夏の日とカモメのフウちゃん
今日は少しばかり早くに目が覚めた。
8月の太陽は朝から暑く、起きたそばからダラケテしまいそうになる。
とりあえず目覚めの一服でもと言いたいところだが、起きてすぐのタバコはどうも苦手だ。
かわりにコーヒーを一口、それから歯を磨いて顔を洗う。
私は朝ごはんを食べない。正確には食べれない体質なのだ。
食べると気持ちが悪くなってしまうなんて、ほんとおかしな体質である。
たとえ食べたとしても、バナナ一本と飲むヨーグルトが精一杯だ。
人間、ゼリー飲料でなんとかならないものかとつい考えてしまう。
そうこうしている間にも日差しは強くなっていく。
こんな早くから一日中エアコンをつけないといけないなんて、夏の電気代というのは恐ろしい。
しかし、夏というのはそういうものなんだと言い聞かせるしかない。
今年の夏はどうやら我慢と予防の夏らしい。
よりによって、例の新型ウイルスがここにきてまた勢いを増してきたのだ。
そりゃあ帰省する人や旅行に行く人がいないわけではないが、なにを思って気を使い、神経をすり減らして出かけなくてはならないのだろうか。
夏休みなのだからこの時ぐらいみんなの身も心も解放してほしいものだ。
それでなくても朝から晩まで新たな感染情報と予防方法のくり返しばかりだというのに。
大事なことを言っているのはわかるのだが、それにしても気が滅入ってしまうようなことばかりだ。
ニュースの中で無邪気に水浴びをする子供たちの笑顔だけが救いである。
いや、こんなことではダメだ。
なにか気分転換でもしなければ、自分までもがドンヨリしてしまいそうだ。
とは言っても何をしようか。家で映画でも見るか。
それとも海までドライブにでも行こ...
「よし!気晴らしに海沿い走るか、ねっ!」
なんだ!?おい!びっくりするわ~。
ぼんやり考えていたところに予期せぬ妻の声で驚いてしまった。
夫婦というのは似てくるものだと言うが、考えることまで同じとは。
でも、せっかくの青空だし行くか。
♦♦♦
車の中はすでに蒸し暑いサウナ状態だった。
今日のドライブは妻が運転してくれるらしい。
綺麗な海や山のドライブでは、わりと妻が運転してくれることが多い。
こんなにも暑いと、運転が好きな人と結婚してよかったと思わずにはいられない。
日焼け止めを忘れてコンビニに寄ったあと、好きな音楽を聴きながら海へと向かった。
しかし今日は雲ひとつない青空で、海沿いをドライブするには最高の日だ。
それに助手席でのんびり景色を楽しんでいられる。
妻よありがとう、幸せだ。
海が近づくにつれて潮の香りが風に乗ってやってくる。
フロントガラスには見慣れた景色。
あの松林を過ぎれば、広大な夏の海が顔を出すのだ。
「わぁー!海だー!!」
夫婦で何回見てもこれを言わずにはいられない。
波も穏やかで海風が心地よい。
空と海の青が混じりそうで混ざらない水平線が綺麗だ。
今日は海岸ルートを選んで正解だったな。
途中に見る岩場や堤防では、釣り人たちが魚を待っている。
ただただ青く穏やかな海が広がり、のんびりとした時間が流れていく。
車内のサウンドで気分も上がってきた頃、大きめの岩陰から数羽のカモメが風にのって飛び始めた。
その光景を見た私は、ふと2年前のある夏の日を思い出した。
あの時もすごく晴れていて、太陽がじりじりと照りつける日だったな。
たしかこの先の小さな漁港で妻と釣りをしていた時のことだ。
あいつ元気かな...フウちゃん。
♦♦♦
私は、たまにだが妻と釣りに行くことがある。
豆アジかキスを釣りに出かけることがほとんどだが、いずれは岩場でカサゴやクロダイを釣ってみたいと思っている。
2年前の夏の日、私は妻とこの先の漁港へ豆アジを釣りに来ていた。
小さな漁港だが、釣り人が少ない分ゆっくりと釣りを楽しめる。
特に私のようなど素人には最適な釣り環境ではないかと思う。
その日は午前の早い時間から釣りをしていて、けっこう順調に豆アジが釣れていた。
妻が言うには、あまり晴れていても釣れないらしい。
魚でも仕掛けだというのがわかるみたいだ。
たしかに夕暮れ時や夜釣りの方がいい結果になっている。
こうして釣りに関することは妻が教えてくれるのだ。
しかし、その日は私の方が釣れていた。
もちろん妻の指導のおかげだが、少しばかり自慢げな顔をしてみた。
師匠、俺はあんたを超えていく。。。
そんな風に心の中で調子に乗っていた矢先のことだ。
私の釣った豆アジが盗られてしまった。
「おまえコノヤロー、なんで盗るんだよ!」
大人げなく声に出してしまった。
一瞬、漁港のおばちゃんがこっちに反応したが、どうもこんにちはーという顔をしてやり過ごした。
犯人はコイツか、んんーんんー。
それはどうすることもできない犯人だった。
と思うと同時に、気持ちを声にしてしまった自分が恥ずかしくなった。
これでは捕まえることもできないじゃないか。
その犯人の特徴は、毛がふわふわでよちよち歩き、つぶらな瞳に羽があり、くちばしと水かきがあった。
海、釣り、この特徴からして間違いない。
犯人の正体、それは、カモメだ......
