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【ホラー】短編小説集・花蓮 第二話『再怪』
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都内で家賃六万五千円は破格だと思ったから、迷わずこのアパートに住むことに決めた。以来、他所に移り気なんて起こすことなく十年住み続けている。
月初めに裏手に住む大家に直接家賃を払いにいく。大家の奥さんはどこにでもいる話好きな中年女性で、だから僕は毎月必ず一度は彼女の長話に付き合わされた。
薄暗い玄関先に突っ立って愛想笑いを浮かべていると。
ブワリ──。
くるぶしのあたりに何かが擦り付けられるような感触が湧いた。ギョッとして足元を見下ろす。
一匹の黒猫が身体を僕の足にしきりに擦り付けていた。
「あら黒ちゃん。お父さん、黒ちゃんが帰ってきたわよ!」
ここの飼い猫か。先月にはいなかったから、最近飼い始めたのだろう。
「全然戻ってこないから、末永くんのところにも聞きに行こうと思ってたのよ」
──何故、僕に?
「え?末永くん、この子のこと可愛がってくれてたんじゃないの?」
目を丸くしながら早口で話し始める奥さん。聞けばこの黒猫はもう何度も行方知れずになっているらしいが、その都度辺りを探すと大抵、何故か僕の部屋のドア前に座っていたのだと言う。けれど僕自身は一度として黒猫の姿はおろか鳴き声すら聞いたことなどなかった。
聞いてもいないことまで奥さんは話し続けた。
「次女がね、仕事帰りにこの子を拾ってきちゃって。目が合ったからほっとけなかった、なんて言ってねぇ。あぁ、そうそう。ついでにあの子ったら、嫌なこと言うのよ」
──この子が入ってた段ボールの隣りにね、花束が置かれてたんだ。交差点の隅っこ。
「花束って言えば、ねぇ?」
交差点。花束。事故死か、自死か。とにかく誰かがなくなったのだろう。
交差点で、誰かが死んだ──。
そのとき唐突に頭の中でガラスの割れるような、甲高い悲鳴にも似た衝撃音が鳴り響いた。
僕の元彼女もまた、新宿のとある交差点で交通事故に逢い、死んだ。一年前の深夜。
高井花蓮。僕は彼女を、愛していた。
「この猫、どこの交差点に捨てられていたんですか?都内ですか?」
捲し立てるような僕の剣幕に、奥さんは呆気に取られながらも答えようと努力していた。
「どこって言ってたかしらね。そもそも場所のことまで口にしてたかねぇ。あの子、海外出張だなんて言って、すっ飛んでっちゃって。ウィルスだ戦争だって、どこも今危ないのに。ほんとじっとしてられないんだから──」
ペラペラと良く動く唇を見ているうちに、急激に頭と心が冷めていくのを感じた。黒猫は腹を見せて、しきりに僕に「撫でろ」と催促してくる。
花蓮。どうして君は──。
『なに?話したいことなんて私には何もありませんけど』
『なぁ、こんな状況おかしいよ。家庭内別居なんて。教えてくれって。俺、何しちゃったんだろ。直すからさ、言ってくれよ』
『だから何度も言ってる。考えて。自分の何が悪いのか、考えて。整えて、自分を』
『そうしてる。毎日考えてる。花蓮の言う通りに──』
『なにを考えてるの?何も変わってない。それが分からないうちは一緒になんていられません』
結局、僕には最後まで分からなかった。
『もう耐えられない。このアパート解約する。出ていってくれ』
スマホからそうメールを送った。しばらくすると引越し業者の段ボールが届き、彼女は少しづつ荷造りを始めた。
『今日出ていきます。整理はしたつもりですが、もしも私の物が残っていたら処分してください』
『了解しました。今まで本当にありがとう。お元気で。仕事、頑張って』
家庭内別居最末期のメールのやり取りなど冷めたものだった。そもそも彼女の方は既読にすらならない。二、三日経って、腹いせに再びメッセージを送った。
『お前みたいなメンヘラの粗大ゴミ処分できてスッキリした』
当然「既読」は付かなかった。
その二週間後、共通の友人から僕は花蓮が事故死したことを聞いた。
付き合って同棲して、別れて。彼女の誕生日の直前だった。一度も祝うことができないまま──。
大家が奥から出てきて、黒猫を抱き抱えて踵を返す。廊下の角を曲がったところで、すぐに「あぁ!」と叫び声が上がった。
黒猫が勢い良くこちらに向かって走ってきた。そしてその勢いのまま、玄関脇の下駄箱へよじ登る。壁にかけられたカレンダーを仕切りに爪で引っ掻き始めたのだった。
「黒ちゃん!また悪戯して!こらぁ」
奥さんがすかさず猫を抱き抱える。
爪を立てられボロボロになったカレンダーを何気なく見遣った。
九月のカレンダー。傷付けられたのは、二十八日。
──九月二十八日。記入欄には赤字の殴り書きがあって。
『粗大ゴミ すてる』
全てが今、繋がったから──。
「ひ、ひいぃぃぃぃぃ」
這うようにして僕はその場から逃げ出した。
『誕生日、教えてよ。花蓮ちゃんの』
『じゃあその日、プレゼント待ってますねーなんて。──えっと、九月二十八日です』
(了)
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Special thanks to:
Kani様
今回は先にKaniさんの素敵なイラストがあり、そのイメージで物語が生まれました。感謝です。いつもありがとうございます。
この物語と繋がっています。
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