現状に甘えるのは。
現状に甘えるというのは、正直あまり良くないことはわかっている。
発達障害者として障害者雇用で働きはじめ、就職する前は働き始めてからの自分のことを書いて、自分と同じように障害者雇用で働くことに不安をいだいている人が見つけてくれれば良いと思っていた。
そして、自分のように他人に恋愛感情を抱いたことがなく、一生恋愛とは無縁であろう人たちに、それは可笑しいことではないと伝えたいとも思っていた。
現状は、そんなに書くことに意義を見いだせず、ただ怠けて暮らしているようにも思い、そんな自分の凡人ぶりに呆れてしまったりもしている。
日々書いていると似たようなことを書いているような気分になり、実際そうなっている現状に嫌悪感をいだいて、更新する気がなくなってしまうことも多々ある。
それにかんしては、一応漫画家や作曲家が、一度ヒットすると作風の似た作品ばかり生み出しているのを見ていて、そういうものだと割り切ることにしているものの、私は何かをヒットさせているわけでもない素人なのである。
そういう自己嫌悪があり、さらに現状仕事でも大した仕事を任されていない。
ここに書けるような劇的なことは何もなく、ただ現状は無為に流れている。
友人と呼べる人もいないものの、コロナで会食系はまったくなくなり、新人の歓迎会もないなか、正直あまり不自由はしていない。
友人がいないと不安になる人もいると思うが、職場で友人がおらず、只一人障害者雇用で雇われたせいで何となく距離を感じている現状、孤独でもさほど寂しいとは感じていない。
友人も恋人もいない寂しい独身女性、といえば聞こえが悪いが、私は『ないものねだり』をする必要はないと思う。自分にある物を数えて、それで満たされていれば、それ以上を求めても苦しいだけのようにも思える。
とくに発達障害者であり自閉症スペクトラムと診断されている者は、ことさら人と関わるのが苦手で当たり前だろう。
現状、人と関わることから逃げているともいえるが、報連相は守っているし仕事は無遅刻無欠席で通っている。
当たり前とされていることをやり遂げているのだから、職場で暇な時間が長くとも新人よりも仕事を任されずとも、通えていれば万々歳くらいに思っている。
もし自分主体の物語があれば、これほどつまらないものはない。
それでも、今まで新卒でSEとして就職したり無職になったり派遣になったり就労移行支援施設に通ったり、学生時代には疎まれていた人間にしては、十分頑張ったのではないかと、自分位は自分を褒めてやりたいと思う。
まだまだ人生は長く、実家の家族よりも長く生きてしまうであろう人生を思うとクラクラするが、それでもこの混沌とした時代を生き抜かないといけないのだろう。
異常気象やコロナ、戦争、様々な悪いことが度重なる世の中で、日常を守るということは、物語としてはつまらないが、人生としては悪くないだろうと思っている。
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※こちらの記事はコメントを求めておりません。お読みいただき、ありがとうございました。
本当はこの文言を毎回入れるのもどうかと思っていますが、コメントが来るたびに胸がざわつく感覚があるので、書き続けるなら今後もコメントを見られないだろうと思います。