そうだ。私は釣った魚をカモメに盗られたのである。
しかも、目の前で丸呑みされるという屈辱まで味わった。
だがこれ以上ヤツを責めることはできない。
なぜなら、ヤツはまだ子供だからだ。
♦♦♦ 私は、こんなに近くでカモメを見るのは初めてだった。
ましてや子供のカモメがすぐ手の届く位置にいるなんてことはない。
しかし、この子はひとりなのだろうか。
周りを見渡しても親らしきカモメもいない。
まさか、親に捨てられたんじゃないだろうな。
ついよからぬことを考えてしまったが、それにしても他にカモメはいない。
きっと、大きい獲物を狙いに出掛けているのだろう。
なんせ食べ盛りの子供がいるんだから。
うん、きっとそうだ。ひとまずそう思うことにした。
それにしても逃げないカモメだった。
人の手が加わっているのではないかと思うほどに警戒心がない。
しかも、魚をもっとくれと言わんばかりに近寄ってくるのだ。
どうせ食べきれないほどの豆アジを釣っている。
これでも食べてお母さんを待とう。ほら、おいで。
豆アジを手から直接食べさせるなんて、めったに経験できないことだ。
ここまでなついてくれるとカモメも可愛くて仕方がない。
もしかしたら、このまま触れるかもしれない。
いや、やっぱり逃げちゃうか。でも、どうしても触りたい。
えーい、触っちまえ!
「なにこれ~ふわふわだー笑」
まさか自然のカモメに触れることができるなんて思わなかった。
本当に優しい肌触りで、めちゃめちゃフワフワだった。
それでもまだ逃げないでいる。
なんて可愛いんだ!まるで天使のようだ。
天使なんて知らないが、それでも例えるなら天使しかないだろうと思う。
こんな天使のようなカモメの子供を、犯人呼ばわりしていたなんて。
そうだ、この子に名前をつけよう!
まだ母親は帰って来なそうだし、せっかく仲良くなれたんだから。
「そうだな~えーと、フウ…フウちゃん!おまえはフウちゃんだw」
私は、そのカモメの子供にフウちゃんという名前をつけた。
海風が心地よい日だったし、いつでもこの風に乗って飛んでほしいと思って決めた名前だ。
フウちゃんは私と妻のそばから離れなかった。
よく見ると羽の色もまだグレーだ。
フウちゃんと呼ぶと、よくわからないというように首を傾げる。
動物愛護なんてものがなければ連れて帰りたいくらいに可愛い。
一瞬、悪魔の考えが浮かんでしまう。それだけはダメだ。
♦♦♦ カモメのフウちゃんと人間の私が釣りを楽しむことなんてあるのか?
いや、現にフウちゃんは私と妻の横にいる。
次は何が釣れるのかと一緒になって見ているのだ。
そうこうしていると、私の竿にアタリがきた。
しかし竿を上げてみると、豆アジではなくフグだった。
高級魚フグ!ではなく、やっかい者のフグである。
さすがに妻でもフグのことはわからないらしく、その種類は不明なままだ。
こいつは糸を嚙みちぎるから大嫌いだ。
だいたいはリバースするが、妻はその辺においておくのだ。
残酷な人だと思うが、放したら同じ目に合うというのが理由らしい。
そのフグを針から外した時、フウちゃんがくわえて持っていってしまった。
すべてのフグに毒があるかどうかはわからないが、毒があるものと認識していた私はパニックになった。
「フウちゃん!食べちゃダメだ!!」
どうしたらいいんだ。毒でやられてしまうのではないか!?
フウちゃん、なんで食べたりしたんだよ...
がしかし、そんな心配は無用だった。
フウちゃんはそのフグを吐き出して食べなかったのだ。
ホッとしたのと同時に、動物の本能的な判断力に驚いた。
危険だと瞬時に判断する能力があるなんて、フウちゃんはすごいな!
