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整える、ということ・・・「一旦諸々中断」編8

いろいろ問題ばかりのMac。
トラブルに見舞われた時、10年前なら同じMacユーザーのしかも詳しい友人がいないとどうしようもなかったけど、今はググれば親切なブロガーさんたちが、様々なトラブル解決体験をアップしてくれていて、どんな珍しいトラブルでも大概のケースは探すとあります^^

今回もこれか、あれかと、一つずつ試し試し作業しながら、引き続き部屋の片付けに向き合う。

そこで、はたと。
周りを見渡して。
手が止まり。

本が溢れてる。もちろん、自分にとって大事な本だけど。
読みもしない本。でもいつかまた読みたいからと置いてある本。
子供の小さい時のおもちゃ、絵本がまだたくさんある。
3年以上見てもいないけど、いつか仕事の役に立つ、ボランティアなどの活動に使えると貯めてる資料がレターケースに入ったままになっている。

そう、私はかなり自分では断捨離していたつもりだったけど、実は捨てられない人だったのか。
また、好奇心の強さもあるけれど、とにかく消化しきれないままのIMPUTが多すぎるのでは?・・・と。

仕事もデザインがベースであるけれど、最近は結局はクライアントのソリューションをデザインでお手伝いするというスタンスになって、店舗インテリアからサインデザインに販促企画、プロダクトデザインのアイデア出し、チラシなどの媒体にWEBデザインまでと、なんでもするスタイルに。
結果、時代とともに依頼に合わせて仕事をするうち、仕入れる情報量の増加に合わせて紙の資料もPCのデータも増えてきた。

その上、ライフワークの森関係の活動やその資料、まちづくりに支援関係の市民活動にボランティアと、こちらも両手に余る活動をしてきた。

元々拡散系なので仕方がないにしても、これではどうしようもないと、昨年コロナもあり一つ一つ手放してきた。
とはいうものの、活動も押さえ、仕事も絞り頭では整理して手放してきたつもりでいたけれど、実際は慣れない仕事や時代に合わせてスキルアップさせていくことへの不安から、さらに情報に頼るという悪循環。

加えて心の中ではこれまでの資料を持っていることで、何か自分というモノを外から作っていたのではないか・・・。

アプリやブラウザーの多用でいらないデータやキャッシュが溜まり、「その他」の見えないデータ量のせいでPCが動かなくなった。

外からの情報やスキルに頼り、手放せない資料やものを持つことでやり過ごしてきた自分が、動けなくなってここにいる。。。

ことあるごとに「断捨離」してきたつもりの私。
でも、「家という器」に合わせて物は無くしたつもりではあったけど、「私という器」に合わせて、不要な物をなくしてきたのだろうか?

言い方を変えれば、本当に必要なモノ、コトをきちんと選んで、不要なものを手放してきたのだろうか??

実はその逆で、「私という器」を作って見せるために、実はいろいろ活動してきたことを「自分で確認できるモノ」として、もしかしたらもう不要になっているものまで「持ってきていた」のではないだろうか。。。
確信が持てない自分の中の空を埋めるようにあるこれらの「モノ」。
資料であったり、気になる媒体であったり、本であったり。

いつか子供に関する活動拠点ができたときにととってある、子どもの木のおもちゃや絵本。

いつも「自分のことで」忙しくしていて、十分に子どもと向き合う時間を持ってあげなかったことへの後悔と、それを別の形で埋め合わせしたいと思って、いつまでも手放せないのだろうか。。。

いや、ちょっときついかも、この気づき。

と、思いながらも、そこには「確かにそうだ」という、体の奥からの声が聞こえてきていたのです。

続く

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