未来へ向けての悩み ②
今の仕事に就くことで
勉強に時間とお金をかけることに対する
考えが変わった。
その一方、
自分の活かし方がわからなくなった。
わからなくなったというより、
価値観を変えなくてはいけないのか、悩む。
「出来なくてもいい」
「やりたくない事は無理する必要はない」
「勝たなくてもいい、ただ負けるな」
「今」を楽しく過ごす。
明日は明日の風が吹く
そんな考えを持ってきた自分の「価値感」を
変えなくてはいけないのか。
今、毎日
「変われ」と言われている。
上手くいかない原因は、自分自身だ。
自分が変われば、なんにでもなれる。
強い自分にならないと、人を助けることが出来ない。と。
なんだか、今までの自分が否定されている感覚をおぼえる。
そして劣等感も。
常に前向きで、全力で、
昨日の自分より強い今日の自分を求められる。
すごく窮屈だ。
でも、子供たちに頑張る事を伝えるには
自分自身が頑張っていないと伝わらないだろう。
本気の覚悟が必要だという事は理解できる。
子どもにある無限の可能性と
高齢になるほど少なくなっていく可能性。
このまま、価値観の違い を理由に今の仕事を
辞める事もありだろう。
しかし、よく考えてみれば
「可能性を引き出す」という点では
介護も教育も一致している。
また、
自分らしく生きる
そのための選択肢を増やす
という点でも同じだ。
どうしたらいいか。
どんな方法(選択肢)があるのか。
何をすべきか。
それを知らない人に教える。
自分の経験を伝える。
自分の知識・技術・経験を活かして
必要としている人に使ってもらう。
共通項は結構ある。
「自分らしく生きる」ことを
最終目標とするなら、むしろ同業と言えるかもしれない。
介護と塾の違うところは、
「管理」する必要があるという点だろうか。
そして、出来るように「なる」と出来なく「なる」という事。
介護でも管理が必要な部分はあるが、
やはりそれとは違う。
子どもたちには、必要なのは「コーチ」だ。
嫌でもなんでも、やらせる。
自分一人では勉強出来ないから、やらせる人が必要になる。
だから塾に来ている。
出来るようになることを望んでいる。
そして、結果を出す。
やれば出来る(出来た)成功体験をさせ、
次につなげていく。
一方、
高齢者には、必要なのは「コーディネーター」だ。
本人のニーズに対して、提案をする。
選ぶ権利は、本人にある。
努力は必要としない。
満足感を得られれば、次につながる。
つまり、目的は同じでも
手段(方法)が異なる。
そして
人生の
発達期 と 衰退期
という違い。
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