電影鑑賞記『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』
私は日本映画を観ない。好きだと思えない。面白いと思わない。多分それはあまりに日常すぎるから。ミソジニーや枠にはめたがる空気や出る杭を打つ習慣性やどうしてもステレオタイプから抜け出せないビビりといった私が嫌気し日本以外の場所を生活のベースにしようと思う重大な動機となる事象がベースに流れているのを感じてしまうから。
黒澤明が好きになれない。様式美や計算された画角の素晴らしさなどはわかる。初めて観たのは『乱』だった。観ている最中からとても嫌だった。それまでピーターとして認識していたタレントが池畑慎之介という俳優として出演し、しかも優れた演技を見せていることに驚いたことと、彼の衣装が美しかったこと以外は全て嫌だった。次に観た『夢』も嫌だった。ここで私は黒澤明が好きになれないと悟った。『七人の侍』も『羅生門』も物語としては面白いが映画作品としては好きになれない。彼の作品では女がよく泣く。しかも延々と。数分。これが嫌いの一つ。実際、人がこんなに延々とこの調子で泣くことなどない。この泣き方なら1分もせずに息切れする。同じ調子で何分も泣き続けることなどありえない。いわゆる「芝居」で「私は泣いているのよ!だからなんとかしなさいよ!」と訴求する為でなければこんな泣き方はできない。この嘘くささが「様式美」であったとしても私は嫌い。
日本映画を自分から観ることはまず無い。のだが沖縄返還についての話だというので、沖縄の歴史的背景を少しでも理解する助けになるのではと観た『返還交渉人』が本当にダメだった。オープニングの画で「なんだこのTVドラマ的画角は?私はドラマ観に来たんじゃないぞ?」とカチンときた。最初の10分でもう劇場を出ようかと思ったが、実に久々に自分でお金を払ってまでも観に来た日本映画だったので、ここで劇場を出るのはお金がもったいなすぎると思い踏みとどまったが、最初から最後まで「金返せ」としか思わなかった。観終わってから調べたらドラマの劇場版だった。悔しかった。知っていたら金払ってまで観に行かなかったのに。
ということで私の日本映画嫌いを弁明しておいてから本作について語る。
今私が参加しているプロジェクトのプロデューサーが本作のプロデューサーなので、どういった作品を創っておられるのかということで観た。いつものごとく敢えて何の前情報も無しで。
監督がその昔お笑い芸人だったこと、いろいろな映画祭で賞を獲っておられること程度は伺っていた。けれど出演者は全員知らなかった。古田新太がどこかで見たことある気がするな、程度。そんな中で良いなと思ったのが山根役の黒崎煌代。癖の強いキャラクターを上手く乗りこなしていた。
この作品の舞台は大阪。途中で関大正門前の道が初めて映った瞬間「おっ?もしやこの作品の舞台は関大か?」となった。私自身は関大ではないけれど何度も行ったことがあるので「ここは関大前に違いない」と思い、そのまま話が続くに連れ関大の中も映り、そういうことかと。なので基本的に皆関西弁。花役の河合優実は東京出身だというのに関西弁が完璧で驚いた。ドラマなどにありがちな下手に抑揚を誇張した大阪弁ではなく、抑揚の高さがとても自然だった。山根は兵庫県出身らしいので、劇中で山根弁とした九州弁をミックスした変な大阪弁も上手に作り出していた。今、巷では「やで」の誤用が多くて、言語を扱う者としてとても気持ち悪く感じているのだけれど、この山根弁まで突き抜けるとそれは新しい別の言語として成立するので面白いと感じた。
関大と同大(周辺)が出て来て、出演者(小西除く)の関西弁が全部完璧だったのがとても好感。
スピッツの曲が使われている。スピッツは自分たちの曲を映画などに絶対に提供しないというポリシーなだけに交渉が大変だったそう。ところがプロデューサー氏が過去レコード会社(だったかな?)所属で音楽プロデューサーだったことで音楽に対する知識や理解への信頼が得られたこと、その絡みでの音楽業界人脈が功を奏したことから、例外的に曲を使えるようになったそうだ。
主役三人それぞれに長回し長セリフのシーンがある。花の芝居はとても良かったのだけれど、途中で急に口元へトラック・インするカメラワークが意図的すぎた。小西の芝居は、気持ちはわかるけれどステレオタイプすぎたかなと。もう少しバリエーションあっても良かった。さっちゃんも芝居はとても良いのだけれど、半分ぐらいで「わかった、わかった、もうええよ」と飽きてしまった。もうちょっと短くても良いかなと。
通常のエンディングとはちょっと違ったエンディングからのエンド・ロールは良かった。
本作は、これから一緒にやっていくプロデューサー氏の作品ということでどんな作品を創られるのか観てみようということでの鑑賞。事前にこのイメージ・ポスターを貰った時に、ウチのプロジェクトの導演とプロデューサーが「この超長いタイトルの意味を教えてくれ」と言ってきた。これ解説するの大変だったのよ。普通の言い方だと「僕は今日の空が一番好きとまだ言えない=我仲未可以說肯定最鍾意今日的天空」だけれど、「僕は」を最後に持って来るという倒置法を使うことで、更に後に何かが続くという含みや余韻を持たせる手法で・・・と、どう解説すれば倒置法の効果や「今日の空が一番好きとまだ言えない、僕」ではなく「今日の空が一番好きとまだ言えない、僕は」と「は」を残すことの効果を説明しきれるのか考えた。なんとなくはわかってもらえたようだけれど、日本語の「てにをは」の持つニュアンスを厳密に同じ機能の字を持たない広東語にどう変換すれば理解してもらえるのか、こういうのは難しいのだけれど考えるのは楽しいね。
ということで、日本映画嫌いの私が、それほど嫌いではない作品だった、とだけ記しておく。
TOHOシネマズにて鑑賞。★★★