見出し画像

伝えたいこと

将来の夢は「学校の先生」だった。

身近にいる大人で、仕事している場面を常に見ているから、想像つきやすかったのだろう。そして、母親は元教師だった。だから、自然と”先生”に対するあこがれがあったように思う。

大学進学に向けて勉強するが、これまで全く勉強に力を入れてこなかっただけに、浪人までしても、世間でいういい大学には入れなかった。でもそこは、”先生”になる夢を追いかけられる場所だった。

先生になる道のりでは、すぐに分岐点に立たされた。教員免許を取るのか、社会福祉士を取るのか。そう、私は福祉系の学部に所属していた。

ここで存在していたのが、社会福祉士を目指せるというステイタス。勉強落ちこぼれ人だった私が、大学生になると何故か優等生組に入っていた。それを維持するためにも、これまで見えていなかった社会福祉士を目指すこととなる。

社会福祉士の受験資格を得るために、現場実習が必要となる。その実習先の選択するときのこと。

児童系はとても人気がある。何故だか、みんな楽だと思うのか、いいイメージを持っているようで選択する人が集中する。私は何せ、子供が苦手だったので、選択肢にはなかった。

高齢者分野は、身近に高齢者がおらず想像がつかなかった。

障害分野。ここも、児童の障害分野は人気であったように思う。私は成人の障害者施設を選ぶこととなる。

決して残った選択肢であったからではない。

近所に、変な人、としてよく知られている人がいた。みんなその人をからかうように見たり、話しをしたりしていた。私はそれができず、周りのその態度に違和感を感じていた。だからといって、何か行動に出たわけでもない。ただただ、その人の話題の時には黙っていた。

そして、怖かった。その人が。

実習先の選択の時、このことを思い出した。何もしていない、何も知らないその人を無条件に、”怖い”と思ってしまう自分が怖く感じた。同じ人間、違いなんていっぱいある。人と違うこともみんなそれぞれ持っている。何より障害をもつ彼らは、純粋に精一杯生きているし、生きていることを楽しんでいる。

勝手な思い込みで人に恐怖を感じ、避けること、これぞまさに差別の始まりかとも感じた。それは、本当に嫌なことだった。自分にもそういう感情があったのかと驚きもした。でも、怖いと思ってしまう自分は拭えなかった。

そんな自分を変えたくて、実習先は重度知的障害者が暮らす施設にお世話になることとなった。

知らない場所での振る舞い方を知らない、バイト経験が少ない、仕事をされている場所にお世話になるということがどういうことかわかっていない、など他にもいろいろな要因で実習は失敗に終わる。

何も得たものがないわけではなかった。そこで私は”自閉症”の人と出会う。

それ以降、自閉症について本を読み、論文を書き、自閉症を専門としている施設に見学をさせてもらい、就職先を知的障害と自閉症を持つ人が暮らす施設とした。

この就職先は厳しかった。自閉症の療育には様々な方法がある。これといった絶対的な物はない。自閉症も人それぞれで、一人ひとりその特性の出方が違う。そう、人付き合い。究極の人付き合いの始まりだった。

施設長は自閉症療育に対する哲学を自ら模索し、発信し、職員に投げかけ続けた。

私は、社会人というポジションにいることがどういうことか、わかっていなかった。仕事に向き合う以前で止まっていた。だから、この仕事に対して邪念ばかりが働き、2年で辞めてしまう。

その後、しばらく福祉からは離れた仕事を続ける。でも、しっくりこない。そしていつも頭の片隅にある自閉症療育にこと。

原点に、障害者を怖いと思った自分が怖く、嫌だった。しかし、彼らと付き合うと、みんなとても純粋で、俗にいう、いい人ばかり。私と何も違わない。怖くない。そう、ただの人。

お金を生み出す直接の生産性はなくたっていい。人は存在するだけで、誰かの支えとなり、活力となっている。

彼らのことを知らないことも、怖さにつながる要因だった。知ればなんてことはない。だって、同じ人間だから。

これを、知らずに怖がっている人に伝えたい、知ってほしいと思うようになって、就職先を福祉施設にしたことを何度も思い返していた。でも、私は2年で辞めてしまった。逃げてしまった。彼らを理解し、信頼されることは容易ではない。それをまだ極めていないのに、2年かじった程度で、あれこれと彼らについて語ろうにも語れなかった。知ってほしいのに。

そして、4度目の就活。思いを断ち切れなかった、福祉の現場に戻る。

やっぱり難しいし、日々失敗、成功の連続。いまだに何も極めれてないけれど、彼らとの生活はいつも面白い。気を抜けばすぐにその結果が返ってくる。かと思えば、そんなことしてくれるの、って感動するくらい優しいことを自然にしてくれることもある。

いいことばかりじゃないけれど、彼らの喜怒哀楽から私がどれだけ理解して応じられるか、それがはまった時はお互い、とても強い絆を持つことを実感できるようになる。

きれいごとじゃないんだ、はその通り。でも、知らない人にはきれいごとから伝え、彼らに対して持っている感情を少しでも柔らかくしてから、次を伝えないとと思っている。

究極の人付き合いを突き付けてくる彼らに敬意を表して。

いつも、ありがとう。これからも、よろしくお願いいたします。そして、私はあなたたちと、ずっと共に生きたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?