限界大学院生の恋愛について
どうもお久しぶりです。ラモスです。
どうでもいいかもしれませんが、恋愛について語っていこうかなと思います。
0.恋愛が必要な人・不必要な人
そもそも、人生において恋愛は必要なのかという問いがある。例えば、生涯未婚率・未恋率も年々増加傾向にある。私の友人でも人生で人を好きになったことがないという人はごまんといるのだ。そういった友人に共通する点はどこにあるのか私なりの考察をすると、「恋愛をする」という経験をしていない人が圧倒的に多い気がする。つまり恋は落ちるものではなく、自身が恋をしているという錯覚から起こるものなんだと私は思う。現に恋愛の形自体も多様化しており、初音ミク(二次元のキャラクター)と結婚したという人もいるくらいだ。人と恋に落ちるという枠組みではとらえきれないところに、恋愛というものがいかに主観的なものであるかを物語っている気がする。恋をするときはこの人が好きであると思い込むところから始まり、そこから自身の都合のいいようにその人を解釈することで恋愛に発展する。
1.マッチングアプリについて
マッチングアプリは「恋愛をする」という行為を非常に効率的に実現させる素晴らしいツールだと思う。それぞれが「恋愛をする」ことを目的として、特に接点もない人と出会い、非常に短期的に恋愛に発展していく。恋愛のメカニズムを簡略化し、恋愛のいいところを詰め込んだシステムであろう。(まあ、合理的であるがゆえに一種に気持ち悪さを感じることもあるのだが…)
かくいう私も、マッチングアプリを使用して彼女をつくった一人である。大学院生になるまでに3人の彼女と付き合ってきた。その誰もが発達段階に応じて、私が所属していたコミュニティの一人であり、いわゆる自然な出会いを通して恋愛に発展してきた。自然な恋愛は非常に時間のかかるものだ。双方の関係を成熟させ、お互いをより知った後に約束を交わす。まずお互いが恋愛をしたいという思いを持っているのかを確認する作業から始まるのだ。そういった時間をかけて作った関係性、あたかも自然発生的に恋愛感情が醸成されたかのように思い込むことが、相手への思いの強さに変わるのだ。一方で、マッチングアプリを使用した恋愛ではそのような長期的に関係性を築くプロセスは排除される。非常に逆説的だが、恋愛は「自身がこの人を好きになろうとしている」と認識すればするほど、その感情が脆くなる気がする。あくまで恋愛は、「恋愛をする」という行為を自然発生的に生じたものであるかのように暗示を自己にかけるのがキーだ。
2.人生4人目の彼女に求めたもの
人生4人目の彼女に求めたものはいくつかあるが、その一つに上記で述べたことが関係しているように思う。それはときめき、言い換えると偶発性である。マッチングアプリをきっかけにであったがゆえに、その関係性は非常に合理的であり、付き合い始めの頃は「まあ、いつ別れてもいいかな」ぐらいのことを考えていた。つまり、自然発生的に生じた恋であるかのように自身を錯覚しきれず、自覚的に「恋をしよう」とした結果それに失敗したのだ。その感情は1年9カ月間ずっとあったのだ。それでもある程度長い間関係性を続けることができたのは単純な生活面での相性だったと思う。
恋愛の先には結婚があるとよく言われる。私は生活面での相性が良かった彼女とそういう関係性になってもいいかなと思っていた。しかし、先のステップに行くには勇気がいるし、双方の合意がないと難しい。恋愛関係を続けることを目的とした場合、生活面での相性はそこまで重要ではなく、重要なのは相手を好きであると暗示にかかることだ。彼女と恋愛関係を育むことができなかった私は別れを切り出した。
3.出会い・別れ・余韻
彼女に対して強い恋愛感情はなかった。しかし、別れはつらいものだ。辛い時・悲しいときに依存する先があったというのは救いだと思う。別れがつらいのは彼女に限った話ではない。友人・家族・親戚などと別れるのはいつも悲しいのだ。出会いと別れは世の常だと知りつつも、新しい世界をしるわくわくよりも、彼女を失った喪失感が勝るのだ。
総じて、彼女には感謝している。人生の一部分になってくれてありがとう。彼女と過ごした時間は私の人生の1つの物語として残り続ける。
ps. ココスにて長文を執筆した。
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