♦♦♦
フウちゃんの姿を見ていると、自分がちっぽけに思えてくる。
こんな小さな体なのにしっかり地に足をつけている。
それは力強く、たくましい。
一見つぶらで愛らしい目をしているが、そこからは厳しい自然の中を生きる生命力と覚悟のようなものが伝わってくる。
けして人間の世界がラクなものだという訳ではないが、自然を生きる動物のそれとは違う。
人間はお腹が減れば食材を買いに行けるし、雨風をしのぐ家もある。
たとえ友達や家族と離れていても、通信手段はたくさんある。
おまけに気を紛らわす娯楽だってあるのだ。
しかし、動物たちは生きるために一分一秒が闘いである。
それは食べるものや棲みかの問題だけに限らないからだ。
油断していれば外敵の餌食になったり、人間による環境汚染の危険もある。
それらと向き合ってばかりいて、どうにかなりそうなのは人間と動物どちらなのだろうか。
それを考えると、自分の悩みや迷いなんて小さなものである。
むしろ贅沢にさえ思えてくる。
人は何かに迷い悩んだりするものだが、こうして広い海にでも行って余計なことは考えない時間をもつといいのかもしれない。
♦♦♦
私はフウちゃんと時間の許す限り一緒にいたいと思った。
言葉は通じなくても、人間の私に心を許してくれていることが嬉しかった。
フウちゃんからしたら物珍しかったのかもしれない。
ただ、それでも私たちを理解しようとする何かが伝わってくる気がした。
あと、どれくらいの時間を一緒に過ごせるのだろうか。
いずれにしてもそう長くは居られない。
そのことを考えると、少しばかり寂しい気持ちになる。
しかし、フウちゃんは帰らなくてはいけない。そして私たちも。
夏の強い日差しが落ち着いてきた頃、いよいよ別れの時がきた。
目線の先にある堤防とテトラポットの間を、こちらに向かって一羽のカモメが飛んでくるのが見えた。
「フウちゃん、お母さんが帰ってきたぞ」
そのカモメがフウちゃんを迎えにきたことはすぐにわかった。
フウちゃんは私たちと一緒に過ごしてくれたが、なんだかんだ言っても寂しかったはずだ。
母親の姿を見つけてペタペタよちよち足を動かしている。
きっと嬉しいのだろう。
母親は漁港をゆっくりと一周して、その静かな波に体を浮かべた。
人間といるわが子を見ても、落ち着いてこちらの様子を伺っている。
今思えば、私たちにフウちゃんと別れる時間をくれたのかもしれない。
フウちゃん、元気でいるんだよ。また来るからな!
「行け!フウちゃん!」
フウちゃんはポチャンと海に降り、母親のところまで泳いでいった。
親子でなにを話しているのだろうか。
私たち夫婦と出会ったことでも話してくれていたらいいなと思う。
それから少しの間、フウちゃんと母親は仲良く漁港を泳いだ後、まだ夕暮れ前の青い空に向かって飛び立っていった。
フウちゃん、最高の思い出をありがとう。
いつかまた会えるといいな。
♦♦♦
そして2年後の夏、私と妻はあの日と同じ海沿いの道を走っている。
これは今でも不思議に思うのだが、フウちゃんと別れても寂しいという感じがしない。
別れの時がくるまではあんなに離れたくないと思っていたのに、どこか清々しい気持ちでいる。
いや、別れが寂しくなかった訳ではない。 フウちゃんが生き生きとした姿で飛び立ってくれたからだ。
母親の後をおぼつかない羽ばたきで追いかけていたが、最後までたくましい姿を見せてくれていた。
心配なんて無用とばかりに。
あの日、私たち夫婦とフウちゃんは互いに貴重な経験をしたのだろう。
それは一期一会の出会いだったのかもしれない。
ただ、姿かたちや何もかも違う者同士が、ともに同じ時間を過ごしたことは紛れもない事実だ。
フウちゃんと出会えた夏の日を、触れることができたあの心地を、私は一生忘れない。
ドライブの帰り道、夕焼け色の空をカモメがゆったり飛んでいた。
波と海風に乗って気持ちがよさそうだ。
「おーい!お前たちフウちゃんを知らないか?」
って、知っているわけないか 笑
〈おしまいの話〉
今回の話は、2年前の夏に私たち夫婦が実際に出会ったカモメとの出来事をもとに書きました。
フウちゃんには、人間と動物が共存することの大切さを教えてもらったような気がします。
私は今でもフウちゃんを思い出すと笑顔になれます。
夏のひとときをカモメが一緒に過ごしてくれるなんて、まるで映画のような体験でした。
今頃は立派なカモメになって、あの広い海と大空を飛んでいるのだと思います。
いつかまた会えたらいいなと思っています。
今度は、フウちゃんが子供を連れてきてくれるのでしょうか。
あ、そう言えば、フウちゃんってオスかメスかもわらないな 笑笑
それでは、また次のお話で。
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