見出し画像

中野信子著「努力不要論」

精神論だけじゃどうにもならないことがある。

努力、根性、気合。

続けられる才能が、努力と見られているのではないか。
誰かに何を言われても自分を貫く才能が、心の強さとして根性と見られるのではないか。
集中する才能が、緊張感を呑みこみ適度な緊張感を作り出すのではないか。

何もないのではなく、何かしらの才能がある。

僕に「これ、やってみたら?」等と提案はするけれど「努力しなさい」「できないのは努力が足りない」とは言わない。
「やらない」と言われたら「そうなんだね」でおしまい。

好き嫌いはあるし、できることや苦手なことも増えていくし、自分にとって何がいいのかが大切だと思っている。
楽しい時間は早く過ぎるし、やりたくない時に時間は長く感じるから。

継続する力があるのかどうか、瞬発的な力のほうが発揮しやすいのか。
日々の中で強みを見つけている最中だ。

目的地から振り返って見える風景を紆余曲折を経験として捉えるか、無駄な努力だったと思うのかを判断するのは今じゃない。

 人間のいるところなら、どこでも、他人の才能を潰して自分がのし上がりたい、という人は現れてくるものです。家庭内ですら、そういう問題が起こることがあります。
 もっとえげつない攻撃としては、味方になるふりをして、相手の精神を徐々に破壊していく、という方法もあります。

努力不要論(中野信子著)努力家は他人の才能を潰すp149より

私はある時期、とても辟易していた。
店内で流れる音楽がノイズに聞こえ、文章は目で追えず、書くことも苦痛でみみずがのたくったような字。

行政からの書類に目を通し記入するけれど、時間がかかる。
病識が薄い人たちから遠慮なく身内からも「努力が足りない」と言われる始末でストレスが溜り悪化した。

話せばわかる。
話し合う努力が足りない。

私には幻想でしかなく、無意味でしかない。

 がむしゃらに努力をすればいいというのは間違いです。努力をするなら正しい努力をするべきだというのは大前提です。
 まず、自分が何をしたいのか、そのためにはどうすればいいのか。それを知るための努力が、本当の努力です。

努力不要論(中野信子著)2大無駄な努力 p36より

結論を出すまでに試行錯誤はしながらコミュニケーションを取ってきたが、全てではないにしろ話しが通じない人は数パーセントいるのだ。本当に。

双方向の話でなく一方通行で、機嫌の良し悪しでコミュニケーションが違う。他人に機嫌を取らせるような、支配してくる人物とは二度と関わらないと決めたら、ごきげんよう、さようなら。

努力の「努」の字というのは、奴隷の「奴」が由来したという説があるそうです。
「努」という字は、あまり良い意味では使われていなかった可能性が示唆されます。つまり、他者の思考を強制され、自らの思考を放棄するということ。ブラック企業を連想させる言葉といってもいいでしょう。
 努力するのに快楽が伴うのは確かなことです。しかし、盲目的になるのは危険です。

努力不要論(中野信子著)努力中毒にならないために p60より

頑張っている姿には本人に目的があるからこそ、集中し課題をクリアすべく取り組んでいるにすぎない。そこに苦痛が伴うかといえば、辛いけどこれを超えた先にある何かに向かって、嫌々ではなく、がむしゃらなんだ。

もう努力なんていらない。
もう、いい人になんかならなくていい。

あなたも私も。

「努力してるのになんで?」と思ったり「努力不足かな」と悩んだ時、脳へのアプローチから紐解くヒンとが得られるお勧めな一冊だ。



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集