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お金を得るってことについて考える

11/1の今日は

ゲストハウス住み込み期間が終わり
二週間いた和歌山から離れた日であり、

9月末最終出社だった会社の
有給期間が完全に終わった日でもある

こっから一週間は関西方面で
会いたかった人に会いに巡り、

その後は
オーストラリアワーホリ出発までの約一ケ月
特にまとまった予定がない期間になってるけど

有給が終わって完全退職してるから
こっからの人生
なにかお金を得ることをしない限り
支出が増える一方なんだなと思って

ちょっと焦りとか不安があるなって
思った

和歌山のゲストハウスにいたときは
まだ10月いっぱい有給期間だったから

働いてなくても
ちゃんと会社でOLやってたときと
同じ量の給料が発生していたけど

こっからはそうはいかないんだなぁ

といいつつ、

何かしらでお金を得るように
動くこともできるかもしれないけど
(単発バイトするとか)

そういう
「生きていけるか不安だから
(生きていけないから)
労働の対価にお金をもらう」
っていうサイクルになんか違和感がある

支出ばっかで生きていくって
お金が尽きる=生きていけなくなる
になるから
お金を得ていく必要があるし

オーストラリアにワーホリ行ったら
どうせ死に物狂いで職を探して
どうにか生きていかなきゃ
いけないんだろうけど

オーストラリアに行って
ある種盲目的に仕事を探し始める前に

働くとかお金の循環って
どんなものなんだろう
を考えてみたい今日このごろ

なにより、
不安だからってお金の稼ぎ方
自分が幸せになれない感じがするし

ずっと同じことで
悩みそうだなって思うし

「改めて考えてみた仮説を元に
自分の人生で実験してみる」
って捉え方に変えられたら
割と楽しく生きられそう

今時点では
答えも仮説も何も見つかってないけど
つらつら書いていこうと思う


ヒントになりそうなことは、
会社にいた時期に感じてた
「お金はもらっているけどしんどい」
って感覚

たとえお金を稼げていても
(衣食住的に生きていけていても)
それで幸せにはなれないんよな
って感覚的に知っている

しんどかった背景はいろいろあるけど、
特にお金の循環について考えてたのは
新しい事業に移ったばかりの時

4年目なのに育ててもらうばかりで
何をやるにも時間がかかって
やっていることが事業・会社・お客さんに
貢献できていない、
バリューがゼロだって感覚があって、

その時期は
「なんで私はお金をもらって
そのお金でご飯を食べて
生きられているんだろう」
ってご飯食べながら苦しかった

(IT企業のエンジニア寄りのことをやってた)

未来のための成長投資だ、と言えば
それまでなんだけど

その時の私は
「いま、社会の循環にいたい」
って感覚があった

ここでいう「社会の循環」ってのは
「自分が何かを生んで誰かの何かに役立って
感謝されてその対価にお金をもらう」
っていう循環

だから、
サービス業やり直したい
って気持ちを純粋に思ってたりもした

「カフェで一杯コーヒーを提供する」
って行為も、
その行為をできる人がいなかったら
お客さんは一人では
そこの店のコーヒーは飲めないわけだから
立派な循環だよね、
みたいな

目の前にお客さんがいてくれたら
循環感じやすいよね、
っていうやつ

上に書いたみたいに
自分の働きがダイレクトに「提供」
って形で見えやすいサービス業とか、
自分が価値があると
信じられるような事業・仕事とか、

そういうものであれば
自分はしんどさを感じずに
社会の循環にいられるのかな

ん~どうなんだろう
なんかそれだけじゃない気がする

ただ、
お金・仕事云々は置いといて
「自分が目の前の人のためになるって
素直に思うことをやり続ける」
は直感的に良さそう

子どもが抱くような
「役に立てて嬉しいからもっとやっちゃう」
みたいな純粋な力って

対価とか承認とかに関わらず
自分を満たしてくれるもののような気はする

不安だからやんなきゃ、とかじゃない感じ

ただ、
その純粋な「やっちゃう」が
どうお金になるの?とか
じゃあどう働くの?とか
考え出すとなんかしっくりこないけど

仮説の一個目は
「純粋に相手に貢献しつづけたら
自然と循環していく」
かなぁ
(仮説というより願いかも)


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のん
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