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【ホラー】短編小説集・花蓮 第三話『初故意』 後編
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ホラー短編小説③ 『初故意』 前編|蒼海宙人|note
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花蓮を追いかけることをやめたわたしの頭の中は、キスのことで埋め尽くされていた。浮かんでは消えていく、花蓮と男子とのキスシーン。それは色鮮やかな時もあれば、薄暗くて良く見えない時もあるおかしな記憶だった。
焦りや不安、憧れと嫉妬。いろんな感情が小さな体にあふれかえっていて、自分で自分を制御することができなくなったわたしは、クラスの男子を人気のない体育館裏のプール入り口に誘って「キス」をしようと必死だった。
そしてあの日、つっかかってきた女子たちと喧嘩した。わたしは右のほっぺたにひっかき傷を作って家に帰ると、そのまま自分の部屋のベッドに潜り込んで丸くなっていた。
バタン、と下で勢い良く玄関のドアが閉まる音がして、わたしは目を覚ました。こんな乱暴な締め方は母親ではない。だとすると──。
しばらくの間、何事もなかったかのように家中がシンと静まり返っていた。ほっぺたにズキンと痛みが走って、わたしはすっかり目を覚ました。と、ドスドスドスとまた大きな音を立てて誰かが二階へ上がってきた。
わたしは身体を硬くして、その誰かが何のために階段を上がってくるのかを必死で考えていた。ドキドキと心臓が壊れてしまうようにメチャクチャに動いていた。
やがて足音はわたしの部屋のドアの前で立ち止まったようだった。
ガチャリ、とドアノブが回されて、静かにドアが開いた。廊下の明かりが暗い部屋へと差し込んで、わたしはまぶしい光の中でその黒い姿の正体を知った。それは思ったとおりの──。
ドアがゆっくりとしめられていく。それとともにまた部屋は真っ暗闇に包まれた。
スッスッスと靴下がカーペットを擦る音がベッドに近付いてくる。
わたしはギュッと目をつむった。
ガバッと布団が剥がされて、すぐにドスッとそれがわたしに馬乗りになってきた。大人の強い力で口を押さえつけられた。またほっぺたがズキンと痛んだ。
「声を出したら殴るからな」
しわがれた男の声が耳元に吹き付けられた。そんなことを言われなくとも、わたしは金縛りにあったみたいに指先すら少しも動かせないでいたのに。
"神様のつかい"が服の上からわたしの胸を乱暴につかんで、そしてふさいでいた口元から手を離すとグッと顔を近付けてきて、それから今度はその分厚い唇でわたしの唇を塞いだ。
違う。こんなの、キスじゃない。
随分と時間がかかって、ようやくわたしはそのことに気が付いた。なおも乱暴に擦り付けられるそいつの体。急に頭の中がスッキリして、そしてわたしは思いっきりそいつの下唇に噛みついた。
「アアイイイッツ。ひぇめぇ、なにすんら!」
わたしはベッドから抜け出すと、机の脇にあったランドセルを抱えて部屋のすみに背中をつけた。奴に注意を向けながらランドセルの中をあさる。幸運なことに奴は口を手で押さえたままうずくまっている。
目当てのものを探り当てたとき、奴が立ち上がった。
「クソガキ!お前なんて抱きたくねぇんだ。俺は女子高生とヤリたかったんだ。おい、母親に言ったら今度はほんとにヤるからな。分かったな、絶対に言うんじゃねぇぞ」
バタンと力まかせにドアが締められて、わたしはゆるゆると床に座り込んだ。
もう、いいよ。わかったよ。
みんな、花蓮なんでしょ。花蓮がいいんでしょ。花蓮じゃなきゃだめなんでしょ。
花蓮が一番。かわいい花蓮がみんなの人気者。男の子も女の子も、花蓮が大好き。
わたしは、一番なんかじゃなかった。男子からも女子からも嫌われてる。
ブスなんだかわいくないんだわたしは。
花蓮花蓮花蓮花蓮。
キスキスキスキス。
男女男女男女男女。
もう、いいよ。わかったから。
ズキン、とまたほっぺたに痛みが走って、わたしは指で傷をなでた。
ランドセルから、カッターナイフを取り出した。
そうして家を飛び出した。
わたしを止めてくれる本当の"神様のつかい"はその時、どこにもいなかった。
──小日向姫奈子モ汚レテシマッタ・・・・・・。
電信柱に隠れるようにして、わたしは明かりの漏れる花蓮の家を眺めていた。
チャイムを押して、花蓮が出てこなかったら呼んでもらう。そして目の前に花蓮が立ったら、このカッターナイフで顔を、ほっぺたを切ってやる。消えない傷を、付けてやるんだ。
そう決意して、わたしはゆらゆらと揺れる影みたいにそこから一歩踏み出した。
──花蓮ヲ殺シタイカ?
頭の後ろから突然声が降ってきて、わたしは声も出せずにその場に立ち止まった。
誰?誰かが後ろに立っている?
──オ前ハ花蓮ガ憎イノカ?
一瞬、あいつがわたしの後を追ってきて、父親づらして止めようとでもしているのかとも思った。けど、家を出てくる時には玄関にあいつの靴はもうなかった。
じゃあ、誰?
