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【小説集】

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自作の小説をまとめています。おやすみ前のひと時に読んでもらえたら嬉しいです。
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#眠れない夜に

【小説】 もうひとりのロストマン

*作者註:この物語は、以下の小説の①から④(終話)を読んだあとに紐解かれることをお勧め致します。  『夢屋書房』店主・渡辺誠一は読んでいた本をパタリと閉じると、左腕の時計に目を落とした。あの青年が店を出てからきっかり三十分。誠一はカウンターから出るとそのまま店の出入り口へと向かい、引き戸を開けた。  顔を外へ出してから、左右を見渡す。  相変わらずの、閑散とした駅前商店街の錆びた色彩が広がるだけ。まだ夕暮れ時には二、三時間はあると言うのに、誠一はいそいそと店じまいを始めた。

【小説】 ロストマン 終話

 前回はこちらから 「──で?そっからどーなったわけよ」  問われて我に返った康介は、投げつけられた声をたどって視線を泳がせた。つり目がちな女の目が康介に向けられていた。  ほんのりと頬を桜色に染めた川嶋瑞穂が、ビールの入ったコップを握りながら焼き鳥の串を口に運んでいる。  康介は少し慌てて記憶を呼び戻そうと頭を働かせた。久しぶりのアルコールにだいぶあてられているようでうまく繋がらない。 「しっかりしろー。いとしのトモミンにフラれて意気消沈の皆川クンでしたが、なんだか雰囲

【小説】 ロストマン ③

前回はこちらから    こうちゃんへ  おはよう。  ほんとはもっと早くに伝えなきゃいけなかったんだけど、タイミングが分からなくて、ギリギリになってしまったこと、謝ります。ごめんなさい。昨日の夜も結局言えなくて。便せんに、汚い字でごめんね。  一ヶ月後、九州の支店に転勤になりました。入社してすぐに会社から相談されてて、でも私はこうちゃんと離れたくなかったから断っていて。会社もかなり困っているみたいで、ずっと転勤の話をされ続けていたんだ。  きっかけは、きっとこうちゃんの

【小説】 ロストマン ②

前回はこちらから    日が暮れたあとの誰もいない公園のベンチに康介は腰を下ろした。隣接するマンションの各家庭から漂う夕食の香りが鼻口をくすぐった。幸せそうな香りだった。  ハーフパンツのポケットからスマホを取り出すと、電話帳を起動させてスライドしていく。ダラダラと眺め続けて数十秒、康介の目に一つの名前が止まった。結局のところ自分はここを目掛けて指を動かしていたことに気がついて、内心で苦笑った。  川嶋瑞穂。  康介の二つ上の先輩で、大学を卒業するとフリーのイラストレー

【小説】 ロストマン ①

 彼女のどこが好きなのかと問われたら、迷わず「全部」と答える。  皆川康介にとって、真中智美は単純明快な愛情を注ぐパートナーだった。『恋人以上の存在』と言葉にしてしまうのもなにか違っているような。 「康介がもっとしっかりして智美を支えてあげないと、逃げられちゃうよ」  一体誰に言われた言葉だっただろう。似たようなことを様々な人間に言われすぎたせいか、康介にはもう咄嗟にその誰かの顔を思い浮かべることができなくなっていた。男とも女ともつかない声が頭の中にこだまする。  暑い

短編小説『白昼夢』─あるいは『檻のなか』

   僕の住むこの狭い七畳のワンルームに、間の抜けたような雀の鳴き声が入り込んできた。それと同時に何かすえたような匂いも鼻口を漂っていく。気持ちの良い、とはまるで言えない早朝の目覚めだった。  カーテンの隙間から明けたばかりの弱々しい真冬の陽の光が差し込んできていて、それが瞼に当たっているのが分かる。眩しくて目を閉じたままゆるゆると頭を持ち上げていくと、こめかみが酷く痛んだ。  足元でカチン、と音がしてからコタツのヒーターが切れた。昨夜は両足をコタツに突っ込んで、上半身はテー

短編小説『選民』

   とにかく、本が読めればなんでも良かった。  時代はかの大戦後、朝鮮半島で勃発した内戦の特需で湧いていた。といっても、その恩恵を受けていたのは一部の産業だけであり、一般市民の懐など一切潤ってなどいなかったのだと、だいぶ長じてから知った。  なんてことはない。私の父はその特需に乗っかって財を成した男であった。故障した米軍の戦闘機の修理。それを大手の航空機メーカーから委託を受け、朝から晩まで、いや朝から翌朝まで二十四時間直して直して、直し続けたのだ。  たったの一年で