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短編小説「銀河ステーション」後編《銀河鉄道の夜》オマージュ作品

※宮沢賢治「銀河鉄道の夜」をオマージュし、賢治の文章を時折ちりばめて書いたものです。




『銀河ステーション、銀河ステーション…』


突然、暗い夜空に不思議な声が響き渡りました。


次の瞬間、賢一はあまりの眩しさに目が開けられなくなりました。
空はもう明るいなんてものではありません。まるでよく晴れた日の雪景色のように、しかしそれの何倍もの明るさで、辺り一面が真っ白になりました。

そして気が付くと、賢一はごとごと揺れる銀河鉄道の中にいて、窓の外を眺めていたのでした。

賢一は、映画でしか見たことの無いような古い列車の、青いビロードのシートに座っていました。窓から見える景色はどこかの河原のようでした。


「ここは、どこなんだろう…」


窓を開け、夜の冷たい空気の中に顔を出して見て、賢一は、あっと息をのみました。
その列車は、さっきまで遥か高い場所に見えた銀河の中を、賢一を乗せてごとごと走っていたのです。近くには天の川の岸辺があり、青白く光る銀河の水が打ち寄せているのでした。

「何で…」

訳の分からないまま、賢一は顔を引っ込めました。
そしてふと足元に目をやると、自分の半ズボンから伸びた足が、とてもほっそりしていることに気が付きました。
Gパンをはいていたはずなのに、と思った途端、自分のにぎりこぶしがひとまわり小さなことにも気が付きました。
変に思って立ち上がり、閉じた上半分の窓に写った自分を見て、賢一は驚きました。

写っていたのは七、八歳位の少年でした。しかしそれはまぎれも無く、昔の写真などで見る、幼い頃の自分の顔なのでした。

もう本当に何が何だか分からなくなり、賢一は椅子に座り込みました。そうしているうちにも、銀河鉄道は天の川に沿って走っていきます。
カーブに差し掛かったときに先頭を見ると、煙の出ていない機関車が見えました。

車内は誰もいませんでした。向かい合わせの席がたくさんありましたが、人の姿はありません。
窓の外は夢のように美しく、銀色の空のススキが一面、さらさらと音を立てて風にゆらいでいるのが見えました。天の川の水は、ガラスよりも空気よりも透き通っていて、角度の加減か青く見えたり赤く見えたり、紫色に見えたりしました。

賢一は美しい空の野原にしばらく見とれていました。

 
「ああ、ここにいたね。」

突然声がしたので賢一が振り向くと、いつの間にか目の前の席に男性が座っていました。
四十代位でしょうか。男性は痩せていて、濃い茶色のジャケットを着てネクタイを締め、きちんとした身なりをしていました。
賢一はこの人とどこかで会った事があるような気がしました。

「これを君に渡そうと思ってね。」


男性は細く骨張った指で、ジャケットの内ポケットを探り、紙切れを取り出しました。

「これはどこまででも行ける切符だ。大事に持っているんだよ。」

 
それは、四つに折った葉書き位の大きさの、緑色の紙でした。開いてみると一面黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの文字を印刷したもので、黙って見ていると吸い込まれそうな気がするのでした。

「どうして僕に…」


するとその人は、賢一を、目を細めて見つめながら言いました。

「ああ、君にも本当の答えを探して欲しいんだよ。」

「本当の答えって?何のことですか?」


そのとき汽車が大きく揺れました。そして賢一が瞬きした一瞬の間に、その人の姿はもう影も形も無くなっていたのでした。

賢一はその男性のことをどこで会ったのか、懸命に思い出そうとしましたが、どうしても分かりませんでした。やさしげな瞳、落ち着いた低い声…どこで知っているのでしょう。


賢一はしばらくその不思議な切符を見つめていましたが、やがてズボンのポケットに大切にしまいました。そして誰か他に人はいないかと、とにかく汽車の前の方へ向かって歩いてみることにしました。

隣の車両には誰もいませんでした。その次の車両にも。そしてその次の車両に足を踏み入れたときです。誰かの声が聞こえてきました。

「おっかさんは、僕をゆるして下さるだろうか。」

少年の声でした。賢一は一瞬立ち止まり、それから近くの席にそっと座りました。

「カムパネルラ、きみのおっかさんは、なんにもひどいことは無いじゃないか。」

「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばんさいわいなんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」

「もうじき白鳥の停車場だね。」

「ああ、十一時かっきりには着くんだよ。」

カムパネルラ…

そのとき賢一は、突然気が付きました。

「銀河鉄道の夜…!」

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、幼い頃、母親が読み聞かせてくれた物語でした。美しい色彩の大きな絵本もあったので、賢一は大好きでよく見ていました。

カムパネルラとジョバンニだ。二人の少年が銀河鉄道に乗り込んで旅するんだ。でも、あの本はどこにしまったっけ?
それにあの話、最後どうなるんだっけ?
賢一は物語の結末を、どうしても思い出せませんでした。


汽車は徐々にスピードをゆるめて、間も無くプラットホームの一列の電燈が、美しく規則正しく現れました。そして丁度、白鳥の停車場の、大きな時計の前に来て止まりました。

〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。

「僕達も降りてみようか。」


ジョバンニが言いました。

「降りよう。」


カムパネルラが言いました。

二人は跳ね上がって、ドアを飛び出して行ってしまいました。賢一はしばらく迷いましたが、外に行ってみることにしました。

賢一は誰もいない改札口を通り抜け、水晶細工のように見えるイチョウの木に囲まれた広場の道を歩いて行きました。ジョバンニもカムパネルラも、先に行ってしまって見えませんでした。

