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20240930 一番感じるフィルムカメラとデジカメの違い

自分が物心ついたとき、「カメラ」といえば、フィルムで撮影するカメラのことだった。
おそらく、フィルムで撮影すると言っても年代や用途によっては違うところもあるだろう。
自分の場合は、カラーネガフィルムで撮影するのが「写真を撮る」ということだった。
アルバムの写真を見れば、カラーネガフィルムで撮影し、お店でプリントしてもらった写真ばかりだ。

これが親の世代になると、写真は白黒フィルムで撮影されたものになる。
我が家のアルバムを見ていると、だいたい境界線は昭和45年の中頃という感じだろう。

時代が変わって令和の今、「写真を撮る」というのは殆どがスマートフォンになるだろう。
カメラで撮影することが好きな自分でも、スマートフォンで撮影を全くしないということはないし、カバンからカメラを出して撮影するのが野暮だと感じたときはiPhoneでさっさと撮ってしまう。
ましてや、フィルムカメラでいつでもどこでもという感じではない。
やっぱりなんだかんだと言って、カメラがデジタルになったことで撮影することというのは色々と変わったことがあるのは間違いない。
そのへんは、技術の進歩によってできることが増えたというのも大きいだろう。

それこそ、フィルムで撮影する場合、感度が100のフィルムを使うのが普通だった。
当然ここで言うフィルムというのは、ネガカラーフィルムのことである。
ポジフィルムは流石に露出がシビアで、プロのカメラマンではない素人が使うには、流石に技術がない。
こネガカラーフィルムのラチチュードの広さに頼ることで、普段遣いとして利用していた。
なので、感度は100のフィルムが常用。
感度が400のフィルムを使うと、普通のDPEで同時プリントしてもらった写真でも、ザラッとした感じになったし、色味も乏しい感じがあった。
プロ用の感度400のフィルムで、それまでの感度100のフィルムと変わりがないなぁと感じるようになったのは、それこそ1990年代末くらいだろうか。
一番写ルンですなどレンズ付きフィルムが流通した時代、レンズ付きフィルムに装填されているフィルムが感度400や800になったのは、感度の高いフィルムでもプリントで色味が乏しいとかザラッとしないなど、メーカーの努力で技術が進歩したからだろう。
2000年代に入り、仕事で記録を残さなければならない写真を撮影をする際に使っていたフィルムは、やっぱり感度は100のものだった。

感度100のフィルムで撮影するとなると、特に人などが集まっての記念撮影などとなると、ピンぼけよりもブレのほうが怖かった。
シャッタースピードを上げたり、被写界深度を広げるために絞りを絞る。
感度が低いのに、光の量を少なくするという矛盾が生じるわけだから、撮影する光の環境は、光がたっぷりとあったっている屋外の順光の場所を選ぶことになる。
逆光での撮影は、まだ露出のことなどわかっていない素人の自分が、露出計を持たず、それこそカメラ任せの撮影をするような場面では、真っ黒になるというリスクのほうが高かった。

逆光で撮影することは、ほとんどしなかったのだ。

ところが、だ。

今では、こんな画像でさえ普通に取れてしまう。
フィルムでは、木漏れ日があって、葉の隙間から陽の光が注ぐようなところを撮影するとなると、自分の経験ではきれいに撮影できたイメージがない。
フレアが出まくって、写したいもののイメージ通りに撮影するなんて言うことは、素人にはほぼ無理だった。
これは、本当にデジカメの凄さを実感するところでもある。

逆光でも撮影できる。
それが、デジカメのすごいところなのだと思う。
フィルムで言うラチチュード、デジカメで言うダイナミックレンジが恐ろしく広くなった。
暗いところでも撮影できることが増えた。
これもまたすごいこと。
この2つが、フィルムで撮影することとの大きな違いだろう。

今のカメラは、本当に優秀なのは間違いない。
20年くらい前まで撮ることのできなかった光を撮ることができるようになった。
技術の進歩以外の何物でもない。

でもね、天邪鬼だから、限られた条件の中で撮影したいなぁというふうに思ったりするわけですよ。
フィルムで撮影したくなっちゃうんだなぁ。
フィルムでの撮影が楽しく感じるところは、そうした限定された条件で自分がどれだけコントロールすることができるのか、またはどんな偶然が閉じ込められているのかということなのかもしれない。
これは、行為自体が目的になってしまっていて、本来の目的とはずれてしまっているところはあるのだけど、

カメラの進化でできることは増えた。
それぞれの中で愉しめばいいのは間違いない。

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