死体のポーズで頭の中を空っぽにする
私の頭の中はいつも忙しい。
あれがどうとかこれがああだとか、
とにかくいつも考えている。
だからって何か生産的な結果に結びつくかといえば
くだらないことばかりで役に立たない。
一時期はその頭の中の騒音に辟易して
曹洞宗の座禅会に参加したりした。
お寺での座禅は格別で、その雰囲気たるや!
でもコミュ障ゆえ座禅の後の茶話会が苦手で
継続して通うか迷っているうちに
ご住職の都合で座禅会は無くなってしまった。
何かに集中している時は頭の騒音が止むので
お裁縫をやったりもしていた。
刺繍にバッグ作り、子供の幼稚園用品…。
そこそこ上達して達成感もあったが
過集中の悪いところが災いして
寝る時間を削りに削って作業してしまうので
体がストップをかけてきて、そのうち興味が離れてしまった。
かくしてたどり着いたのは
ヨガの「死体のポーズ(シャヴァーサナ)」
と、
ただ目を瞑って座ること。
ヨガの「死体のポーズ」は読んで字の如く
死体のように寝転がって無になるポーズだ。
私が高校生の夏、
暑い中をようやっと帰ってきたものの
あまりの疲れに居間にゴロンと仰向けに寝転んでしまったことがあった。
手と足を広げた大の字で。
はー、疲れた。
そんなふうにしてたら
だんだん「ドラマの死体エキストラごっこ」みたいになって(不謹慎)
どれだけ動かずに「物」になりきれるか、を面白半分でやり始めた。
するとどんなに体の力を抜いているつもりでいても
まだまだ力が入っていることに気付いた。
目を瞑りながら体中の力を抜くことだけに集中していると
いつしか体が地面にずぶずぶと沈んでいく感覚があった。
反対に私自身の中身はふわふわとクラゲのように宙に浮く感覚。
そしてやってくる多幸感。
ことばでは言い表せないほどの気持ち良さだった。
気がつくと小一時間眠ってしまったらしかった。
その時のポーズがヨガの「死体のポーズ(シャヴァーサナ)」だったと
後に知った。
そこからまるでジャンキーのように多幸感を求めてたびたび横になった。
件の感覚とはほど遠いものの、やった後はものすごくリフレッシュした。
今では割と簡単に似た状態にもっていくことができる。
疲れた時には気付けば寝転んでいる。
そしてもう一つは「ただ座って目を瞑る」。
ほんとうにそれだけである。
頭で何かごちゃごちゃと考え始めたら呼吸を意識する。
座って目を瞑るだけなので
座る場所とわずかな時間さえあればいつでも出来る。
ほんの5分もやれば脳みそが休まる感覚が得られる。
本格的じゃなくても大丈夫。
時にはただただゴロリとしてみるのも悪くない。
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