20210629 フィルムカメラ遊び・・・散歩に持ち出したコニカBigMini SとKodakGold200の組み合わせ
散歩カメラというのは、永遠のテーマなのかもしれない。
これは、自分の軸がないというのも関係するのかもしれない。
そのときの気分というのが色々なところに左右されている。
こういうところがADHDの性質であったりするのかなぁとも思ってしまう。
医師やリハビリの先生からは、
「できるだけものを持たずシンプルに生きることを目指しましょう」
というようなことを言われたりする。
それは、そうした方が脳への負担が減り、かえって豊かな人生を歩むことができるという示唆でもある。
しかしながら、これまたADHDの性質なのだろう。
色々なものがあるのなら、「すべてをさわってみたい」、「自分なりの解釈を得たい」という欲求が存在する。
これが、「新しもの好き」であったり、「何でもやりたがり」であったり、こだわりを作ることにつながっているような気がする。
良いように言えば、「広く興味を持っていて視野を広げることにつなげることが出来る」とも言い換えることが出来るのだろう。
しかし、悪く言えば、「浅く広く」になりがちでもある。
さて、春先に散歩をしながら撮影したり、クリニックの行き帰りにコニカBigMiniSで撮影したものをのせてみようと思う。
フィルムはKodakGold200。
コニカのカメラは、フレキシブル基板という爆弾を抱えていて、これがちぎれてしまうと使えなくなってしまう。
すでにBigMiniは3台ダメになっている。
今使っているのも、寿命がいつ来てもおかしくない。
ただし、このカメラは本当に信頼できるカメラなので、壊れて欲しくないというのが正直なところ。
まだデジカメが主流ではなかった頃、暮しの手帖の雑誌で取材カメラとして使用しているということが書かれていたことからも、このカメラの写りに対する信頼性の高さは誰にも共通のものだったのかもしれない。
雑誌の見開きのページが、まさかBigMiniだなんて誰も思わないだろう。
まだ、ケヤキに葉が芽吹いていない頃。
これは、散歩途中のクスノキ。
幼稚園の木々。
畑。
天満宮。
ここのマンションの赤白壁面を見ると、いつもシャッターを切りたくなる。
さて、ここからは通院途中の撮影。
時期はサクラの頃。
お気に入りのサクラの木。
そこそこ寄ることができる。
もう、散り始めの頃。
地面にサクラの花びらが敷き詰められた状態に。
普段の日常のはずなのに、どこかに旅に出たみたいな感じがする。
そうか、時間の旅をしているのかもしれないなぁ。
フィルムの写真は時間の旅の記録を残す道具なのかもしれない。