を切る決断を、キャプテンではなくオプスがしたことに注目してください。

飛行機学校で操縦を習うとき、キャプテン、厳密には「PIC:Pilot In Command」が全ての責任を負う、という原則がいたる所で出てきます。

何をしても、最終的にはPICの責任だと。それはある意味で正しいのですが、今回のように、会社の運航担当者が便を切る決断をすることだってあるのです。このとき、キャプテンがやるべきは、彼女が決断をするための情報を提供することで、この「情報の流れを止めないこと」が実はキャプテンの仕事のうちかなり重要なことなのではないかと考えるに至りました。

上空で何かあった場合でも、なんでもかんでも「おれが、私が、」と肩肘を張るのではなく、今、機上で自分たちが持っている情報をATCやカンパニー無線を通してできるだけ多くの関係者に伝えることが、結果的にいい判断につながるのではないでしょうか。

もちろん、切迫した緊急事態においては、限られた時間と情報で「死なないための決断」を自分だけがすることもあるかもしれません。しかし、日々の運航で現実的に直面するちょっとしたイレギュラーを処理するのに、そういう「ヒロイックな決断」をする必要は、必ずしも多くありません。

それよりも、自分の持っている情報をくまなく外に出すことで、自動的に解決に向かうことがほとんどです。キャプテンには、客室からも、FOからも、ATCからも、全ての情報が上がってくるようにヒエラルキーが組まれています。ですから、逆に自分に集まった情報を外に出してみんながそれを共有している状態を作るのも、キャプテンにしかできない仕事で、そこに経験の多寡は関係ありません。

自分が持っている情報は、良い結果を得るために必要な情報の一部でしかない。そして、自分の周りには、自分より多くのリソースや情報を持っている人たちがいて、彼らがいつも自分たちを助けようと最大限の努力を傾けてくれることを知っているキャプテンは、全てを自分で背負いこんでしまうキャプテンより、おそらく良い判断ができるはずです。

後日談

ちなみに、翌日の午前中になってもまだロトルアにたどり着いた便は一便もありませんでした。

ちょっと年上か、同年代くらいのキャプテンでしたが、思考のプロセスを逐一確認してくれたので、CRMとしても、ウェザーキャンセルのテンプレートとしても、非常に良い見取り稽古をさせてもらいました。

***

さて、以下の有料パートは、私が実際に使っている資料を並べて天候確認のプロセスを詳細に解説しています。

■ SIGMETは

ここから先は

2,555字 / 9画像
この記事のみ ¥ 250

いただいたサポートは、日々の執筆に必要なコーヒー代に使わせていただき、100%作品に還元いたします。なにとぞ、応援のほどよろしくお願いします!