しばらく歩いていくと、汽車から見えたあの美しい河原に来ました。

賢一は天の川の水に、そっと手を浸してみました。指先に当たった水は瞬間、水銀色に光り、美しい燐光をあげました。

「君はどちらから来たのですか?」

突然後ろから声をかけられ、賢一は驚いて振り向きました。
するとそこには、カムパネルラが立っていたのです。

「え、あの、僕は…」


僕はどこから来たのだろう。賢一は何と答えて良いのか分からなかったので、口ごもりました。
あの足元の遥か下のほうにある灯りの一つから、と答えようか。でもどうしても違う気がしました。しかしカムパネルラは無理に答えを求めず、話し続けました。

「友達は随分走ったけれど間に合わなかったのです。」


カムパネルラはしゃがんで、銀河の河原の砂をさわりました。砂はきしきし音をたて、青白く光りました。

「僕はおっかさんのさいわいになるなら、どんなことでもします。だけど、本当のさいわいって、何なのでしょう。」

賢一はそのときはもう、はっきり『銀河鉄道の夜』の結末を思い出していました。

カムパネルラは川に落ちた友達を助け、帰ることの無い旅に出た。ジョバンニは深い孤独を抱え、一緒に銀河鉄道に乗ったんだ。

さっきもらった切符は、天上にまでも行ける切符なんだ。この汽車は行ったっきり、戻らないんだ。

じゃあ僕は何で乗り込んでいるのだろう。何のために…

賢一は遥か下の、ちらちら見える灯りの一点にいるはずの、母親と美紀のことを思い出しました。

美紀の傷はたいしたこと無かったろうか。母さんは僕のことを心配しているはずだ。あんなふうな態度をとったのは初めてだから…美紀はもう寝ただろうか。

「カムパネルラ、そろそろ出発の時間だよ。」


そのとき、ジョバンニが遠くから呼びました。

「うん、今行くよ。」


カムパネルラは行きかけて振り向き、言いました。


「君も急いだ方が良いよ。」

賢一も一緒に走り出そうとしました。しかし、銀河の砂に足をとられ、どさっと転んでしまいました。
すぐに立ち上がり、剥き出しの膝の砂を払い落としました。砂は青白く光りながら、辺りに小さく舞い上がりました。

再び走り出そうとしたのですが、どうも足がもつれる気がします。見るとさっきまで空気のように軽かった砂が、鉛のように重くなり、足にまとわり付いていました。

カムパネルラとジョバンニの姿は、どんどん小さくなっていきます。

「待って…!!」

賢一は声にならない声を出しました。実際、唇がぱくぱく動いただけだったのです。
焦れば焦るほど前に進まず、底なし沼のように、賢一の足は銀河の砂に沈んでいきました。

しかし賢一は、どうにか白鳥の停車場の改札前まで辿り着きました。銀河鉄道の窓の明かりが四角い金色の折り紙のように見え、並んでいます。何人かの人影も、見えました。

そのとき一番後ろの車両に一人で乗っていた人が、ふいにこちらを向きました。

「あれ…あっ!父さん?!」

それは二年前に亡くなった、賢一の父親でした。

そしてあの切符をくれた男性のことも、古い写真の姿と共に、思い出しました。
父親と同じように若くして亡くなった、祖父だったのです。


車窓から、父親は賢一に目を細め、笑顔を見せました。どこか悲しいような、心配するような表情をしていました。

「父さん、待って!!」

そのとき、さっと冷たい風が吹き、銀河鉄道の発車のベルが鳴り響いたのでした。

 

*** 

 

賢一は目を開けました。
心臓は激しく鼓動を打ち、頬には冷たい涙が伝っていました。

見上げると、電線の向こうに星空が見えました。しかしもうさっきのように天の川も無い、いつもの夜空でした。
すぐに身体を見てみましたが、元の十五歳の自分に戻っているようでした。

賢一は跳ね起きました。家で自分のことを心配している母親と美紀のことが、胸いっぱいに思い出されたのです。

賢一はいっさんに、丘を下って行きました。
住宅街を駆け抜け、息もつかずに走りマンションの玄関のドアを勢いよく開けました。そのまま寝室に駆け込むと、美紀は布団で寝息を立てており、その横で母親が添い寝をしていました。

 
「賢一…」


母親は賢一を見ると静かに起き上がりました。

「美紀のおでこはただのかすり傷。大した事無いわよ。それから、今日は本当にごめんなさいね…」


美紀の額には小さなばんそうこうが貼ってありました。

賢一は堪らなくなって、母親を見ました。


さっきまで遥か遠い銀河を走る、銀河鉄道に乗っていたんだ。父さんもいた。おじいさんにも会った。二人ともとても心配そうに、でもやさしく僕のことを見ていたんだ…。

心に浮かんできた色々な思いが賢一の中に渦巻きましたが、一つも言葉になって出てはきませんでした。
ふと思い出し、ポケットに入れたはずの切符を探しました。カサカサ紙の感触があったので、賢一は取り出そうとしました。
しかしそれは、賢一が少し力を入れただけで、ポケットの中で粉々に崩れてしまいました。

取り出した手をそっと見てみると、指先に銀色に輝く砂のようなものが付いていました。しかしやがてそれも弱い光になり、跡形も無く消えてしまいました。

 
美紀はさっきまでの騒ぎが嘘のように、本当に幸せそうな顔をして寝息を立てています。

賢一と母親は、しばらく黙って、美紀の寝顔を見つめていました。


《おわり》

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