【自己紹介】育休復帰後3か月でうつ病→休職→退職した私のこと
大学院修了後官僚の道へ
小学生の頃、現皇后陛下雅子さまが外交官として颯爽と歩く姿があまりにも格好良くて、外交官になりたいと思った私。
海外に興味はあるけど、外交官のように日本と海外を数年おきに行ったり来たりするのは性に合わないと思い、海外と接点が多そうな省庁の国家公務員を目指す方向に路線変更。
官庁訪問の結果、第二希望だった某省に決まり、事務官として十数年勤務。その間、霞ヶ関的な残業・激務も留学も経験。
子どもが生まれて人生が一変
留学前に結婚はしていたので、帰国後は子供に恵まれればと思っていたところ、妊娠したものの初期の稽留流産。
その数年後第一子を授かり、育休中に第二子も妊娠し、育休を連続で計3年取得。
子育てをしていくうちに、自分と周囲に対する見方が変わったのか、自分がHSPであることに気づいたり、自分が生まれた家族、特に母に対する負の感情が大きくなったように思う。
職場復帰後3か月でうつ病に
復帰後のポストは慣れない業務に手こずり、また部下が異動して、人手が足りなくなったりで、子供たちを寝かしつけた後、朝まで仕事をしても終わらなかった。
いま思えば、子どもたちの夕食用に週末も週の半ばも作りおきをしたりがんばり過ぎてたし、夫が家庭での戦力になるように夫育てが足りなかったし、職場の人にももっと甘えればよかったと思う。
でもあの頃の私は、『自分ががんばるしかない』と思い込んでいた。
結果的に、復帰後2か月ほどで不眠の症状が出始め、その後メールチェックするだけで涙がこみ上げてくるようになり、産業医に相談。『うつ病の入り口』とのことで、メンタルクリニックを受診し、うつ病と診断、休職することになった。
休職3年経過しても治らず退職
病気休職に入り、当初は数か月単位でよくなるだろうと思っていたが、一向に良くなる気配がなかった。
夫は家庭の仕事をがんばってくれる気もないようだし、実母に手伝いにきてもらっても、失言ばかりして、私を傷つけた。
薬を変更したり、主治医を変えたりしてもよくならなかった。
でも、良いカウンセラーさんと出会えたこと、小学生の頃の担任の先生を母のように慕うことができるようになったことは大きな救いだった。
子どもがすくすくと成長してくれていることも大きな救いだけれど、まだまだ子育てが楽になることはない。赤ちゃんだろうと幼児だろうとその時々で子育ては大変。子どもの自己主張に付き合うのは本当に疲れる。
子どもを保育園に預けている日中、私は体を休めることができるけど、家事育児をほぼ一人で担っているためか、うつ病はよくならない。
こんな生活を3年続け、病気休職期限となり、私は一度も復職することなく退職することになった。
Noteを始める理由
うつ病を治して新たな人生を始めたいと思い、まずは日々の心の中のモヤモヤを言語化することで、自分の頭の中を整理したいと思い、Noteを始めることにしました。
モヤモヤの範囲は多岐に渡るけど、
#うつ病
#HSP
#毒親
#ワンオペ育児
#ジェンダー
あたりのことをつらつらと書いていきたいと思っています。