オープン雇用事務員プチ日記⑫過去の栄光にすがって生きるのは、悪いことだろうか。
過去の栄光に縋りつくのは見苦しい、とよく言われる。
たしかに過去の成功を自慢げに話すのはどうかと思うが、心の中で『自分が積み重ねてきた努力の証』を抱いているのは、悪いことではないと思う。
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私は小中高生の頃、正直楽しいとは言えない学校生活でした。
日々学校に行くのは億劫で、カースト上位の人たちは底辺である自分を見下していて、私は常に底辺中の底辺だったように思います。ただ虐められないだけよい方で、同級生たちに消しかすを投げられたり物を隠されたりするような女子もいましたし、クラス替えをしても誰かしらがそういう目に遭っているのを見ていました。
自分はあそこまでされていないからマシだと思って生きていました。私にとってのイジメは、集団で寄ってたかって何かを投げつけたり物を隠したりされるような行為のことでした。
ただ当時から薄々思っていたのは、陰口を言われたり目の前で悪口を言われたりクスクス笑われている自分も、またいじめを受けているようなものでした。
そういう自分の支えになっていたのは、勉強と部活でした。
勉強は中学の頃は平均より少し上程度でしたが、高校では少し偏差値の低い私立に通っていたので、トップに入るようになりました。
特に高校3年生の頃は、秋の県大会まで部活を引退できない中で毎日勉強をコツコツしていましたし、3年目にして関東大会を逃しましたが、それでも自分は引退まで頑張ったという自負があります。
部活は地獄のような日々で、いくら練習をしてもうまくならず、自分よりうまい後輩に指導することができず舐められていました。練習すればするほど疲れて駄目になる一方で、私はあまり周りとうまくコミュニケーションを取れなかったので、余計に嫌われていたように思います。
当時、気弱でうまく話せなかった私は、あまり後輩に好かれた記憶が実はないのですが、社会人になってからは上手く後輩と接することができるようになりました※同級生にも正直馬鹿にされたりうざがられたりしていましたが……
当時学んだのは必要以上に他人の目を気にしないこと、オドオドしないこと、言いたいことはハッキリ言わないと伝わらないこと等。
辛い日々と引き換えに、色々なことを学びました。
初めから今の自分のまま学校に入学できていたら、もっと穏やかで話しやすい子を探して仲良くなり、うまくクラスで目立たちすぎないポジションを取れたかもしれないと思いますが、正直あの地獄のような環境に戻りたいとはもう思えません。
特に高校の頃は部活の練習も人間関係も辛く、勉強も思うように時間が取れない日々でしたが、それでもあの頃の自分が一番努力していて、最も輝いていたように思います。
私は中学までは行事前に風邪を引いてしまうような病弱人間でしたが、高校では部活を休めないし夏~秋の大会以外にも出演しないといけないイベントも多かったので休むことができず、身体だけは丈夫になりました(笑)
地獄のような日々も、学生時代の一瞬であれば『糧』にできる。
漫画にあるような美しい青春とは程遠い物でしたが、それでも人生で最も大きな栄光であり、『悪夢』だったと思います。
(今でも時々高校時代の夢を見ます。それは大抵、自分だけうまくできない、部活を辞めたいのに辞められないような類の『悪夢』ですが)
人は『終わり』があるから頑張れる。
人生はひたすらに長く、出口が見えない日々。それでもいつかは終わりが来る。終わりが来るまでに。悔いが残らないように。
p.s.過去の自分にありがとうを。
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