一貫性を見いだすのが人間の習性、一貫性がないのも人間の習性
人間は何かに対して一貫性や法則、傾向を見出すのが得意だと思う。それは、自身の理解の促進、情報の整理を行う上で重要なスキルだ。全てに対して多様性を認識することは不可能で、自分の認識の中で分類分けをしていく必要があるのだ。そうでなければ、頭の中は常にカオスになる。
その人間の特徴はいわば自然現象的で、不可避なものだということはわかっていたが、大学生くらいまではそれに対して憤りを感じていた。人間という多種多様な側面を持つ生物を一つの側面で測ることは不可能で、他者から見た安直な憶測で自分という存在を図られたくないという思いがあった。それは、今も思っているが、自分自身もまた他者を分類分けし、他者の行動に対して一貫性を求めていることを認識しているので、他人からの評価は表面的で軽薄なものであるという、いわば諦観している状態にある。
人間は、一貫性がない生物だ。一方でふざけていても、他方では真面目だ。社会的動物として生きる上で一定の秩序を持ち合わせている人が多いことは確かだが、それ以外はカオスだ。
それらに対して一貫性を求めることはばかげているし、そういう人間であるという偏見をもって、人間や集団を決めつけることは愚か者のすることだ。
しかし、愚か者と知りつつも、一貫性や傾向を見出そうとするのも、人間の一貫性のない矛盾した特徴と言えよう。
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