是枝裕和監督『万引き家族』感想
*ラストまでの重大なネタバレを含みますので、ご注意ください。*
少し前に是枝裕和監督の『万引き家族』を見ました。見た直後はなんとも言えないもやもやとした雑感が残り、うまく言葉にできなかったので、感想は書かなかったのですが、気持ちの整理がついてきたので、筆を執ってみることにしました。
まず私がもやもやして口を噤んでしまった原因ですが、『万引き家族』はとても良い映画なのですが、私自身そう思うのと、社会的な高評価とは裏腹に、私は実はこの映画を手放しで大絶賛できていなかった、というのがあります。その乖離を上手く受け止められなかったのかもしれません。
なぜ大絶賛できないかというと、やはり「万引き」という「犯罪」を家族ぐるみでやっている一家の物語だからです。いくら愛があっても、親の立場である人間が子供に盗みを教える、というのが受け入れられませんでした。
そして個人的に一番印象深かったのは、信代(安藤サクラ)が祥太(城桧吏)の母親には見えなかった点です。
序盤からこの家に住む人々の家族構成はよくわかりませんでした。治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)は夫婦?兄妹?おばあちゃん(樹木希林)は治の母?信代の母?それとも二人の祖母?祥太は治と信代の子供なの?亜紀(松岡茉優)は治か信代の姪?
特に私は、信代が祥太の母親というには、どこか振る舞いに違和感があると思っていました。その違和感の正体を考えてみたのですが、「親としての責任感の欠如」なのではないかと思います。普通の母親が子供に対して示すような、この子の人生に、健康に、今後何十年と続いていく将来に対して言わずと抱いているような責任感を、信代からは感じ取れなかったのです。それは信代の祥太に対するしつけや教育、食育への態度から見て取れます。なので、愛と優しさはあったのですが、母親というよりは、気のいい親戚のおばちゃんのような域を出ないという印象だったのです。
もし信代が本当に祥太のことを愛していて、本当の親子になりたいと願ったならば、養子縁組をして祥太を正式に息子として迎え入れるとか、ちゃんと学校に通わせるとか、頑張ってお金を稼ぐとか(一応働いてはいたみたいですが、収入が低すぎたようです……)、万引きのことをいけないこととしてきちんと咎めるとか(「別にいいんじゃない……?」は優しさではないと思います……)、そういったことをすべきだったと思います。
だから、どんなに愛があっても、温かいと言われても、本当の家族より強い絆で結ばれていても、親として果たすべき責任をないがしろにして、いいとこ取りしたいだけでは、覚悟が足りないただの家族ごっこと言われても仕方ないかと思います。劇中のもうわざとらしいくらい話が通じない憎まれ役のような立場の警察官の女性のほうが、言っていることは正しいと感じます。
で、興味深いことに、信代自身もそのことはちゃんとわかっていたようです。最後に信代は刑務所で、「うちらじゃダメなんだよ」「あんたの本当の親は……」と祥太に打ち明けます。それは、やっぱり血が繋がった本当の家族じゃないからダメ、というわけではなく、自分達では祥太に満足な教育も受けさせてやれない、祥太の未来を暗いものにしてしまうかもしれない、という懸念から、祥太を手放す決心をした、ということではないでしょうか。
ここに是枝監督の社会派映画監督としての凄さがあります。ひとつ勘違いしてはいけないのは、是枝監督は決してこの映画で万引きという犯罪を美化してはいません。(もちろん、どうしてもそのように見えてしまう……というのはわかります。私もそのように見えてしまって受け入れられなかった一人なので。)
是枝監督が言いたかったのは、「犯罪をしていても、愛や絆はある」でも「本当の家族ってなんだろう。血の繋がりより大事なものがあるんじゃないか」でもありません。是枝監督が言いたかったのは、治や信代のように、心根は良い人なのに、恐らくは生まれ育った環境によって(教育や貧困など)、大人になっても短絡的な行動と判断しかできず、社会の底辺での生活を余儀なくされている人は、確かにいるのだ、ということではないでしょうか。
例えば、柴田家は貧困に苦しんでいますが、足りない分の生活費は、万引きで賄うという、「ないなら盗ればいいじゃない」という非常に直線的な考えです。それが自分の将来に与える影響、相手に与える影響を、考慮することができません。収入アップのために、例えば一旦借金をしてでもいいから、何か勉強して資格を取るといったような、遠回りをしてより大きな利益を得るという発想ができません。(資格を取れる頭の良さがあるかどうかは別として、そういう発想自体ができないように育ってしまった、というのがポイントです。)
だから信代や治が最後祥太を手放したのは、貧困の連鎖を断ち切る、大きな一歩だったと思います。是枝監督は決してこの家族を美化して感動物語に丸め込むのではなく、社会の現実としてそういう状況、そういう人たちがいることを、訴えたかったんじゃないでしょうか。
だから、とても良い映画なのに不快……不快だけどとても良い映画……という処理しがたい感情になってしまったのかもしれません。(笑)そういう“気持ち悪さ”も含めて、社会のリアル。この映画が社会派映画の傑作であることは、間違いないでしょう。
序盤での家族のような家族じゃないような……柴田家の人々の絶妙な関係性と違和感を巧く表現できていたのは、素晴らしいと思います。
あと審査員もコメントしていますが、取調室での安藤サクラの泣きの演技は本当に圧巻です……私の人生で見た一番凄い演技……これはもう実際に見ていただくしかありません……
余談ですがこの映画を見て世の母親は母親というだけで(振る舞いが母親のように見えるというだけで)偉大なんだな……と気付きました。もちろんりん(じゅり)の母親のような、子供のことを虐待していたりネグレクトしている親は言語道断ですが、そうじゃない最もマジョリティな世間一般の、子供のことを考えて、子供の将来に責任感を持っている世の母親は、とても偉大だなと思いました……私には誰か他の人の人生に責任を持つなんて、できそうもありません。