20210604 欲しいカメラって?・・・オールドデジタルカメラを使うようになって考えたこと
休職してから、気分転換でカメラを持ち歩くことが多くなった。
持ち歩かずとも、家のベランダから風景を撮ったりしている。
そこで使っているカメラはというと、オールドデジタルカメラがほとんど。
しかしながら、元々仕事でしっかりと記録をしたいというときに持ち出すEOS Kiss X5も購入してから10年近く経ち、これもオールドデジタルカメラといってもいいくらいのものになってきている。
しかしながら、自分の用途では十分なのだ。
これまで、デジタルカメラを購入する動機というのは、性能が上がってきたことで「それまでできなかったことができる様になる」というもの。
どうしても仕事の関係上、室内で撮影することが多いこともあり、室内の灯りでも写るかどうかはかなり重要だった。
そうした事を考えると、デジタル一眼レフに関してはEOS Kiss X5で十分な性能になったし、コンパクトデジカメでは2013年に購入したSONYのサイバーショットで困ることは無くなった。
そのうち、iPadやiPhoneのカメラの性能が上がって、これらのカメラでも室内の撮影で困ることが無くなったため、デジカメを持ち歩くという事自体がかなり減ることになる。
だから、「仕事上でカメラを持ち歩くことが減ってきた」というのが、ここ数年の自分のカメラに対する状況だった。
だからかもしれないが、デジカメの新製品に対しての興味が全くなくなってしまう。
今ある機材を状況によって使い分ければ十分な状態になっている。
自分の場合、撮影したものを作品にして人に見せるという事自体を目的にしていない。
撮影したものが、自分の琴線に触れればそれで十分。
一人遊びの世界なんだと思う。
自己主張に対する恐怖感みたいなものもあるのかもしれないし、自分が撮影して写真にしたものが良い悪い含めて、評価されることにものすごく恐怖感があるところもある。
自己肯定感の低さもある。
カメラ・写真を趣味にしながら、こうしてnoteにたまに撮影したものを載せるくらい。
しかし、これも人に「いいね」をしてもらうというわけではなく、自分のその日の行動や興味を持った目線に対しての記録。
感情も含めた記憶の一部という感じでもある。
TwitterやInstagramで写真をたくさん見せる人の気持ちがあまり理解できない。
あ、しかし街並みなどの写真に対しては反応するなぁ。
こうしたものって、その写真から「人の営み」が見えてくるから好きなんだろうな。
そう、自分が興味のあることは「人の営み」や「自然の摂理」。
カメラを向けたくなるのは、そうした雰囲気を記録したいと思った時。
そうすると、カメラの選択肢としてはどうしたものが適してくるのかというと、これまた最新型である必要性が全くない。
YouTubeなどで、「レンズの模写が・・・」とか、「最新型のカメラが・・・」というのが出ていたりするが、自分には関係のないことのような気がしてきた。
まだまだ、そうした事を気にするレベルにないだけかもしれないけれど。
今は、NikonのD40XにMFのレンズをつけて使うことで、露出の練習をしている感じがとてもある。
カメラまかせの状態よりも、より自分の欲している光の状態を捕まえることに意識が向きやすい。
仕事で記録するときは、そうした意識が全くない。全くなかった。
写っていればOK。
今、露出の練習をしている中で、自分が捉えたいと思うものを捕まえることができるようなカメラに出会えば、新しいカメラが欲しくなるのかもしれない。
そのためには、カメラに求める機能というのが整理されていくことが必要なのだろう。
しかし、やっぱりそうすると仕事上で求められる性能は、AFや露出のミスが少ないカメラという事になる。
求める性能は、EOS Kiss X5でも十分だったりする。
仕事の仲間が使っているカメラはコンパクトデジカメか、スマホのカメラなのだから。
これらのカメラで撮影された画像より、EOS Kiss X5で撮影した画像の方が採用率が高いのだから、本当に必要十分なのだ。
しかし、そんな性能は自分の趣味で撮影する写真には、今のところ必要がない。
じっくりと時間をかけて撮影すればいいだけのことだから。
そうすると、今持っているカメラで十分ということになるのだろう。
それがオールドデジタルカメラと言われるものであっても。
今後、自分の琴線に触れるようなカメラって出てくるのだろうか?
というか、もう新製品を買わないでずっと中古でいいのかもしれないとさえ思うようになっている。
Nikon D40X Nikkor 50mm f/1.4