それに、さっきから"花蓮"って言ってない?知ってる。後ろの誰かはわたしや、花蓮のことを知っている。
わたしの気持ちを、知っている。
嫌だ嫌だ、怖い恐いこわい。
──手伝ッテヤロウカ?
えっ?今、なんて・・・・・・?
そこで初めてわたしは、後ろの誰かのことが心の底から気になった。ゆっくり、ゆっくりと振り返って、ソレを見た。
黒いワンピースが。真冬なのに、半袖で。胸元まで長い黒髪が垂れ下がっている。
黒い、女のひと。
その顔が。黒髪が真ん中できれいに割れて、顔が、とても白くて。それで。口が、口紅が真っ赤。真っ赤だ。でも目が。目が。左と右で、あっちこっち向いてて。ギョロギョロ。なのに顔はまっすぐわたしを向いていて。でも目が。目が。左と右でめちゃくちゃで。合ってないよ。ギョロギョロ。合ってない。
気持ちが、悪いよ。
女のひとの両手がわたしの方へ伸びてきて、わたしはそこで「キャア」と声を上げてから夢中で駆け出した。わたしの悲鳴が花蓮に聞こえたかもしれない。そんなことは全然気にならなかった。
とにかく怖い恐いこわい。
夢中で走って、走って、気が付いた時には例のボロボロのビルの前に立っていた。周りには人気がまったくない。ビルの正面ドアに子供一人ならくぐれそうな大きさにガラスがきれいに外れてなくなっていた。このビルでしばらく隠れてから、明るい駅前に向かおう。
そう考えたわたしは、あの女のひとの姿が見えないことを確認すると勢い良くビルの中へ飛び込んだ。
中にはまだ机やら棚が置かれていたから、隠れるところならたくさんあった。けれどそれでも不安だったわたしはとにかく屋上まで階段を駆け上っていった。所々の窓から外の明かりが漏れていたから、難なく上がりきることができた。
ギイーッと錆びた音を立てて、屋上へ出る扉を開けた。そうして一番最初に目に入った、大きなタンクの裏に身を隠した。
時間の分かるものなんて何も持っていなかったけれど、とりあえず頭の中で一から千を数えることにした。百数えるごとに指を一本折って、それを十本。全部折ったら降りて行こう。そう決めてわたしは数を数え始めた。
一、二、三、四・・・・・・。
指が五本折れたとき、わたしは数を数えられなくなった。
錆びた扉が、ギイギイときしみながら開いたから。
そしてそこから、ニューッとからだをのぞかせたのが、あの黒いワンピースの女のひと、だったから。
まるで最初に会ったときから、わたしがこのビルに逃げ込むことが分かっていたみたいに。
わたしに発信機でも取り付けられているんじゃないかと思ってしまうくらいに。
正確に。
一歩、一歩と。
タンクに向かって、わたしに向かって、近付いてくる。
一歩、一歩。
ひたひたひた。
わたしは思わず、また声を上げそうになった。
女のひとは、裸足だった。
右足を軽く、引きずるように、裸足で、ひたひたひた。
扉から、黒いモノが女のひとの足元まで続いている。
血、なんじゃない?
もうわたしのからだは石のように固まって、息ももしかしたら止まってしまったのかもしれない。女のひとの近付いてくる、あのひたひたしか聞こえない。
女のひとは、タンクの前で立ち止まって、勢い良くしゃがんだ。
そして。
首をくねくねと動かしながらコンクリートの床とタンクを支える足の隙間にからだを入れてきた。わたしに向かって。
「いやぁぁぁ!」
飛び出した途端、ガッと腕を掴まれた。タンクの隙間に入り込んでいたはずの女のひとが、わたしの腕を掴んで、離さない。
「誰ですか?なんでこんなことするんですか?離してよぉ。お願い、離してよぉ」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったわたしを、すごい力で引き寄せて、目をグルグルとあっちこっちに動かしたその女のひとが、
──ズットオ前ハ花蓮ヲ見テイタ。ソノオ前ヲズット見テイタ。
わたしを、見てた・・・・・・?
──花蓮ガ憎インダロウ?手伝ッテヤロウカ?
グッと、真っ赤な唇がわたしの顔に近付いて、ニターッと笑った。
頭の中が真っ白になったわたしは、コクリとうなずいていた。
──いひひひひひひひひひひひひひひひ。
──ジャア、マズハ。
ギュッとわたしの腕を掴む手に力が入った。そして今度は両手をわたしの脇の下に添えられて、タカイタカイをされるように持ち上げられた。フワッとからだが宙に浮く。
もう声も出せない。
女のひとの後ろ、ちょうどわたしの目線の先に、屋上を取り囲む金網が倒れかかっている場所があった。あそこに連れて行かれたら──と思った瞬間に、女の人がクルリと回った。
つまりは、わたしの背中があの壊れた金網に向いた。
歩き出す、女のひと。
──姫奈子知ッテルカイ?
──昔ノ言葉。
──人ヲ呪ワバ。
穴フタツッテナァァァ。
いひひひひひひひひひひひひひひひ。
わたしのからだが宙を舞って。
それからわたしは、堕ちて死んだ。
(初故意・終)
Special thanks to:
Kani様
短期間に前後編用2枚の挿画、本当にありがとうございました・・・。
この作品、必ずや完成させてKani様と読者の皆様に捧げます。
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