自己否定についての考察【note100日間継続・29日目】
私自身は自己否定が強かったタイプ。
自分のことを好きになるなんて、考えられなかった(まだ10代初めの頃までは、好きだと思えていたところもあったかもしれない)。
基本的に、自分のことが好きな人は性格が悪くて、人のことを考えられない嫌な子だと捉えてた。
だから、自己否定をすることで自分を守ってもいたのだと思う。
今回、この記事を書こうと思ったのは、
なんか知らんところからのサイン(信号)が影響している。
「そろそろ、自分を全部否定する記事が書けそうだな」
この気持ちを、とても余裕をもって肯定的に捉えているのだ。
自己否定が強かった時には、きちんと自分のことを見れていなかったと思う。
きちんと見てしまうと、保身が働いて、否定しているフリばかりになってしまうのだ。もちろん、本人は本気で自己否定している、と思っている。
本当に否定することを許していないからこそ、図星を突かれると打ちのめされてしまうのだ。
自分を否定することを許すと、自分を否定することを肯定することになる。否定している自分を肯定できる。つまり、最大の自己肯定になる。
私は今、批判のきもちを持っている。
それは、外側の世界にあるもののように見えて、実はかつて自分が行なった行為や思考についての批判だ。
一度否定してやらないと、新しい芽が育たない感覚がある。
焼き畑に近い感覚なのだろうか。
かつての自分を否定することを肯定できたこと、ゆるせたこと、
そのことを嬉しく思っている。
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