心を平らに、惑わされず。
新卒で就活をしていた頃、苦手なグループディスカッション(略してGD)対策もしようと、GDの練習する場にも赴いていた時期がある。
そういう場で、既にバリバリ働いているであろうサラリーマンの先輩が言っていた言葉を、未だに私は覚えている。
ニュアンスは違うかもしれないが、仕事は楽ではないとか、大変なものだとか、そういうことを言っていた気がする。たしかに、その通りだとは思うが、当時の私はモヤモヤしていたように思う。
ただ、現に仕事というのは楽ではなく、お金をもらう分責任を伴うものである。
障害者雇用で雇われている私は、だいぶ温情を貰っているように感じるが、それでも他部署の先輩が更衣室で泣きながら話しているのを二回も見かけたことがあり、同じ職場にいるのに別世界にいるようだなと思った。
現職場はホワイトな方だと思っていたが、部署によっては辛いことも沢山あるのだろうと思う。実際、部署や立場によって残業時間が全然異なっており、部署間格差を日々感じている。
日々、あまり仕事を任されず、淡々と単調な仕事をこなしている身としては、気まずさを感じてはいる。とはいえ、初めからある意味『戦力外』として雇われている身としては、諦めに近い感情を抱いている。
職場のブラックな部分からは自分が切り離されているようにも思えるし、それは『幸せ』なことなのだろう。ただ、一人障害者として取り残されているような気分にもなる。
発達障害者の私は、他の先輩たちと同じ土俵には立っていない。少しずつ仕事が増えているものの、土俵を眺める観客に過ぎない。
そもそも、私は今まで、仕事をあまり楽しいと思ったことはないと思う。タスクを期限内にこなせれば達成感はあるものの、大してやりがいを持てたことなんてない。
今でも思うことがある。
もっと自分に合った仕事に出会えたら、私は今頃もっと輝いていたのだろうか。
ただ、ADHDの注意欠陥の特性や、ASDの自閉的な特性がある私は、どうしても普通に仕事をしていれば、迷惑をかけてしまうことがあるだろう。
焦るとミスをしがちだし、周りと必要以上にコミュニケーションを取ろうとすると、ズレたことを言ってしまったり疲弊してしまったりもする。
人の些細な反応の違いも、気にしてしまう。ただ最近では、忙しかろうが暇だろうが、周りがどれだけイライラしていようが、自分の態度は平坦であろうと思っている。
もちろん、冷たくされたり素っ気なくされたりすると、一瞬傷つくし顔にも出がちだ。
それでも、自分に余裕がなければ、人に優しくできないときもあるだろう。今までは自分がなにかしたのだろうか?と気にしていたが、今は自分が常に同じ態度を貫くことで、相手の態度が変わったのは自分のせいではない、と考えられるようになった。
職場の皆が忙しかろうが暇だろうが、優しかろうが冷たかろうが、自分は態度を変えないでいようと思っている。
心を平らに、惑わされず。
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