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自分を抑圧させていいことはいっこもない♡~ソラハナの過去~

私は昭和の、男女雇用機会均等法というものはあるけど男女は全然均等じゃない時代に
・外の仕事は父が
・料理、介護、育児は母が
という担当ではあったものの、どちらかというと
・すべてをこなそうとするし、やればできてしまう器用な父と
・自分の仕事は絶対に渡さないとかたくなに頑張る専業主婦の母、
さらには親戚やその他、一般家庭とは思い難いすごい人数、人間関係に囲まれて育ちました。

父はだいたいのことを大目に見てくれる
私には甘い人でしたが
とにかく母のことが好きすぎた。


「お母さんみたいな良妻賢母になってほしい」ととにかく強く強く望み続ける父に私は反抗し続け、逆へ逆へと向かって生きた、
はずでした。


詳細は省くけど
とにかく過保護で過干渉、
「私らしさ」を徹底して排除する
ハードオブハードな母から
私は早く離れたかったし
お母さんみたいになる、なんてことはありえない選択だった。


なのに。


気づけば私は
自分の人生の行き先を
母に、「良妻賢母」に設定してたんですねぇ。


結婚するのは40過ぎてからでいい、
と言っていたのに20代前半でさっさと婚約、寿退社。
お仲人さんが両側にいる盛大な結婚式を開いたのち
縁もゆかりもなかった夫の両親がいる大阪で、夫の両親の会社に跡取りとして入社したての夫とともに暮らすことに。



ドラマ以外で初めて、お父さんがお殿様、みたいな振る舞いをする人の存在を夫の実家で目にしてびっくり。

義理の両親は朝から一緒に会社で働いているというのに、家に帰ると義父は一歩も動かない!何から何まで全部、本当に本当に全部、お手洗いと歯磨き以外、全部義母がするのです、ごはんや後片付けはもちろん義父のことからチカラ仕事から外の庭木の世話に犬の世話までとにかく全部!!!

ま、当然私も同じ事求められるよね。


これはやばい、と思ったものの遅かった。


思えば最初から
月にもらう夫の手取りは6万円弱。
(転職前から10%以下😱)

食品は不定期に現物支給されるものの選択の自由は一切なし、
ほしいものがあれば義両親に言いなさい、一緒に買い物に行ってあげるから

というような暮らしなうえ

働きに出たいというと
無茶苦茶な条件を付けられたり
ライブがある日に出張入れられたり
友達と出かけようとすると義母が具合悪くなったりで

すごくかわいがってくれるし
ブランド物もいっぱい買ってくれる
だけど一つの夫婦として、とか個人としての自由を認めるつもりはまったくない、という両親と

そこに甘えとけばいいじゃん、困んないでしょ?
という夫に囲まれて、

自分の中では
「いけるとこまではいってみようかゲーム」みたいな感覚だったのは否めません。

夫に任せてたらこの結婚、間違いなく詰むな。

と思ってからの私はよく働きました。
全条件をクリアする仕事を見つけ、全家事も自分でやり、子供ができるまでは夫と夫の両親のお弁当まで作ってた。

子供ができてからも
「家のことは全部私がやる、旦那は子供と仲良くして外で働いてきてくれればいい、何をしても私のことをいたわり優しくしてくれてればそれでOK」

ということで料理、介護、育児、その他お金のことから夫まわりのあらゆるどんな小さなことまでも私は一手に引き受けた。
もちろん離乳食は手作り、有機野菜を使って子供には最初の言葉を「パパ」と言えるように教えこむほど気づけばすっかり良妻賢母♡

元夫は超ピュアな家父長制度のお家で生まれ育っただけあって、私の役割を少しでも手伝う奪う気なんかまったくないし、一年の3分の1は出張出てるし、その間私が実家に帰っても文句も言わないし、
自分の親とさえうまくやってくれればいいよー、ソラハナが外で好きなことしてても親にさえばれないようにしてくれれば何してても何買ってもいいよー、というのんきな人で
役割分担や相性としては当時、ピッタリだったんだと思います。


でもやっぱりね
頑張りも限度を超えると
すべての歯車が合わなくなる。

歯車が合ってるだけでなんとかなってきた夫婦の歯車が嚙み合わなくなる、なんてそれはもう地獄。

夫が最も大事にしてほしい親の価値観に私が病気になるほど添えなくなってきたのも大事件。
夫の親が乗り込んできたのも一度や二度じゃない。


自分が良妻賢母を生きる意味も
義実家のモラハラを我慢する意味も
なーんにも見いだせなくなって

夫も全く家庭を顧みなくなって

我慢のかわりに手に入れたブランドバッグも服もコートも、何もかもが「負の遺産」にしか見えなくなったころ


離婚することになったのでした。


10年ちょっと前ってまだ、モラハラどころかセクハラだって「我慢できない女が悪い」くらいの扱いの時代。

離婚に至った私の価値観を許せない実の両親とその後10年以上バッチバチにぶつかりつつ、私自身の中に、両親の価値観を受け継ぎたい自分も垣間見えたり、
その欲に負けて両親が許してくれそうな仕事や相手を見つけたり、と思ったらとんでもなく自分と合わなくて病んでみたり

自分ではいろんなことをきっちりやっていきたいのに全然追いつかなかったり、信頼した人にだけ話したことが翌日みんなに知れ渡ってたり、逆に信頼するしないって関係性じゃないと思ってた人に色々なことを教わったり助けられたり、悪いことばかりではなかったし成長できた、にしても

離婚してからの方が強烈に大変だった!
(あまりに過酷すぎるので10年分割愛。)

大変すぎたのと
思ってたのよりずっと孤独だったのとで

せっかく離婚したというのに
いつもいつも、認めてほしい誰か、を設定しては
認めてもらうために頑張って
なのに認めてもらえないからと
どんどん迷走しては迷子になる
残念な時間も多かった。



やっと、安らかに豊かに幸せになれた、というか
なり始めたな、と思えたのはわりと最近🍎

周りばかり幸せに見えて、自分だけが不幸に思えて
いじけて逃げておうち満喫して外で好きなことやって

あれ、気づけば願いが叶ってる!!
って思い始めるちょっと前くらいからかな。


信じられない話だけど
逃げ出してから豊かになった。

頑張って自分じゃない価値観で結婚してる時よりも
離婚してからのほうがずっと願いはいっぱい叶ったし生きてる実感あったし楽しかったし寂しくなかったし

離婚して頑張って頑張って生きてる時はすさまじく大変で孤独だったけど
頑張るのやめた後、あきらめていた豊かな幸せが起きていたし、ひとりじゃなかった。


もう、望むのをやめよう。
って逃げ出してからやっと幸せになった!
噓やん!って今でも思う、噓みたいに思うけど
やっぱりさ、愛の本音ってホント強いんだよね。


なので
自分以外の何かに認めてもらうため、
うまくいかせたいから、っていう理由で
頑張るのはやめて

愛でね、
愛をど真ん中に
力抜いて自分のままで
生きることをおすすめします。


私もまだまだ、新しい章が始まったばっかり!
笑っちゃうくらいどうでもいいこともすごいことも全部含めて楽しくやっていきます♪


ソラハナ。











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