セラピーの弊害【note100日間継続・24日目】

セラピーの弊害って、あると思うんだよね。

整体含めて細々とやり続けて20年になるけど、
ずっと思ってたことがあるんだ。

でも、こんなこと言ったら自分の首を絞めるようになるし、何より業界の人たちの迷惑になると思って黙ってたの。

業界の人たちを批判したり邪魔をしたりしたいわけじゃないんだ。

でも、患者さん側、クライアントさん側に、こういうことを黙っておくのは心苦しいよ。

でも、もしクライアントさんが施術者のことを信じてたとしたら、余計な情報を与えてしまって、よくなるものも良くならなくなったら…とか、本当に逡巡してしまう。

いずれにせよ、良くなることの邪魔をしたくはないんだよ。

前置きが長いね。

いま書ける範囲のことだけ書くね。たぶん私に情報があり過ぎて、整理できてない。

結局、私が何を言い渋っているかというと、

治療家やセラピスト自身が、クライアントさんの症状を生み出したり引き出したりしてしまう、ということ。

彼らは『悪いところをなおす』という意識があって、自分の出来ることを提供してお役に立ちたいものだから、悪いところを探そうとしてしまうんだ。

「みる」という行為は面白いもので、

『悪いところがある』という前提で見ると、その通り、悪いところが見えてくるんだ。

そして、見られた側の人は、「悪いところのある人」になってしまう。

情報場に、「悪いところ」の素粒子?みたいなものが集まってきて、形作られてしまう。

そして、患者と施術者、というポジションを無意識でやり始める。

そうやって両者が成り立ってんの。

(本当にフラットな治療家、セラピスト、ヒーラーはそんなことしないはず。自我を消して、「ある」をそのまま見るから)

20年近く前、整体師やってた頃に気づいちゃったんだけどね。

いつも具合悪そうに来院する患者さんが、外ですれ違った時めちゃくちゃ元気そうだったの。

でもやっぱり、具合悪そうに来院するの。

整体院の中では、「患者さん」という役割をやるの。

いろんな要因・要素は考えられるから、一つの理由で批判するわけにはいかないけれど、

その当時の私は、整体の先生であろうとして、患者さんに対して主導権を握り、ご丁寧に健康へのアドバイスもしていた(整体院の決まり)。

整体師の白衣が、なんかしらんけどある意味で権威的な衣装になるんだ。制服ってそういうものだよね。

役割を演じるごっこは、患者側も施術側も、お互いに本来の姿を見失うなぁ、と思ったんだよ。

セラピストやヒーラーにしたってそう。

癒しイベントなんて行ってごらんよ。

癒し顔芸で演じてる人たちだらけだから。

人の話を聞きながら、自分がうまく提供できているかに焦点を当てているんだから。

そして、具合の悪いところ、出来ていないところ、もっとこうなった方が良いみたいなことを引き出されて、
終わりなき旅路に乗ってしまうんだから。

引き出されると言っても、わざと意地悪でやってるんじゃないよ。
施術者側としては、本当に「良かれ」と思って真面目にやるから、知識も技術も増えて、悪いところばっかりに意識が行っちゃうんだ。

良くなるために行ってるはずなのに、お互いにノイズを生み出しちゃうんだ。

わたしはセラピー提供側でもあり、最悪なクライアントでもあるから、両方のことがよくわかる。

セラピーや治療を受けないと良くならない、なんて、うそだよ。

本当に力が無い時はもちろん頼るといいけど、
ある程度力が溜まってきたら、悪いところ・できないこと探しはしなくていい。

私の治療/セラピー/ヒーリングを受けないと良くならない、みたいな感じの施術者からは、離れた方が良い。いつまでも役割を演じ合ってしまうから。

自分の感覚がわかるようになってきたら、

気持ちのいい温泉とか露天風呂のあるスーパー銭湯にでも行っておいでよ。

よっぽど元気になるよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?